35 研究室への訪問者
フィリアガーデン会議が行われてから三週間後、エキナセアとジョージは大学の食堂で先輩に話かけられた。
会議の前日に初めて会話してから、エキナセアはアリステア=ロマンド先輩と意気投合し、すっかり仲が良くなっていた。
「ねえ、二人にちょっとお願いがあるんだけど、時間あるかしら?」
アリステアがこう尋ねてきたので、二人はもちろんですと頷いた。
「今度、『四国医薬品貿易会議』が開かれのは聞いてるでしょ。」
アリステアの問いに二人はまた頷いた。聞いているも何も、二人はその発起人のメンバーである。
エンチャント皇国とストリームライン共和国と貿易交渉をするなら、いっそアグリ連邦共和国も加えて、四国でやればいいではないか、という話になったのだ。
サプリメントや健康食品は、アグリの農産物が原料となっているものが多いのだから。
「それでね、厚生部の方から、アグリ国とのサプリメントの交渉を手伝って欲しいと、先生を通して依頼があったのよ。」
もちろん二人はその事を知っていたが、初めて聞いたような顔をした。
「何故私なのかさっぱりわからないけど、どうしてもと頼まれて、断れなくなって。」
「確かにサプリメントの専門家ならたくさんいらしゃるでしょうが、それに加えて栄養学まで極めているのはアリステア先輩しかいないですわ。」
「えっ? そんなこと無いわよ。」
「それに、アグリ国とも何度も行き来して、あちらの情報も詳しいじゃないですか。果物の知識も都の人とは比較に成らないほど持ってるし。」
二人にそう言われると、あれ? そうかもと、なぜか急にストンと府に落ちたアリステアだった。
「でも、私だけでは不安だわ。二人にも手伝って貰えないかしら。」
いつもは強きの先輩が少し弱気になって、年下の後輩に頼んできた。それはそうだろう。四つの国の代表が集まって開かれる会議など、あまり聞いたことがない。不安にならないはすがない。
「もちろんです。俺達がどれくらい役にたてるかわかりませんが、精一杯お手伝いさせて頂きます。」
「会議の当日はご一緒出来ないと思いますが、準備の方はできる限りのお手伝いさせて頂きます。」
エキナセアのこの言葉に、アリステア先輩は驚いた顔をした。
「何故、当日は駄目なの?」
「先輩、私、体調に波があって、当日に体が動くかどうかわからないんです。ですから、ご迷惑をおかけしたくないのでお約束は出来ないんです。」
先月、アディール王女のエンチャント皇国訪問の際、台風の影響で当日になって同行出来なかった事は、エキナセアにとってかなり辛い、情けない事だった。また今度そんな事になったら立ち直れなくなりそうで怖かった。
それに今更なのだが、自分がトールキャッスルで通行の認可証が貰えるかどうか、甚だ疑問に思えてきたのだ。たとえあの時体調が悪くならなくても、結局はこの国を出られなかったかも、と思ったりもしていた。
エキナセアの言葉に、アリステアはそうだったわね、と頷いた。幼い頃から病弱で、学校にも通えなかったという事を失念していた。
「ごめんなさいね、ブルブレアさん。いつも熱心に勉強に励んでいる姿しか見ていなかったので、つい忘れていたわ。」
「いいえ、気になさらないで下さい。本当はちゃんと責任を持って最後までお手伝いをしたいんです。でも、自分では自分の体をコントロールできなくて。」
エキナセアが情けなさそうに言うと、ジョージが言った。
「つい先日も、お屋敷のご用で外出した時、階段を上る途中で、目眩を起こして倒れた事があるんで、無理はさせられないんですよ。以前と比べれば、大分元気になったんですけどね。」
階段で倒れたという事実にアリステアは驚いた。
「それで怪我はしなかったの? 大丈夫だったの?」
「ええ、後ろにいた方が受け止めて下さったので、お陰様で事なきを得ました。」
「まあ、凄い偶然ね。そんなたくましい方に遭遇するなんて、運が良かったわね。その方独身? それにしても、それが縁でロマンスが生まれたりして。」
