78 予想だにしなかった事 その二
夜中、寝ようとしていたジョージの枕元で、通信機器が震えた。
「ノア、こんな時間にどうしたんだ。何かあったのか?」
『もう、寝ていたか?』
「いや、ベッドには入っていたがまだ眠ってはいなかったよ。」
『そうか、悪かったな。でも、とても重要な話があるから、姿勢を正して聞いて欲しい。』
ノアの真剣な声にジョージは慌てて起き上がり、ベッドから降りて立ち上がった。そして、何があったのかと尋ねた。
通信機器の向こうで、ノアが呼吸を整えているのが感じられて、これはただ事ではないと察した。ノアは静かに、ゆっくりとこう言った。
『アメリアには知らせていないが、あの男が屋敷の近くに現れた。』
ジョージは息を飲んだ。
『あの男』とは、アメリアの父親の事だ。
六年前、まだ十二にもなっていなかったアメリアを、金の為に裕福な商人に売り飛ばそうとした父親。
毎日のように仕事もせずに飲んだくれて、妻や子供達に暴力を振るっていた男。
あの日ジョージとノアは、待ち伏せをして学校帰りのアメリアを連れ去ろうとした男達から、彼女を救い出して、フィリア家の屋敷に逃げ込んだ。
二人は幼い頃からディル坊ちゃんを守る為に、武道やら護身術を学んでいた。特ジョージは体格もよかったので、当時はまだ子供だったが、そこら辺の大人よりはよっぽど強かったのだ。
彼らはエドモントに助けを求めた。
エドモントは妻のシャーリーに、アメリアの身体を調べるように命じた。
すると、アメリアの身体中に傷痕や青アザがついていることが判明した。しかも衣服で隠れている場所ばかりに傷痕があって、それが一層父親の陰湿さを証明していた。
その日は炊事係の仕事をしていたアメリアの母親も屋敷にいたので、すぐさま、呼び出された。案の定彼女も身体中酷いアザだらけであった。
母親はアメリアを捕まえようとした男達の事は知らないと、真っ青な顔で言った。これは嘘がないと思えた。
しかし、夫からの暴力はないと必死で訴える様子は不自然で、あからさまに取り乱していた。
シャーリーは彼女が少し落ち着くのを待ってから言った。
「今まで辛かったでしょう。怖かったでしょう。頑張りましたね。でももう、頑張らなくてもいいんですよ。」
母親が涙で汚れた顔を上げた。
「商売が上手くいかなくなったのは貴女のせいだと言われていたのでしょう? でも、貴女のせいなんかではありませんよ。
あの事件が起こる前から、周りの商売人から見限られていたのですから。それを貴女のせいにしていただけです。世間では皆が知っていることをです。」
アメリアの父親は元々裕福な商人の跡取り息子であった。甘やかされて育ったので、我が儘で堪え性のない男だった。金と力で、美人と評判だったアメリアの母親を半ば無理やりに妻にした。
結婚してアメリアが生まれた頃までは、美人で愛想のいい女房のおかげもあり、商売もそこそこ順調であった。
しかし、祖父母が次々と亡くなり、商売の実権を父親が握るようになると、あっという間に商売は傾いた。
飽きずにコツコツ仕事をするのが商いであるのに、堪え性がなく、怠け者、その上、お客に横柄な態度をとるのだから上手くいくはずがなかった。
そんなある日事件が起きた。取引先の男がアメリアの母に乱暴をしようとし、それを止めさせようとした父親が、反対に相手に大怪我を負わせたのだ。
それ事態は相手が一方的に悪かったのだが、その取引先が商売に顔が広かった為に、色々と横槍を入れて邪魔をしてきたので、父親の商売はとうとう廃業にまで追い込まれてしまった。
しかし、いくら邪魔をされたとしても、父親がそれまでに商売相手との信頼関係をきちんと築いていたなら、そのような事態には陥らなかっただろう。それなのに父親は自分を省みる事なく、男に色目を使ったお前のせいだと妻を責め続けたのだ。
