7 初恋の人
「突然お邪魔した上に長居をしてしまい、申し訳ありませんでした。」
エキナセアが立ち上がると、アディールは慌てて彼女の腕をとった。
しかし時計の針が目に入って、すぐにその手を離した。
「もう、行ってしまうの? まだ聞きたい事がたくさんあるのに。あっ、ごめんなさい。随分と時間がたっていたのね。気付かなかったわ。お屋敷の人に叱られたりしない?」
「大丈夫ですよ。私はアディール殿下が退屈されているだろうから、お相手をするようにと、リッカルド様から命じられて来たのですから。」
「えっ、リッカルド様、いえ、厚生副大臣が?」
リッカルドはベネフィット公爵家の第三子で、厚生副大臣をしている次男。
エキナセアと同様にアディールの幼馴染みであり、年齢は王女より二つ年上だが、大学の同級生でもある。
昔はとても仲が良かったが、高等学院の頃から次第にお互い口をきかなくなった。特にあの破談の件以後は、王家と公爵家の関係が微妙になり、さらに疎遠になっていった。
すっかり嫌われているのだと思っていたが・・・。
いや、ただの業務の一環で気を使ってくれているだけか。
アディールの気持ちは急上昇した途端、今度は急降下した。
実は、リッカルドはアディールにとって初恋の相手なのだ。
今でも特別な感情があるかと問われたら、自分でもよくわからないのだが、それでも嫌われていたらかなり辛い。せめて幼馴染みのポジションくらいは保ちたい。
アディールの気持ちを知ってか知らずか、エキナセアはこう言った。
「リッカルド様は、頭が固くて融通がきかず、生真面目過ぎますが、公爵家の中では唯一人間味がありますね。」
「今回の件もアディール殿下が悪いとは全く思っていないご様子ですし、あの方が何とかしてくれると思います。ご心配せずにこちらでお過ごし下さい。」
公爵家を嫌っているらしいエキナセアだが、次兄のリッカルドだけには、いくらかは情が残っているらしい物言いだった。
昔は、リッカルドは五つ年下の、体の弱い妹の世話を本当によくしていた。
彼は一見すると神経質で冷たそうな外見だったが、妹に対しては細かなところにまで注意を払っていた。
いずれ自分が医者になって、妹を丈夫にしてやるのだ、と彼はよく口にしていた。
そんな妹思いの優しいところにアディールは惹かれた。
ところが、アディール同様飛び級で大学に進み、医学の勉強を始めた頃から、彼の妹への接し方が変わっていった。
病の重い患者や、大きな怪我を負った患者と沢山接していくうちに、妹の状態などとるに足らない事のように思えてきた、と言っていた。
あの婚約披露の食事会の時も、気分が悪いと言ったエキナセアの言葉を無視した。
そして、彼女が倒れ、痙攣を起こして気を失った時、始めて事の重大さに気づいたようだった。
しかし、その時はもう既に彼に出来る事は何もなかった。
いや、城の侍医ではなく、暇をとって自宅に戻っていた侍女長を呼び出した事だけは、唯一妹の役にたったかもしれない。
それはアディール王女は知らぬ事だが。
しかし、大学で精神医療やトリアージを学んでいた時、リッカルドが酷く辛そうな顔をしていたのをアディールは覚えている。
精神の病、心の問題は体の問題と同様に重く難しい。体に異常がなくとも心が病んでいたら健康とは言えない。人は心に闇があれば、亡くなってしまうこともある。
緊急時においては、治療の優先順位の選別は必要と成らざるを得ない事だ。
しかし、そもそも病に重いも軽いも無いのだということに、ようやく彼が気付いたからだろう。
結局彼は冷たい人間だった訳ではないが、エキナセアの言う通り、頭が固く、思い込みが強すぎたのだろう、とアディールは思う。
「エキナセア、ではなくて、ブルブレアさん、また来てくれるわよね?」
アディールが不安そうに尋ねると、エキナセアは頷きながら言った。
「勿論ですわ、王女殿下。ただ、お休みの日以外は夕食後になってしまいますが、それでも構わないでしょうか。」
「ええ、勿論。夏休みとはいえ大学で勉強しているのでしょう。あなたのことだから。」
「そうなんです。」
エキナセアは笑った。
大学へは講義を受ける為だけではなく、自分の研究がしたくて入ったのだ。だから、自由に研究出来る夏休みは楽しくて仕方なかった。
「王女殿下のお相手も、仕事の一環としての扱いなので、他の人達にはあれこれ言われずには済むとは思います。しかし私のメインの仕事は、お子様達の家庭教師ですので、それは外せません。申し訳ありません。」