アリステアが頬を紅潮させて、わくわくしながらこう言ったので、後輩二人はその意外な乙女チックな反応に少し驚いた。
それと同時にその発想が、少しだけ当たっていたので、どう反応して良いのか困ってしまった。
もっとも、助けてくれたのはたくましい大人の男性ではなくて、美しい少年、しかも王子様だったのだが、その真実は言えない。
先輩はしばらく妄想に耽っていたが、しばらくしてから真顔になってこう言った。
「ブルブレアさん、会議が終わったら、あなたがもっと元気になれるように、私ももっと栄養学から研究してみるわ。あなたは予防医学から頑張って。」
エキナセアは目を見開いた。リュカ王子様、リッカルドお兄様、アディール王女様、弟のディル、ジョージ、ノア、アメリア、フィリアの人達・・・そして、新たにアリステア先輩まで、自分の事を心配してくれる。
自分はなんて幸せ者なのだろう。
「嫌だ、泣かないで。私がまるで苛めているみたいじゃない。」
アリステアは少し照れながら、冗談めいてこう言ったが、エキナセアの涙は暫く止まらなかった。
そしてその後、二人の後輩と別れてから、ようやく自分の失言に気がついて、アリステアはかなり落ち込んだ。
「あの二人は恋人同士なのに、別の人とロマンスがあるかもだなんて、無神経にもほどがあるわ。
別にブルブレアさんに新しい恋人が出来たら、私がジョージさんと、なんて下心は全くなかったのに、何故あんな事言ってしまったのかしら。道理で二人とも微妙というか、複雑な顔で笑ってたはずだわ。もしかして、泣いたのもそのせい?」
彼女は翌日彼らとまた会うまで、悶々と過ごしたのだった。
夏休みが終わり、大学も始まると、エキナセア達も授業の他に四国医薬品貿易会議の準備もあり、益々忙しくなった。
昼休みも、そして講義のない空き時間も、三人は大学の研究室に籠っていた。四時になると、エキナセアは子供達の家庭教師をしなくてはいけないので屋敷に戻ったが、その際はジョージを抜けさせるわけにはいかないので、リッカルドが手配した馬車で帰っていた。
そんなある日、三人が籠っていた研究室に、突然の来客があった。
たまたま扉の近くにいたアリステアがノックの音でドアを開けたのだが、廊下にいた人物を見て固まった。
なんとそこにはベネフィット公爵家のリッカルド厚生副大臣が立っていたのだ。
リッカルドはアリステアより一つ年下だが、この大学を二年前、十八歳の時に卒業している。しかも、卒業論文とともに、博士論文も提出してしまったという、前代未聞の秀才だ。
確かに大学の最年少卒業者はアディール王女かもしれないが、最年少博士号をとったのはリッカルドだった。それにそもそも高等学院中に戦争に従軍していなければ、卒業の方も最年少たったかもしれないと、みんな思っていた。
その伝説の秀才が目の前にいる。
「先輩、どうしたんですか?」
エキナセアが振り向くと、そこには兄が立っていた。
「あなたがアリステア=ロマンドさんですね。初めまして。私はリッカルド=レイア=ベネフィット。厚生部の者です。
この度は、四国会議のメンバーになって頂き、ありがとうございます。」
リッカルドは廊下で丁寧に挨拶をした。アリステアは慌てて、リッカルドを部屋に招き入れて、失礼を詫びた。
「申し訳ありません。私、驚いてしまいまして。」
「いえ、こちらこそ、前触れ無しに突然訪問してしまい、申し訳ありません。これは差し入れです。どうぞ召し上がって下さい。」
リッカルドは菓子かケーキが入っていそうな紙の箱を差し出した。アリステアが受け取るのをとまどっているうちに、エキナセアがさっと近づいてそれを受け取り、
「リッカルド様、こちらにお座り下さい。今、お茶を淹れて参ります。」
そう言って、自分が座っていた椅子を指指し示した。すると、リッカルドは頷いて、言われるままにそこに座った。
そして隣りに座っているジョージに、
「今日は私が送っていくからね。」
と話しかけた。
「はい。わかりました。よろしくお願いします。」
ジョージも自然に答えている。
この二人の態度に、アリステアは唖然とした。何故、そんなに平気なの?
