72 リンドンの町での静養
エキナセアはリンドンの町が大好きで、幼い頃からフィリアへ来るたびに訪れていた。特に夏になると避暑をかねて長期に渡って滞在していた。故に町の人達ともすっかり顔見知りになっていた。
五年前、アナフィラキシーショックで死にかけてフィリアに来たエキナセアは、暫くの間屋敷から出られなかった。
その後、レアム先生と主治医の先生によって、徐々に回復していったのだが、劇的に体調が良くなったのは、秋になって訪れたリンドンの町のおかげだと、エキナセアは思っている。
エキナセアは、街道の人や馬車の流れを眺める事、土産物店や休憩所で人と話をする事、そして、ハーブ畑の花摘みの手伝いをするのが好きだった。
しかし、一番好きだったのは、意外にも東大山脈の山麓へ行く事だった。
山の麓を散策したり、木の伐採や運び出しをするところを眺めたり、木材加工場を見学したり。
森林組合の樵さん達や、その親方達、加工場の職人さん達ともすっかり仲良しになっていた。
そんな彼らは、久しぶりに現れたエキナセアを見て酷く驚いた。
元々彼女が病弱だとは知っていたが、以前より益々痩せて顔色が悪くなっていた。それでもニコニコして嬉しそうに微笑んでいる様子に、皆胸が詰まった。
トマスという名の樵の若者がエキナセアの側に走り寄って来て言った。
「嬢ちゃん、具合い、まだよろしくねぇんですか?」
「これでも、もう大分良くなったんですよ。」
エキナセアはニッコリ微笑んだ。すると、トマスの顔が真っ青になった。
「大分良くなったって・・・ あれから一年も経つっていうのに。すんません。」
トマスが帽子をとって頭を下げたので、エキナセアは驚いた。何故彼に謝られるのかわからなかった。
すると、エキナセアの付き添いで来ていたアメリアが慌てて言った。
「トマスさん、違いますよ。あの時の喘息の発作は一月程で治りましたから。今回の病気はトマスさんとは全く関係ありません。」
アメリアの言葉で、エキナセアはやっと、一年前にトマスの煙草の煙を吸い込んで発作を起こした事を思い出した。エキナセアにとって発作など年がら年中の事なので、すっかり忘れていた。
「誤解させてごめんなさい。私が体調を崩したのは都にいた時です。トマスさんには関係ありません。」
エキナセアの言葉にトマスはようやくホッと胸を撫で下ろした。
「そんでも、あんときは、本当にすまんかったです。まさか、たかが煙草の煙りを吸ったくらいで、あんな事になるとは思わなかったもんで。」
「煙草は吸っている本人よりも、むしろ周りの人の方が害があるといいますよ。」
アメリアが言うと、トマスは頷いた。実は、一年前、エキナセアが発作を起こした事に驚いたトマスは、皆に言われるまでもなく禁煙したのだそうだ。
すると、長年咳込む事の多かった母親の咳がピタリと治まり、風邪を引きやすかった妹も、風邪を引かなくなったらしい。
「俺、自分が生まれた時から体が丈夫だったんで気にもしなかったんですが、煙草って、本当に体に悪かったんですね。」
トマスがこう言うと、エキナセアは頷いた。
「トマスさん、禁煙されたんですね。良かったです。せっかくこんなに空気の美味しい所に住んでいるのに、勿体無いなって思っていたんです。」
「ここ、空気旨いっすかね?」
トマスや他の若い衆が首を捻った。
「都とは全然違いますよ。行ってみればきっとわかりますよ。」
すると森林組合の親方ホランドさんもこう言った。
「確かに、都の空気はいまいちだな。しかし、ラインストリームはもっと不味いぞ。エドモントさんのお供で何度もあの国に行ってるが、空気が不味すぎて、せっかく高級なレストランへ連れて行ってもらっても、ちっとも旨くねえ。うちのやつが作った飯の方がずっと旨いぜ。」
「親方、ノロケですか?」
「違う違う。まじな話だ。俺は、絶対にあの国にゃ住めねえな。」
真面目な顔でこう話す親方に向かって、エキナセアも頷きながら言った。
「それ、私もわかります。同じお弁当でもここで頂く方がずっと美味しいんです。」
「それはどこと比べてですか?」
アメリアが尋ねた。
「フィリアのお屋敷やリンドンのお屋敷と比べてです。都は問題外です。やはりここが一番ですね。」
エキナセアがそう言うと、
「そうだろうともさ。だから、嬢ちゃん、暫くここで暮らさないか? 体を治す為には飯を沢山食わないといかん。しかし、美味しく感じなきゃ飯は沢山食えねぇ。でも、ここなら旨く感じるんだろう?」
親方は嬉しそうに目を細めてこんな提案をしてきた。エキナセアはパッと目を輝かせたが、アメリアは慌てて言った。
「お嬢様、まだ無理してはいけませんよ。それに旦那様やレアム先生、お医者様にお伺いしないと。」
「今日、エドモントさんに用があって事務所へ行くから、嬢ちゃんが帰る時俺も一緒に行って、俺から話をしてやるよ。」
親方の言葉にエキナセアは嬉しそうに頷いた。そして、アメリアに向かってこう囁いた。
「私、大分自分の身の回りの事は自分で出来るようになったから、一人で大丈夫よ。」
しかしアメリアはとんでとない、という顔をした。
「お嬢様をお一人でここへ置いておけるわけがないじゃないですか。私もここでお世話になります。」
「駄目よ。アメリアさんには勉強があるでしょ。授業を休んだら、一人だけ遅れてしまうわ。」
その頃は既にアメリアとジョージとノアは、レアム先生の授業を受けていた。アメリアは勉強が大好きで、しかも大変優秀だった。エキナセアは彼女の邪魔だけは絶対にしたくなくなかった。
「お嬢様はそんな心配をする必要はないんですよ。私はフィリア家の使用人なんですから。」
アメリアの言葉にエキナセアは首を横に振った。
「アメリアさんは確かにフィリア家の使用人かもしれないけど、私の使用人じゃないわ。私にとってアメリアさんは、大切な学友であり、親友です。」
エキナセアの言葉に、アメリアは大きく目を見開いた。使用人ではなく、親友? この私が? 公爵家令嬢のエキナセア様の?