少しも申し訳ないとは思っていなさそうなエキナセアに、アディールも思わず笑ってしまった。
「それと、王女殿下にお願いがございます。」
「ブルブレアの正体を秘密にする事なら、大丈夫よ。」
「よろしくお願いいたします。そして私の事は、リュカ殿下にもどうかお内密に。」
エキナセアは酷く申し訳なさげに言った。アディールも眉を潜めた。
「あなたの立場はわかるわ。でも、リュカは今でもあなたを心配しているのよ。あなたの元気な姿を見たらどんなに喜ぶか。せめて、近況だけでも教えてあげてはいけないかしら。」
「リュカ殿下には本当に申し訳ないと思っております。私が何度もお詫びの手紙をお出ししたことを、リッカルド様から聞いた、とお伝え頂ければと。そして、私はフィリアで元気に幸せに暮らしているから心配いらないと。」
エキナセアは先ほどまでとはまるで違う、悲しげな顔で両手を合わせながら言った。
「五年前の事は、私どもが一方的に悪いのです。そもそも、私のような者がリュカ殿下の婚約者になどと、とんでもないお話だったのです。最初にはっきりとご説明しなかったのがいけなかったのです。リュカ殿下にも王家の皆様にも、多大なご迷惑をおかけしました。それなのに大したお咎めもなく、なかったことにしていただけて、感謝の言葉しかありません。」
エキナセアは昔とすっかり変わったと思ったが、本質的は何にも変わってはいなかった。
自己評価が低くて、いつも、どうせ私なんか、私が悪いのです、と口にしていたあの頃と。
エキナセアこそ何も悪くないのに、自分が悪いと思い込んでいる。
エキナセアは親同士が勝手に縁談を決めたと思っているようだが、実際は違う。
リュカがエキナセアの事を好きで好きでたまらかったから始まった話だったのだ。
王妃様はリュカを溺愛していたので、息子の希望通りにしてやりたいと話を進めた。公爵家はそれを断る事は出来なかったろう。
しかし、王である父は違っていた。出来れば縁結び婚をさせたいと思っていたからだ。
だからエキナセアが倒れた時、
『誰かが毒を盛ったのではないか!』
と、わざと自分から事を大きくしたくせに、破談ではなく、最初からなかった事にした。
そうすれば、息子に傷を付けずに婿入りをさせられるから。
全く愚かな事をしたものだ。
厳しい箝口令がひかれたため、幼い二人の結婚及び破談の話は、世間に出回る事はなかったが、結局、二人の子供の心に大きな傷を残したのだから。
あの日エキナセアが食べた料理は、リュカが指示をして作らせたものだった。
あの事件の少し前に長兄と共に海辺の町へ視察に行き、そこで食べた海鮮料理があまりにも美味しかったので、それをエキナセアに食べさせてあげたくて。
まさかそれを食べてエキナセアが倒れるなんて。しかも命に危険を及ぼすなんて思いもせずに。
自分はエキナセアを守りたい。
だから結婚するのだ。
そう思っていたのに、自分のせいで、彼女を命の危機に陥れてしまった。
リュカの衝撃は、はかり知れない程大きかった。当然、そんな状態のリュカに次の結婚話が出来るはずもない。
父王は全く無駄な事をしたものだ。人の心がわからない人だ。
それは今も変わらない。
だから今回の私の縁結び婚の話も、相手国をよく調べもせず進めたのだ、とアディールは思った。
弟をどうやって慰めればいいのかわからず、彼女自身もずっと苦しんできた。
本当の事を教えれば、エキナセアの罪悪感は少しは減るのかしら。でも、今度はリュカを恨む事になったら、どうしたらいいの?
アディールが思い悩んでいると、エキナセアは懇願するようにこう言った。
「私には、実は持って生まれた体質があるのです。それであの日倒れてしまったのですが、アディール殿下とリュカ殿下には、いつか必ず、その秘密をお話しします。ですから、後しばらくお待ち頂けないでしょうか。」
アディールは頷いた。
そしてその時はこちらも秘密を話そうと。
エキナセアはそっと涙を拭うと、無理に笑顔を作った。そして、
「王家には及びませんが、ベネフィット家の書庫にもそこそこ蔵書が揃えてありますので、そちらで読書をなさるのはいかがでしょうか。書庫にも机と椅子がございますし、冷風機もありませんので。もちろん、侍女に命じて頂ければ、本はこちらの部屋に持って参ります。」
最後にこう言って彼女は部屋から出て行った。