「この二人はお役にたっていますか?」
「あの、ベネフィット様はお二人をご存知なのですか? 」
アリステアが驚いて尋ねると、リッカルドが不思議そうな顔をした。
「もちろんですよ。ジョージ君が仕えるフィリア辺境伯は私の母の実家ですから、彼とは子供の頃からの顔馴染みです。それにブルブレアは今、うちで働いていますからね。」
「えっ?」
アリステアは飛び上がらんばかりに驚いた。そして、ジョージの方を見てこう言った。
「何故この事を黙っていたの?」
「えっ? 何故と言われても。」
ジョージの方もきょとんとしている。アリステアの質問の意味がわからないようだ。しかし、アリステアの方はようやく合点がいった気がした。
「何故私がメンバーに選ばれたのか、どうしても不思議だったのだけれど、あなた達が推薦したのね。」
しかし、それは即座にリッカルドに否定された。
「違いますよ。私はあなたの論文『栄養学と健康寿命の関係性の洞察』を読んでいたので、貴女の優秀さ、研究テーマの素晴らしさを知っておりましたので、私が推薦させて頂きました。貴女と彼らが知り合いと知ったのはその後ですね。」
「私の論文を読んで下さっていたのですか。」
「ええ、私は運動による健康寿命の関連性を研究していたので、それとは違う視点からの研究だったので、とても興味深かったです。」
「ありがとうございます。読んで頂いていたなんて光栄です。」
そこへエキナセアが現れて、みんなにお茶を配った。そしてとても嬉しそうに言った。
「リッカルド様に教えて頂いて、私も先日先輩の論文を読ませて頂いたのですが、本当に素晴らしくて感動しました。私自身も是非試させて頂きたいです。」
「ブルブレアさんの場合は、まず偏食を少し治した方がいいのではないかしら?」
アリステアがこう言うと、三人が顔を見合わせて表情を曇らせたので、アリステアは少し慌てた。私、何かいけないことを言ったかしら?
すると、リッカルドが意を決したように言った。
「ロマンドさん、貴女の事を信用してお話させて頂きますが、ブルブレアは好き嫌いで食べ物を選り好みしている訳ではないんですよ。」
「えっ? 病気で制限されているのですか?」
「病気というより、食物アレルギーなんです。食べると命にかかわるんです。アレルギーの事はご存知ですよね? 論文の中にも書かれてありましたし。」
リッカルドの説明にアリステアは驚いた。まさかブルブレアが食物アレルギーとは。
道理で食事が偏っているわけだ。ああ、何故もっと早く気が付かなかったのか。悪い事をしてしまった。食物を学んでいる身でありながら、自分の配慮のない発言に申し訳なくなった。
「ブルブレアは五年前に、食物アレルギーによるアナフィラキシーショックを起こして、生命の危機に陥った事がありましてね。でも、なかなか相談できる所がなくて困っていたのです。
会議が終わって一段落したら、ブルブレアの相談にのってもらえないでしょうか。特に食物の代替品などについて、栄養学からの視点でサポートして頂けると助かります。」
リッカルドの依頼にアリステアは頷いた。
「もちろんです。ブルブレアさんは大切な後輩で友人だと思っています。彼女の体質改善というか、もっと健康になって貰いたいと元々思っていましたし。」
「そうそう、アリステア先輩は先日もそう言っていましたよね。それでブルブレアさんが大泣きして。」
ジョージの言葉にリッカルドは嬉しそうに微笑んだ。
「そうだったんですか。ブルブレアは都にも良い友人がいたんですね。ありがたいことです。」
ブルブレアが大きく頷いたのを見て、アリステアは彼女の耳元で小さくこう囁いた。
「ブルブレアさん、思いやりのある方の元で働けて、幸せね。」
ブルブレアは少し驚いた表情をしたが、すぐにふわりと微笑みを浮かべて言った。
「リッカルド様の元で働けて、本当にありがたいです。私はとても幸運です。」
と。




