4 友情の再構築
「そろそろ、手を離して頂けませんか、王女殿下。」
「嫌よ。」
「私は逃げたりしませんわ。」
「信じられないわ。貴女は今までずっと私から逃げていたじゃないの。」
アディールはソファの自分のすぐ隣りに幼馴染みを座らせて、今度は自分から両手をしっかり握りしめて離さなかった。
すると、お仕着せを着たベネフィット家の末娘は、困ったような顔で微笑みながら言った。
「私は逃げた事はありませんわ。そもそもアディール様からのお取り次ぎを、私は一度も受けてはおりません。」
「えっ? 私はたとえお返事を貰えなくても、何度も数えきれないほど手紙を出したわよ。先週も、出立する前に手紙を出したわ。」
アディールは驚愕した。幼馴染みが言っている意味が分からなかった。
「ですから、私は一度も王女殿下からのお手紙を受け取ってはおりません。そして同様に、私がお送りしていた手紙も、王女殿下には届いていなかったという事です。」
「・・・・・」
アディールは大きく瞳を見開いて、それからゆっくりと頷いた。
王家とベネフィット家は、五年前の出来事を無かった事にしたがっていた。その為に、リュカだけでは無く、アディールとエキナセアの縁まで完全に断ち切ろうとしたのだろう。両家で画策して。
「病気療養の為に公爵夫人のご実家へ転居したと聞いて、とても心配していたの。貴女の病状を尋ねても誰も教えてくださらないし、手紙を出してもお返事が戻ってこないから、そんなに体調が悪いのかって。リュカも気が変になるのではないか、と心配になる程落ち込んで、側で見ているのが、本当に辛かったわ。」
「ご心配おかけして、本当に申し訳ありませんでした。でも、実際、暫く危ない状態が続いたんです。そしてようやく意識を取り戻した時には、もう都とは遮断されていて、身動きが取れませんでした。」
「そうだったの・・・・ でも、また会えて本当に嬉しいわ。身体の方は、もうすっかり良くなったの?」
アディールは心配そうな顔で、エキナセアの状態を確認しようと、改めて彼女の姿を見回した。
「お陰様で日常生活にはほぼ支障はありません。ただ相変わらず体調に波があって、それには困っていますが。不定愁訴の塊みたいで、頭のてっぺんから足の爪先まで、身体全体があちこち少しずつ調子が悪いんです。まるでお年寄りのようで情けないです。」
そう、情けない。
自分の体調が万全だったら、隠れてでも王女の行列の後を追い、アディール様を守り通したのに。そうしたら彼女にこんなに辛く、惨めな思いをさせずにすんだかも知れないのに・・・と、エキナセアは思った。
アディールが書いた最後の手紙をエキナセアは実は読んでいたのだ。
王家から出す手紙は、まず政務事務局から各大臣下の秘書官を通して郵送係へと回される。
しかし執政官であるベネフィット家宛てのものは、親類のものも含め、郵送係には回らない。直接ベネフィット家の秘書が家へ持ち帰り、親類宛のものは、私設の使者が配達するのだ。
エキナセアはこの仕組みを以前から知っていたので、アディールから手紙が届かなくても悲観はしなかったし、自分の手紙が届かない事も、中身を検閲される事もわかっていた。
それでも手紙を出し続けたのは、私はあの日を忘れていません、と言う、一種のデモンストレーションの為だ。
偽名を使うとか、知り合いの名前を借りるとかも考えたが、情報が漏れたり、あるいは誤った情報が伝わる事を恐れて実行はしなかった。
それはともかく、王女が最後に手紙を出した時には、エキナセアは既に都の本宅に居たので、廃棄される前に彼女の手紙の内容を知り得たのである。
だから、色々な所と連絡を取りあい、今回のお見合いが無事に、よい方へ進むようと急いで準備を進めたのだ。それなのに出立の直前に体調を崩してしまった。
「急ぎだからといって、無理をし過ぎたね。」
と、フィリアに居るレアム先生には叱られた。
「もっと自分の身体を観察し、制御して、体調をコントロールしないといけないよ。」
と。
いつ体調が悪くなるのかわからないエキナセアは、元気な時は動けるうちに出来るだけやってしまおうと、つい無理してしまう悪癖がある。そしてその度に無理をし過ぎて体調を崩してしまうのだ。
しかし今回体調が悪くなったのは、決して無理したからではない。不可抗力だ。
何故なら、気象観測官の出していた予報が外れて、突然大きな低気圧がやって来たせいなのだから。
