3 招待のための新ルール
屋内に居ると季節を感じないが、外は眩しすぎるほどの夏の光に包まれていた。この窓を開けたら、さぞかし暑い事だろう。
数年前までは、王家だろうと公爵家だろうと、真夏になれば僅かな風を求めて、全ての部屋の窓を開け放していたものだ。
ところが、東隣りのストリームライン共和国が発明した冷風機が輸入された途端、王家も高位貴族達も競うようにこの魔法の様な工業製品に飛びついた。
そしてあっという間に、冷風機を持つ事が裕福さのステータスとなったのだ。
しかし、この冷風機を本当に必要としているのは、裕福な人間ではないのではないかしら。とアディールは思う。
何故なら、じっとしていると寧ろ肌寒く感じるからだ。本来、身体を動かして働いている人達にこそ必要なアイテムではないだろうか。もしくは病院とか育児施設とか。
アディールがブルッと身震いした時、ドアをノックする音がして、ティーセットが乗ったワゴンを押しながら、侍女が客間に入ってきた。
「アディール様、お寒くはありませんか? カモミールティーをお持ちしました。召し上がりませんか?」
寒いという事を確信しているのか、丸い黒縁をかけた小柄な侍女が、まずは薄手の膝掛けを王女に差し出しながらこう尋ねてきた。
アディールはソファーの場所に戻ると、それを受け取った。
「ありがとう。頂くわ。今、身震いしたところだったの。嬉しいわ。」
「申し訳ありません。冷風機はとても便利で素晴らしい製品だと思うのですが、温度調節が難しい点がちょっと。」
「私は暑さに強いので、スイッチを切って頂いても構わないのですが、無理なんでしょうね。」
アディール王女が苦笑いを浮かべながら言うと、侍女も困った様な顔をして、無言で頷いた。
お客を冷風機で饗す事が、今や高貴な家のマナーに成りつつあったのだ。古い伝統を守り、なかなか新しい事を取り入れない貴族社会では珍しい現象だ。
それしても、なんて融通が効かない社会なんだろう。何でも右に倣えすればいいと言う訳でもあるまいに。もっと臨機応変に出来ないものか。王家がまずそれを発信するべきなのか。
いや、それは無理だわ、とアディール王女は、ガンガンに冷えた部屋で寛ぐ兄達の姿を思い浮かべて、心の中で否定した。
侍女は王女の前にガラスのティーカップを静かに置きながら、こう言った。
「やはり、冷風機を創った技術者の方は男の方なのでしょうね。男の方は女性より暑がりだそうですから。冷風機のせいで、冷えて困ると申している女性は周りに多いんですよ。」
「まあ、やっぱりそうなのね。医学的見地からも、女性の冷えは心配だわ。冷風機の使用方法を、今度厚生大臣に打診しなくてはいけい・・・」
と、ここまで言いかけて、王女は慌てて両手で口を覆った。
自分は今婚約破棄をされて、外交問題を起こし、筆頭公爵家で執政官をしているベネフィット家に迷惑をかけている。そしてその上、お世話になっている身分だ。
しかも、公爵家の次男のリッカルドはその厚生副大臣ではないか。
失敗した。
こんな発言をベネフィット家の方々に知られてしまったら・・・アディール王女は焦ったように侍女の顔を伺った。
しかし侍女は俯いたままだったので、表情は読めない。
この侍女は今日初めて見る者だ。同じお仕着せを着ているので、侍女の見分けは全くつかないが、眼鏡をかけている者は今までは居なかった。
そういえば、会話らしい会話をしたのも、この侍女が初めてだ。何故かしら彼女には親しみを覚える。どうしてかしら。
アディール王女は頭がいいが、それは学問上の事だ。
彼女は自分が良いと思う事、人の為になると思う事に対して、猪突猛進する傾向がある。
王女でありながら、彼女は医者であり、薬学にも秀でいたので、主に医療や健康、精神面に対する思いは計り知れないものがあった。
しかし残念な事に、彼女には策略や戦略などは全く立てらないし、根回しなどという考えも毛頭ない。王族としては致命的な欠陥である。
今までどうやって大きな災いに巻き込まれずに過ごせてきたのか、それが不思議なくらいである。
まあ、彼女のこのような性格は、世間一般の常識となっているので、王侯貴族のみならず、庶民からも愛され守られてきたお陰だろう。
もっとも、それは外国では通じない事が、つい先日証明されてしまったが。
「ええっと。ベネフィット家に仕えている方にこんな事お願いするのは、本当に心苦しいのですが、先ほどの私の失言は、聞かなかった事にしていただけないかしら。」
「・・・・・」
「自分の立場も弁えず、本当に恥ずかしいわ。」
「王女様が私の様な者にお願いなどと、それこそ滅相もありません。それに、王女様は何も間違った事などおっしゃってはいません。」
侍女は力強くこう言った。
しかし、アディール王女は首を横に振った。
「いいえ、私は国に意見を言ってよい人間ではもう無いわ。だって、もしかしたら、この国の平和を乱しかねないような失敗をしてしまったのですもの。」
すると侍女は膝を付き、ローテーブルに両手をつくと、王女の方に顔を近づけてこう言い放った。
「アディール様は何一つ間違った事はしていません。アディール様は、ただ病で苦しんでいる人をお助けしただけです。」
アディール王女は驚いて瞳を大きく見開いた。
自分の婚約破棄、及びその理由は、箝口令が布かれている筈だ。いくら家の者だからといって、執政官ともあろう方が漏らすとは思えない。
しかもこんな年若い侍女に。この侍女は一体何者なの?
危機管理能力がやや欠如気味のアディール王女ではあったが、流石に身構え、侍女から少しでも距離をとろうと、後ろに身を引いた。
しかし、彼女の両手は侍女の手に捕まってしまった。
「アディール様、怖がらないで下さい。私は怪しい者ではありません。どうか私の顔をよく見て下さい。」
「えっ?」
アディール王女は再び驚いて、今度はまじまじと侍女の顔を見つめた。
そして、間もなくポロポロと涙を流し始めた。
しかし、その涙を拭う事は出来なかった。何故なら、彼女の両手は、大好きだった幼馴染みの温かい手に包まれていたのだから。
最初に見た瞬間から、彼女に対して不思議と親しみを感じていた。でもそれは当たり前だ。
五年間ずっと会いたかった、ずっと忘れられなかった、大切な友人だもの。