驚き過ぎて言葉が出ないアメリアに、ホランド親方は優しく言った。
「俺の娘は以前、伯爵様のところで侍女をしてたんだ。ちゃんと学校も通っていたし、嬢ちゃんの世話は心配ないぞ。」
ホランド親方の娘のミリエラさんが、結婚して辞めるまでフィリア家で働いていた事は、勿論アメリアも知っている。そもそも彼女に会った事もあるので、彼女が大変優秀な侍女だったという事はわかっている。しかも、彼女はフィリア家とは縁続きだ。
ミリエラさんに預ける事が心配なのではない。むしろ、自分がエキナセアにとっていらなくなるかも知れない事が恐いのだ。子供の手が離れたら、ミリエラに屋敷でまた働いて欲しいと、奥様から望まれている事を知っているから。自分はまだ十三歳で、初等学校しか通っていない。そんな自分より、専門学校を優秀な成績で卒業したミリエラさんが、お嬢様の世話をした方がいい事は、誰が見ても明らかだ。
エキナセアから親友と言われた事は確かにとても嬉しいが、アメリアにとっては、彼女の役にたつ侍女でありたい、という思いの方が強かった。
幼い頃からアメリアはエキナセアに色々なものを与えてもらってきた。それは言葉だったり、手紙だったり、本だったり、お菓子だったりするのだが、今回、レアム先生から学べるという夢のような機会を与えてもらった事は感謝しても感謝しきれない。
それなのに自分は、ジョージやノアと違い、エキナセアのために出来る事は何もない。そう、ただ笑って、側にいる事だけだ。それさえも出来なくなったら、そう思うと恐ろしくてたまらなかった。
結局、エキナセアはホランド親方の家で静養する事になった。転地療養先として理想的だと、レアム先生と医師、そしてエドモントが賛同したからである。
そして、ベネフィット家からフィリア家の騎士となったギーが、お供として付いて行く事になったのだった。
その夜、授業が終わった後、元気のないアメリアに気付いたジョージとノアが、何があったのかと尋ねた。アメリアは自分の不安についてためらいながらも話をした。すると、ジョージは目を丸くして羨ましそうに言った。
「えーっ。親友と言われたのか。いいなぁ。」
「私は、お嬢様の役にたつ侍女になりたいのよ!」
「役にたっているだろ。」
「何の役にもたってないわ。私はノアやジョージと違って何の才能もないし、何も出来てない。」
アメリアがつい感情的になって、珍しく声を荒げたので、ジョージは驚いて彼女の顔を見た。ノアもアメリアを見て静かにこう言った。
「お前、相変わらず負けず嫌いだな。俺達と争っているのか?」
「違う。」
「じゃ、何を気にしてるんだ。俺達はまだ子供だ。三人とも出来る事なんてそうない。だから、今は勉強が必要なんだろう。お嬢様はそれをわかっているから、屋敷に残れって言ったんだ。お前を必要がないと思っている訳じゃない。」
「・・・・・」
「ノアの言う通りだぞ。そもそも、必要もない奴を親友とは呼ばないだろ。お嬢様はお前に何かをして欲しいと思っている訳じゃないと思うぞ。お前が側にいて笑ってくれるだけで嬉しいんだ。お前だってそうなんだろう? お嬢様にお菓子や本をもらったから好きになったわけじゃないだろう? お嬢様の笑顔や優しい言葉が幸せにしてくれるからだろう?」
「・・・・・」
アメリアは珍しく涙をポロポロこぼした。
「俺達が今すべき事は、いつかエキナセア様の役にたち、かつ、側に居られる人間になれるよう努力する事だ。」
ノアの言葉に今度はアメリアもようやく頷いたのだった。




