第九話 血の地下道
奥の人影が灯りをこちらに向ける。
揺れる灯りの中で、その人影がゆっくりと身体を向けた。
エディウスは灯りを掲げ、目を凝らす。
そして、静かに剣を構えた。
ジリ……ジリ……
地面を踏む足音が近付いてくる。
「おや…?君は……たしか…。」
「……。」
エディウスはその存在に固まる。
(何故コイツがここに…!?)
人影は口元だけで笑った。
「ユスティア…支部長…。」
エディウスはユスティアの足元に視線を落とす。
足元には、黒く広がった血溜まり——。
まだ乾いていない血が、灯りに照らされて鈍く光っている。
「ああ。これですか…?」
ユスティアの口元がわずかに歪む。
ユスティアの靴底が、血を踏んで音を立てる。
「この辺りの集落の人から、獣がいるから助けて欲しいと…獣を追っていたらここへ辿り着いてしまったんです…。おっ。足元には気を付けてくださいね。血で滑りますので。」
「……。」
一行は不気味に微笑むユスティアに言葉を失う。
「ん?まさか討伐依頼だったのですか?」
「…は、はい。」
「遅かったですね。もっと目を光らせないと……。ね?言ったでしょう?コール大陸の隊員は甘いんですよ。」
(本当に獣だけなのか?…この血の量…獣の原型すらない……。)
エディウスは血溜まりを見つめたまま、顔を顰める。
「そんなに怖い顔しないで下さい。正義の為です。手を差し伸べただけ。ちゃんと獣を討伐しました。依頼に記載されていた数は五頭で合ってますか?」
「…合っています……。ですが、正確な数は分からないと…。」
「そうですか。ひとまず、依頼達成ですね。それじゃあ私はこれで……。」
誰も返すことが出来なかった。
そして一行の元へユスティアは向かって歩き出した。
ピチャ…ピチャ……
血を踏む音が地下道に響く。
水とは微かに違う粘り気のある音。
すれ違う瞬間、エディウスの手に握られた剣に、僅かに力が入る。
その瞬間、ユスティアの視線が一瞬だけ剣に向いた。
最後尾のアジルとすれ違う瞬間。
ユスティアの視線が、僅かにアジルへと流れる。
その瞬間——
エディウスは剣をギリッと音を立てて強く握っていた。
「集会で会いましょう……。」
完全にすれ違い、ユスティアは小さく零した。
ユスティアは一行が来た道を進んで行き、やがて影が闇に消える。
エディウスは止めていた息を大きく吐いた。
「フー…。」
剣を握る力を緩め、納めると掌には汗が滲んでいた。
「彼とは知り合い?」
ディルケはエディウスに近寄り問う。
「アンティカル大陸の支部長です…。依頼の獣は…彼が討伐したようです。一応警戒しながらこの先へ進んで一旦外に出ましょうか。」
それから一行は地下道を進んだが、獣の姿はなかった。
その際、ミトは歩く先を隈なく見回し、時より頷いていた。
しばらくすると、外へ出て集落へと足を運んだ。
そこで一人の村人を見つける。
「たまたま通り掛かった隊員さんにお願いしたの。」
『隊員さん!獣が出たみたいなの!』
『分かりました。すぐに討伐します。外は危険です、家の中へ!』
「血相を変えて走って行ってしまった…。あんな顔の隊員さん、初めて見たわ。剣を抜いたまま、森へ走って行ったのよ。早く家に入って下さい!って……獣をちゃんと討伐してくれたのね。お礼は言えなかったけど、本当に良かったわ。会ったら感謝してるって伝えてもらえるかしら?」
集落の村人は胸に手を当て、ホッとした様子で言った。
村人の話を聞き、アジルと顔を合わせる。
「そう…だったんですね。わ、分かりました。」
(彼…本当は良い人なのか?当たり前だけど、困っている人を助けている…。)
そして一行は集落を後にした。
地下道へ向けて歩く一行は鳥の鳴き声に上空を見上げた。
鳥はエディウスの肩に止まる。
エディウスは脚括られた手紙を開いた。
「……。」
「どうしたの?」
「隊長の家に昨日の夜——アイベルさんが言っていた、夜襲のことだ…。」
一行は顔を顰めた。
「数は四人…。恐らく…」
「アンティカル大陸の人達?」
アジルはエディウスの言葉を遮り、声を上げるとエディウスはゆっくり頷いた。
「…その四人とは?」
ミトが眉をピクりと上げ、問う。
ディルケは首を傾げていた。
「そのうちの一人が、先程地下道にいたあの人です。」
(あの顔……何処かで…。)
ミトは眉を顰め、心の中で呟いた。
そして、一行は再び地下道へと入った。
「お主…何か気に掛かる事が?」
「はい。恐らくアジルも同じ気持ちだと思います。」
村人の話を聞いた瞬間に変化した表情——。
ミトとディルケは、二人の様子が気になっていた。
