8 兄と妹
アディール王女の件の後始末に追われていたリッカルドが、城からベネフィット家の自宅に戻って来たのは、三日ぶりの事だった。
自室の机の椅子に凭れて、深いため息をついた。
我が国を侮辱されては我慢が出来ない。
抗議などとは生ぬるい。
武力をもってでも思い知らせるべきだ。
いつの世も、過激な年寄り達には困ったものだ。
自分達は戦争も知らず平和に過ごしてきたくせに、若者達には戦えという。何て無責任なんだろう。
戦争を起こすのは簡単だ。
しかし終わらせるはその何十倍も難しい。終わらせる方法をまず示してからものを言え。
六年前の魔物との戦をもう忘れたのか?
王侯貴族の一部が、己の欲得の為に魔物の森に侵入して魔物の怒りを買い、どれだけの尊い若者の命が奪われたと思っているのだ。
城での意味のない会議に、リッカルドは辟易した。
王と長老達は、ただ侮辱されたと怒り、財務大臣は戦争した場合の予算と財政的な損害についてただ淡々と述べ、外務大臣はいかに賠償金を取るかだけに興味を示した。
何故今回のような問題が起きたのか、それを検証しようとする者は誰もいなかった。そもそもそれをしなければ、解決方法も見つからないだろうに。
しかし、リッカルドには発言権がない。
いくら筆頭公爵家の人間とはいえ、次男でまだ年も若い。しかも厚生部は管轄外と見なされていたからだ。
それでも彼は密かに問題解決に乗り出していた。そもそもの事の発端が、医療に関することだという事実を知っていたからである。
会議が始まって三日目の朝早くに、友人からリッカルドの元にある新情報が入ってきた。
彼はそれを基に早速一つの案を作り、執政官の父と情報部秘書官長をしている兄に耳打ちした。
会議が再開すると、またもや年寄り連中を中心に、無意味で無作為な論争が繰り広げられた。
しかし暫くして、執政官であるペルクス=ベネフィット公爵が徐に立ち上がり、
「皆様静粛に。」
と言って、一つ咳をしてから話し始めた。
「先ほど、情報部から新しい情報が入ってきました。今回アディール王女殿下が破談になったのは、王女殿下が隣国ストリームライン共和国において、病に伏していた旅人に薬を煎じて飲ませ、治した事に依るものだというのは、皆様ご存じですよね。」
「知っているとも。人助けをしたのが悪いなんて、信じられない。何を考えているのだ、あの国の連中は。」
皆が口々に言った。すると執政官は、
「皆様のおっしゃる事はもっともです。しかし、エンチャント皇国においては、病は医療魔法で治すのが当たり前、常識なのです。それなのに、エンチャント皇国の一員になろうとしている人間が、医療魔法ではなく薬で治すとは、我が国を侮辱している。そんな人間は必要ない、という論理なんだそうです。」
「は?」
その場にいた者達全員の頭の上には、はてなの疑問符が浮かんだ。
「それは、アディール王女殿下が医療魔法の邪魔をして、薬を飲ませたと言う事か?」
「いいえ。アディール王女殿下を迎えにきた者の中に、医療魔法を使える者がいなかったようなのです。」
「それでは王女殿下が薬を飲ませたのは仕方がないじゃないか。」
「エンチャント皇国側からすると、もう国境近くだったので、使者が国に帰って医療魔法術師を連れて来るのを待つべきだった、と言っているようです。」
「・・・・・」
その場にいた全員が黙り込んだ。本音を言えば、ほとんどの者がこう思っていたのだ。
「アディール王女殿下には困ったものだ。何故いつもいつも余計な事をするのだ。何故大人しくしていないのだ。」
と。
しかし、今回ばかりは王女に同情した。破談になって良かったと皆が思った。
優秀な医師で薬剤師である王女が、一刻も早く病人を助けようとしたのは当然の行為だ。
自国の見栄の為に、苦しむ人を長時間放置しようとするなんて言語道断。
大体、国境にある関所、トール・キャッスルを通るのにどれ程時間を要すると思っているのだ。人道上間違っている。
なんてふざけた国だろう。
「そもそも、王女殿下をお迎えに来るのに、あちらが医療関係者を配置していないこと自体、問題ではないのか。」
「その通りです。その点も謝罪をしてもらいましょう。」
「謝罪? そんなものでは甘いぞ、執政官殿!」
いきり立つ長老達を、ベネフィット公爵は片手を前に押し出して抑えた。
「まあ、待って下さい。わざわざこちらから騒ぎ立てずとも、いずれあちらから頭を下げにおみえになると思いますので。」
「どういう事かね?」
すると、今度は執政官に代わり、情報部秘書長官であるグリーク=ベネフィットが説明を始めた。