それで母親は仕事をしなくなった夫の代わりに、まだ幼いアメリアを連れてフィリア家で下働きをするようになったのだ。
「どんなに酷い仕打ちをされても、夫や父親を訴えるのは心苦しいでしょう。わかりますよ。
でも、このままではアメリアが売られてしまいますよ。多分、まずいところに手を出して、お金が必要になったのでしょう。
唯一あの男にとってお金を作る方法があるとすれば、それはアメリアだけです。アメリアほど可愛いい娘はそういませんからね。欲しがる男どもなんて山程いるでしょう。」
エドモントの言葉にアメリアが震え上がった。思い当たる事があったからだ。
母親の顔色も一層悪くなった。しかし、それでもどうしたらいいのか判断が付かずにおどおどしていた。
そんな二人の様子にもどかしくなったジョージがこう叫んだ。
「何を迷っているんだ! エドモント様に助けを求めろよ。求めれば、助けてもらえるんだぞ。
アメリア、俺を信じろ! 俺がお前を一生守ってやるから!」
アメリアは瞳を大きく見開いた。そして、ジョージに向かって両手を伸ばしたのだった。
アメリアの証言で、アメリアの父親が連日博徒場に通い、多額の借金を作っていた事が判明した。アメリアを拐かそうとした男達と父親が一緒にいる所も、彼女は何度も目撃していた。
賭博と人身売買は重罪である。その上妻子に対する長年の暴行は許しがたい行為である。
フィリア辺境伯の命令で、騎士達が即座に動いた。そしてその日のうちに賭博場は閉鎖され、その場にいた関係者及び客達は一網打尽になった。その連中の中にはアメリアを拐かそうとした男達含まれていた。
しかし、アメリアの父親だけはその網をくぐり抜けて逃げ延びてしまった。
恐らくは、アメリアがジョージ達に助けられた現場を目撃していたのだろう。三人が逃げ込む場所を察知した父親は、自分だけ一人で逃げたに違いない。
その後アメリアの母親とまだ幼かった弟は母子寮へ入った。長年の夫の暴力で身体も心もぼろぼろで、療養が必要とされたのだ。
そしてアメリアは、フィリア家の屋敷で住み込みで働くジョージの両親に引き取られた。
ジョージとノアとアメリアは元々幼なじみだったが、これ以降はフィリア家の屋敷内で、本当の家族ように助け合って暮らしてきたのである。
ノアからあの男の話を聞いたジョージは、すぐさまフィリアへ帰ると言った。アメリアの事は一生自分が守ると誓ったのだから。ところが、ノアは予想だにしなかった事を口にした。
『わざわざお前がこちらに来る必要はない。明朝、アメリアはエキナセアお嬢様達とそっちへ向かうから。』
「は? なんで?」
『アメリアはお嬢様付きの侍女になったからだよ。アメリアの身を守る為に、旦那様と公爵様が計らって下さったんだ。
お嬢様とアメリアはあの男の事は知らないし、知らせるつもりもない。あの男の事はこちらで処理しておく。お前はベネフィット公爵家の騎士のふりをして、彼女達を守るんだ。わかったな?』
「お嬢様付きの侍女って、どういう事だ? 侍女の侍女をするのか? そんな話聞いた事ないぞ。」
『何馬鹿な事言っているんだよ。エキナセアお嬢様は侍女をやめて、元の公爵令嬢に戻るんだよ。リュカ殿下と婚約するために。
そうそう、屋敷に戻る前にフィリアガーデンで準備するから、明日そっちへアリーチェさんが行かれるって、親父さんに伝えておいてくれ。
あっ、そうだ。お前、再来週誕生日が来て十八になるだろう。そうすりゃ立派に成人ってことで結婚も出来るんだから、その準備もちゃんとしておけよ!』
「???」
「何の準備をするって?」
『結婚式のだよ。指輪とか衣装とか、色々あるだろう。』
「誰の?」
『お前のだよ。決まってるだろう。お前とアメリアの結婚式だよ。お前、アメリアを一生守るんだろう? それならさっさと結婚しろ!』
怒涛のようなノアの指示に、ジョージはただただ、混乱するのだった。




