表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オーバークロック・ノア  作者: くじらちさと
灰の足音
42/57

section1『違和感の土曜日』

訓練を終えた週末。

それぞれの場所に戻り、ささやかな日常を過ごす仲間たち。

けれど、どこか落ち着かない心と、説明のつかない違和感が彼らを包みはじめていた。

“視える目”に浮かぶ数字。消えた気配。揺らぐ風景。

そのすべてが──明日を告げていた。

蝉の声が、どこか遠くで鳴いている。


 白鐘鳴は、駅前の喫茶店の窓際で、溶けかけのアイスココアを指で回していた。カラン、と氷が揺れる。空調の効いた店内ではジャズが静かに流れており、周囲の客たちは思い思いの時間を過ごしている。

 休日らしい午後。けれど、鳴の心はどこか落ち着かなかった。


「……さっきの人、どこかで……?」


 喫茶店の窓の向こう、横断歩道を渡る青年の姿に、何か引っかかるものを感じた。初めて見るはずの後ろ姿が、どうしてか既視感を伴って脳裏に残る。


 鳴は考え込むように眉を寄せる。ここ最近――いや、先日の訓練以降、街の風景すら、少しずつ“何か”がずれてきている気がしてならない。


 目の奥が、うずいた。


 (やめよう、考えすぎだ。今日はただの土曜日、なにも――)


 思考を振り払うように、ストローを口にくわえ、一気にココアを飲み干した。


---


 一方、自室の机に向かっていた三國見 真は、ノートのページをめくりながらペンを走らせていた。

 手帳のように綴られたそこには、自らのノアに関する実験記録や思考メモ、直感の断片が乱雑に並んでいる。


 「……前よりも長く、“視えてる”気がするな」


 窓の外では風鈴が涼しげに鳴っていた。けれど真はそれに気づくことなく、ただ黙々とページを埋めていく。

 「訓練の成果」とは少し違う。あの世界での経験が、現実の自分を変え始めている実感。


 彼の視線は、ふと手帳の余白に書かれたひとことに留まる。


 《次は、いつ来る?》


 無意識に書いたのか、それとも――


---


 白倉 凪は、自宅近くの川沿いの公園で黙々と走っていた。

 汗ばむ気温のなか、首元に巻いた冷感タオルをきつく締めながら、ゆるやかな坂を上る。


 「……どれだけ準備しても、不安は拭えないな」


 つぶやきに応えるのは蝉の声だけ。

 川辺に咲いた小さな花に視線を落とし、少しだけ呼吸を整える。

 ふと、周囲の空気が冷えたように感じた。ほんの一瞬だけ。


 凪は手のひらをかざす。目に見えない“気配”のようなものを、肌が探していた。


 何もなかった。


 けれど、訓練で鍛えた感覚は、警鐘を鳴らし続けている。

 「明日、なにかが起きる気がする」

 そんな予感が、胸の奥で小さく鳴っていた。


---


 獅堂 隼人は、都心のジムでサンドバッグを打っていた。

 トレーニングウェアから滴る汗が、床に音を立てて落ちる。周囲の視線を気にする様子もなく、黙々と拳を打ち込む。


 「間合い……もう少し早く反応しろ」


 鏡月レイラに打ち負けたイメージが頭をよぎる。

 あのスピードと変則的な動きに対応するには、理屈より感覚。――そう、身体そのものに染み込ませなければならない。


 音楽の流れるジムの中、ただ一人、空気の違う男。

 打撃の音が止むことはなかった。


---


 同じ頃、鏡月 レイラは町の小さな雑貨屋で、鏡のついたアクセサリーをひとつひとつ吟味していた。

 買うつもりはなかった。ただ、鏡を見ることで今の自分を確認する癖が抜けなかったのだ。


 (もう、鏡がなくても戦えるようにはなったけど……)


 彼女は棚に並ぶ小さな手鏡に手を伸ばしかけて、ふと動きを止めた。


 鏡の中――自分の隣に、誰かが立っている気がした。


 驚いて振り返る。けれど、そこには誰もいない。


 「……気のせい、だよね?」


 呟いて、レイラは棚に背を向けた。

 もう一度振り返る気には、なれなかった。


---


 そして、鳴。


 商店街を抜け、帰り道の横断歩道を渡ろうとしたそのとき――

 ふと、視界の端に何かが浮かび上がった。



 まるで空中に数字が浮いていたかのように見えたその一瞬。

 鳴は目をこすり、もう一度そこを見る。けれど何もない。アスファルトの道路が広がるだけ。


 「……また、“見えた”のか……?」


 自分だけに映るもの。誰にも言えない違和感。

 その“視えた”ものの意味は、鳴にもまだわからなかった。

けれど、明日も何かが起こる気がしてならなかった。

ほんの小さな異変だった。

けれど、それは確かに“現実”の中に入り込んできていた。

静けさの裏で目を覚ましはじめた何かが、

仲間たちの背中を、確かに押そうとしている。

それは警告か、それとも、呼び声か。

──そして、明日がやってくる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