「実は、アディール王女殿下が助けた旅人というのが、ストリームライン共和国の国家議長閣下のご母堂様だったようなのです。少ないお供を連れての、御忍びの巡礼の途中で具合いを悪くなされたそうで。」
「なんと。ご母堂様のご容態はどうなんだ。」
「はい、その後お国の病院に入院されて、順調に快復されているそうです。」
「おお、それは良かった。」
「何でも、手当てがあと少し遅れていたら危険だったと、病院の医師がおっしゃったそうで、ご母堂様も息子の国家議長閣下もアディール王女殿下に大変感謝されているそうです。」
「ほほう。」
「それで、全快したら親子でお礼をしに行きたいと、エンチャント皇国に申し入れたそうです。」
「は? 何故エンチャント皇国に?」
会議室内がまたざわざわし出した。
「ご母堂様を助けた馬車はエンチャント皇国の紋章付きでしたからね。アディール王女殿下をエンチャント皇国の姫だと思っていらっしゃるご様子なのです。」
ここで一旦言葉を止め、その場にいる全員をゆっくり見回した後、グリークは微笑みを浮かべながらこう続けた。
「ご母堂様と議長閣下が、エンチャント皇国で命の恩人に無事会えるとよろしいのですが、無駄足を踏まされたとなったら、いくら友好国とはいえ、ねえ、皆様。」
緊迫感に覆われていた会議室の空気は、一瞬でがらっと変わった。
問題解決とまではいかないが、一先ず見通しがたったことで、リッカルドは屋敷に戻ってきた。
しかし、疲れ過ぎてかえって目が冴えてしまい、ベッドに入ってもとても眠れそうにない。
それにしても、エンチャント皇国の使者の無能さには、怒りを通り越して憐れさえ覚える。
プライドを守りたかったのならば、せめて病人をトールキャッスルへ連れて行けば良かったものを。あそこなら病人を診てもらえただろうに。
我が国以上に愚か者が多そうだ。そんな所へ嫁がずに済んで、本当に良かった。
リッカルドは幼馴染みの顔を思い浮かべながら、心からそう思った。
そのうちに扉をノックする音がして、小柄な侍女が入ってきた。
「お疲れ様です。お飲み物とアロマをお持ちしました。」
「ミルクココアかい。」
リッカルドは苦笑いをした。
「お医者様にご説明は不要でしょうが、胃に優しく、滋養があり、リラックス効果があるかと思いまして。今日はもう、コーヒーは要らないかと。」
「その通りだ。コーヒーは当分いらないかな。」
リッカルドは胃の辺りを撫でながら言った。
「昔は、よく二人でこっそりココアを飲んだな。夜中に眠れなくて。」
「そうですね、私は昼間にうとうととしてしまうことが多かったので、夜になるとよく眠れなくなって。リッカルド様にはよくお付き合いをして頂きましたよね。」
「リッカルド様か。もう、お前にはお兄様とは呼んでは貰えないのか? それが、俺への罰か? エキナセア。」
リッカルドは悲しげな顔で妹を見た。
しかし、お仕着せをきた妹は平然とした顔で答えた。
「罰? とんでもありません。何故私がリッカルド様に罰を与えるのですか? 貴方は何もしていないじゃないですか。」
「そうとも、俺は何もしなかった。たった一人の妹が苦しんでいたのに、助けもしなかったんだ。」
「駄目ですよ、興奮したら。余計眠れなくなります。私は貴方を恨んだり嫌ったりしてませんよ。貴方は公爵家の秘密をまだ知らされていなかったんですから、仕方なかった事です。」
エキナセアはお仕着せの帽子をとった。
すると黒と白が入り交じったセミロングの髪がハラリと広がった。そもそもの出来事の原因となった髪の毛だ。
「成人になって、ベネフィット家の、そして、私のこの秘密を知ってからは、私にこっそり連絡をとってくださったでしょう。私は、それがとてもとても嬉しかったんですよ。大体、リッカルド様がいらっしゃらなきゃ、さすがにこの屋敷に戻って来る気にはなれませんでしたよ。いつ薬や毒を盛られるかわからないのに。」
「そんなことするわけないだろう。」
「私にアレルギーがあるのがわかっているのに、無理やり食事をさせた人達ですよ、信用できませんね。私はアナフィラキシーショックで死にかけたんですから。」
「俺がいる以上、もうお前に妙な手出しはさせない。」
「ありがとうございます。でも薬と食事に関しては、自分でも対策をしていますので、そう心配しないでください。」
エキナセアはにっこりと微笑んだ。
エキナセアはちゃんと知っている。
会えなかった時もリッカルドが自分を心配して、陰で色々としてくれていた事。そのお陰で今こうして暮らせる事も。
そしてこう言ったのだった。
「それより、今の私はブルブレアですので、二人きりの時にも必ずそう呼んで下さいね。そうじゃないと、私の方だけリッカルド様と様付けにしても、まるで意味がないじゃないですか。お兄様。」




