section10『次なる日常』
落ちる。
異世界から現実へ──
その“帰還”は、ただ元に戻るというだけのものではなかった。
生き残った五人だけに与えられた、新たな“意味”と“命題”。
現実の空に、また新たな幕が上がる。
──空と地から、同時に“それ”は来た。
地を蹴る獣たちの咆哮と、上空から響く唸り声。黒い影が、雲間から幾重にも差し込む。
「っ……!」
真が息を呑んだ瞬間、視界が白く塗りつぶされた。
光──転写の兆し。
一瞬の浮遊感とともに、全身の重力が失われる。
──そして、次の瞬間。
「……ッ、空!?」
真は目を見開いた。視界が完全に切り替わり、彼の身体は雲の合間に浮かんでいた。
遥か下には、木々の波が揺れる深い森。広がる空。すぐ傍には、他の転写者たちの影。
重力が戻る。全員が一斉に落下を始めた。
「くそ……!」
真はすぐにノアを展開した。
「《アイソン》……全身強化! ……《ラグナ》、重力制御ッ!」
ノアの基本系統、“身体強化”と“重力操作”。
訓練の中で繰り返してきた動きが、反射のように身体からこぼれる。
筋肉が軋む。空気抵抗を最大限に使って体勢を調整し、念力で身体を包み込む。
速度を落とす、刹那の応急処置。
(頼む……耐えてくれ!)
直後、地面が迫る。真はごろりと転がるように森の地表に着地し、荒い呼吸を吐いた。
そのすぐ後、凪が降ってくる。彼の足元には、冷気の帯が一気に伸びた。
「《クライオスフィア》──氷結生成」
宙に描かれた氷の滑り台が彼の身体をなぞり、弧を描くように柔らかく地面へ導く。
「……着地、完了」
彼は膝に手をつき、小さく息をついた。
と──
風がざわめき、樹上の影が揺れる。
レイラ、隼人、鳴の三人が、穏やかに降下してきた。
彼らの身体はふわりと浮かび、ゆっくりと地面へと降り立つ。
その中心──空中に、白い外套をなびかせる男が浮かんでいた。
神瀬 匡。
無言のまま三人の落下を制御し、そのままゆるりと地上に降り立った。
「……ご苦労」
神瀬が、静かに口を開く。
「お前らは──生きて帰ってこれただけで、合格点だ」
だがその言葉に、真と凪の顔は険しかった。
「……何で、俺たちだけ助けなかったんだ」
真が、苛立ちを隠さず問いかける。
凪も、鋭い視線を向けた。
「見てただろ、あんた……!」
神瀬は二人の言葉に応えず、少し間を置いてから静かに言葉を継いだ。
「……それにしても、今回の《帰還》は異常だったな」
真が顔を上げる。
「……異常?」
「今までの転写では、“元いた場所”──つまり、最初に転写された地点に、そのまま戻されるのが常だった。
だが今回は、全員が“空中”から戻ってきた。しかも、明らかに意図的な高度での転写解除だった」
凪は黙ってそれを聞いていた。
神瀬はわずかに息を吐き、続ける。
「俺が知る限り……こういう帰還は、初めてだ」
そして、振り返る。
「今は休め。だが、次は──もっと過酷になる」
沈黙が落ちる。
風が吹き抜け、森のざわめきだけが、やがて戻ってくる。
神瀬は一歩だけ後ろを向いたまま、静かに言い添えた。
「来週の放課後から訓練を始める。全員、参加だ。
……集合場所は追って連絡する」
その場に、わずかな空気のざわめきが走った。
「……訓練、って……」
レイラが小さく呟く。まだ立ち尽くしたまま、拳をぎゅっと握りしめる。
隼人は肩をぐるりと回し、ひとつ息を吐いた。
「ようやく……意味のある殴り合いができそうだな」
鳴は隅の方でこくりと頷いた。まだ顔は青いままだが、それでも今は、誰かと一緒にいられることが安心になっていた。
真と凪は言葉を交わさず、ただ黙って神瀬の背中を見送る。
そして、その静けさの中――
《転写》という地獄を越えて生き延びた、五人の時間が、また動き始めた。
戦場を越え、現実に帰った五人は、もう以前の自分ではいられない。
それでも、時間は流れる。日常は再び動き始める。
「選ばれた者たち」──そう呼ぶにはまだ未熟すぎる彼らが、
次に向かうのは、力を得るための“訓練”。
新たな地獄への、第一歩だった。




