section1『訓練の幕開け──再始動する日常』
再び訪れた“平穏”な日常。けれどそれは、何もなかった頃には戻らない。
《ルヴァ=ヘレイス》での体験を経て、それぞれが抱える葛藤と決意──。
これは、“次”に備えるための第一歩。異世界で生き抜くために、放課後の訓練が始まる。
放課後。いつもより重たい鞄を肩に背負いながら、俺──三國見 真は、神瀬の待つ山へと向かっていた。
授業中も、教室に戻ってからも、どこか落ち着かなかった。ノートを取っていても、ふとした瞬間にあの光景がフラッシュバックする。飛び交う棘、地を割る咆哮、崩れ落ちる誰かの姿。
夢ではない。あれは現実だった。
数日前、俺たちはまた異世界《ルヴァ=ヘレイス》へと“転写”された。そして――生きて帰ってきた。
だが、全員が帰れたわけじゃない。
異世界で命を落とした彼らの姿は、現代ではどこにもない。ニュースでは「集団行方不明事件」として連日報じられ、“神隠し”や“異常失踪”といった見出しが踊っていた。俺たちはその原因を誰よりもよく知っている。だが、それを世間に伝える術も、覚悟も、今はまだない。
学校は普通に再開しているし、街も変わらずに動いている。でも、俺の中では確かに何かが変わっていた。……いや、俺だけじゃない。あの場にいたやつらも、きっと同じだ。
神瀬の持ち山。最初の訓練でも訪れた地だ。人気のない山道をひとり登る途中、幾度となく深呼吸を繰り返す。感情が揺れているのが、自分でも分かる。
やがて、視界がひらける。岩場の広場に出ると、すでに数人の姿がそこにいた。
白倉 凪が黙って壁際に立っていた。その近くには、鏡月 レイラ(きょうづき・れいら)と獅堂 隼人もいた。
それぞれの距離感が微妙に離れている。やはり、まだお互いのことを深く知っているわけではないのだ。
そして、その3人から少し離れた位置に、白鐘 鳴がぽつんと立っていた。
鳴は、不安げに周囲を見渡している。制服の袖を握ったまま、じりじりと後ずさりしていた。
この1週間、俺と凪は、鳴、レイラ、隼人に対して、あの異世界《ルヴァ=ヘレイス》と“ノア”について、できる限りの説明をしてきた。
最初はまったく信じていなかった。けれど、目の前でノアの力を見せたりするうちに、徐々に彼らの目の色も変わっていった。
「全員、来たな」
その声に、場の空気がピンと張る。岩場の中央に立っていたのは神瀬 匡。白いジャケット姿は相変わらずだが、その目はまっすぐこちらを見据えていた。
「今日から1週間、放課後はここで訓練だ。異論はないな?」
誰も口を開かなかった。ただ、隼人は腕を組み、レイラは静かに頷いた。
隼人は相変わらず無愛想だが、目の奥に火が灯っている。あの筋骨隆々の体で、まだノアが使えないというのは、本人としても納得いっていないのかもしれない。
レイラは明るく見えて、意外と真面目なところがある。あの異世界から帰還して以来、周囲の空気をよく読もうとしている姿勢が見て取れた。
鳴はというと、すっかり縮こまって俺たちの陰に隠れている。けれど、逃げ出すような様子はない。
たしかに、あいつの中でも何かが変わってきている。
「訓練の最初は、各自の“今の状態”の確認からだ。レイラ、隼人、鳴──お前たちは、まだノアを明確に使えていないが……その片鱗は見えている。今日はまず、それを引き出すところから始める」
「……やっと始まるんですね」
レイラがぽつりと呟く。声は緊張と期待の入り混じったものだった。
隼人は黙っていたが、その肩に入った力から、意欲は十分に伝わってくる。
「真、凪。お前たちは、少し手加減してやれ。今日は“始まり”だ。殺し合いをするわけじゃない」
匡さんの言葉に、凪が軽く頷いた。俺も深く息を吸って答える。
「了解。……じゃあ、始めようか。匡さん」
誰かが静かに息をのむ音がした。
こうして、俺たちの1週間にわたる訓練が幕を開けた。
それぞれが胸の奥に小さな変化を抱えながら、静かに集まった放課後の山。
誰もがまだ不完全で、まだ知らない力を持て余している。
だが、この日からの訓練が、彼らを一歩ずつ強くしていくことになる。
──まだ気づいていない未来に向けて。