信じてくれる人はまだ少ないが、気圧と体調は大きく関連している、とエキナセアは考えている。今、フィリアで設立した不定愁訴研究会とこの都の大学で、データ収集を始めたところだ。
それはともかく、出立当日、エキナセアは激しい頭痛とめまいに襲われた。
しかも、身体にまるで重りをつけられたかのように重くなって、全く身動きがとれなくなってしまったのだ。
気圧の変化による身体の影響は、その度に違うのだが、今回は、今までの中でも最悪だった。
数日前の失敗が蘇り、エキナセアが悶々としだした時、
「私にあなたを診察させてもらえないかしら。私にも何か出来る事があるかも知れないわ。直ぐには無理かもしれないけど、エキナセアの体調不良を少しでも軽くしたいの。」
とアディールが言った。
「王女殿下は、五年前と少しもお変わりになっていないのですね。嬉しいです。」
エキナセアは俯いていた顔を上げ、本当に嬉しそうに笑った。
昔、エキナセアは王女やリュカ王子と遊ぶ約束をしていても、体調を崩しては、ドタキャンをしてしまう事がよくあった。その頻度があまりにも多かったので、申し訳なくなって、次第に約束自体をしなくなった。
それなのにアディールは、周りの者に何を言われようと、事あるごとにエキナセアを誘っくれた。
「体調が良かったらでいいから。無理しなくていいから。」
と。そして、そんなある日、こう言ってくれたのだ。
「私、大学では医学を学ぶわ。そして、絶対にエキナを健康体にしてあげる。そして、元気になったら、一緒に世界中を旅しましょう。世界はきっと素晴らしいもので溢れていると思うの。」
この言葉が、エキナセアの生きる支えの一つとなった。
どんなに辛く悲しい時も、私はいつか元気になって、絶対にアディール様と旅に出るのだと、歯を喰い縛り、踏ん張ってこられたのだ。
しかしアディール王女の方は、変わっていないとは誉められているのかしら、それとも成長していないという事なのかしら? と、一瞬悩みそうになったが、エキナセアはいい顔で笑っていたので、まあいいか、と思った。
「エキナセアの方はずいぶん変わったわね。すっかり大人になったわ。それにそのお仕着せ姿じゃ、気付かなくても当たり前だわ。」
「本当にこのお仕着せには助かっています。私のこの姿に気付けるのはリッカルド様と、アリーチェさんくらいじゃないでしょうか。」
アリーチェはもともと本宅の侍女長だったが、エキナセアがフィリアへ転居した際に、自ら望んで彼女の世話をするために、フィリアへ出向いてくれた。
そして、今回も一緒にここについてきてくれたのだ。四面楚歌の公爵家の中で、本当に心強くて有り難い。
「私に会う為に、わざわざそんなかっこうまでさせてごめんなさいね。」
王女は申し訳なそうに言ったが、エキナセアはクスクス笑った。
「別にわざわざ変装したわけじゃありません。私、今、ここで侍女をしているんです。」
「えっ? どういう事?」
「私の今の名前はブルブレア=レベッカといいます。ですから、王女殿下にもブルブレアと呼んで頂ければと思います。」
「ブルブレア・・・・ 何故?」
「王女殿下もご存知の通り、ベネフィット家では、エキナセアという娘はいない事になっておりますので。」
「そんな!」
「私も本心を言えば、ここには戻りたくはなかったのです。でも、どうしても大学で学びたくて。都にしか大学がないので仕方無く。それに、女が大学に通いながら働ける場所もそうそうないですしね。ここに置いてくれなければ、五年前の真実をばらすと脅したら、渋々許してもらえました。」
エキナセアがさらっとこう言ったので、王女は口をポカンと開けて絶句した。
今目の前にいるのは、本当にあの可愛くて、優しくて、おとなしかったエキナセアなのかしら。いや、今も十分可愛いいけれど。性格が大分逞しくなったような・・・
あまりに想定外の事が続いたので、アディールの優秀な脳も、今の状況を理解するのに少々手間取った。
それを察したのか、エキナセアも黙って、彼女の顔をただ静かに見つめていた。
『そうよね、エキナセアは私とは違い、苦労してきたのだもの、強くなっていて当たり前だわ。きっと、私の様にのほほんとしていたら、生きてこれなかったのよね。それにしても、働きながら大学へ通うなんて、なんて立派なんでしょう。』
アディール王女は、今のこの状況を自分に納得させようと、必死に心の中でこう言葉にした。そして同時に、ある事に気付いた。