「…実は、僕達はこの間アルブ・ピリスでアンティカル大陸の人達と対峙しました…。剣は交えることはありませんでしたが、危うく命の取り合いに……。」
アジルは頷く。
「でも…村人の声を聞いて、迷うことなく獣を討伐した…。…全然人が違うように感じていたんです。」
「私も…。さっきの夜襲の件もそうだけど、野蛮な人達だと思ってたんですけどね。」
エディウスに続き、アジルは俯きながら言った。
「…今日の夜、集会で会うんじゃろう?ワシも参加しても問題ないかのう?」
突然ミトが口を開く。
エディウスは目を大きく開いた。
「…僕達は構いませんが、一応ブルク長老に一報入れないと……。…何故参加を?」
「あの隊員、ユスティアと言ったか?ワシは何処かで見たことがあるかもしれん。もう一度じっくり顔を見たいのじゃ。」
「……。」
エディウスはすぐに返事が出来なかった。
ミトの言葉の意味を考えていた。
「…でも、密閉された室内では危険かもしれませんよ?」
アジルは強く言う。
するとディルケはアジルの肩に手を置く。
「君達がいるじゃないか。守ってくれるだろう?」
ディルケは笑顔で言う。
ディルケの表情を見てアジルは微笑む。
「でも…彼らは危険です。今の時点で良い人間かどうか分かりません。隊長達もいるけど…」
「君達は強い。僕は信じているんだ。」
エディウスの言葉を遮りディルケは続けて言った。
エディウスは口を強く結ぶ。
「とりあえず、依頼は一応達成でしょう?オラディ村に帰ろう。今夜の集会に向けて、ブルク長老の所に行こうよ。」
ディルケが締めると、一行はオラディ村に向け地下道を後にした。
——ブルクの家
壁一面に並ぶ本棚の前で、ブルクは一冊の本を抜き取った。
椅子に腰を下ろし、ゆっくりと表紙を開く。
古びた紙は長い時間を経て、薄茶色に変わっていた。
『小人戦史録』
掠んだ字で題名が刻まれている。
ブルクはゆっくりとページを捲る。
(あの夜を思い出し…この書物に手を伸ばす…。いつぶりか……。)
『主の仰せは二つの村落。"血浴"は無情に行った——。』
パタン……
ブルクは本を閉じ、静かに目を瞑る。
コンコン…
扉を叩く音が、部屋に響く。
ブルクは立ち、扉に向かった。
「ブルク長老。」
「おお。エディウスか…。それと…。」
ブルクはアジル、ディルケ、そしてミト——一人ひとりの顔を見て、部屋へ迎えた。
一同はテーブルを囲い座る。
「何用かな?」
「長老様。ワシも集会に呼んでは頂けませぬか?」
ブルクは首を傾げる。
「お主は…。」
ブルクは眉を顰めた。
「ワシはミトと申します。」
ミトは頭を下げゆっくりと顔を上げるとブルクを見つめる。
「ワシは商人でしてな…。人の目を見ると——その人間が歩んだ道が少しだけ見える……気がするだけかもしれませぬが…。癖でして…。」
ミトは長い髭を撫でながら、静かに微笑んだ。
「のう……。」
そして——ミトはブルクの瞳の奥を静かに見つめた。
「"血浴の剣聖"様——。」
一瞬時が止まる。
「……。」
ブルクは言葉を失い、瞳を大きく開いた。
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
指先が僅かに震え、ブルクの顔から血の気が引いていた。
そして、一つ息を呑む。
「……二人にしてくれぬか?後の集会でな。」
ブルクは言うと、エディウス達は首を傾げるが、静かに部屋を後にした。
(ブルク長老のあんな表情は初めて見た…。)
中央通りを歩きながら、エディウスは何度もブルクの家を振り返った。
「ミト…。あの人は何者なんだ…。そうだ、ディルケさんはダイアボに来る前に、ミトさんと会ってますよね?」
「うん。」
「何者なんですか?」
「…何者って言われても…。商人としか言われてないんだよねー。グレイスラックで僕はユイベルちゃんに助けられた。その時にはミトさんもその場にいたんだ。」
エディウスとアジルは口を結び頷いた。
「ただね。面白い話を聞いた。さっきまで僕達がいた地下道あるだろう?あれは神樹ラヴィエルの根が張った後らしい。遥か昔、世界中に広がった根が地中に空洞を作ったとか…。」
衝撃の発言にエディウスは言葉を失う。
「ミトさんの知識量は凄いよ。だから僕はずっと彼と一緒にいたんだ。」
(白く伸びた髪と髭…深く刻まれた皺。だが——ミトさんの瞳だけは、老人とは思えないほど生き生きしていた…。歳は…?)
エディウスは顎に手を当て心の中で呟いた。
陽は傾き、低い光が中央通りを照らしていた。
多くの謎に頭を悩ませるエディウスとは裏腹に中央通りの広場では無邪気に遊ぶ子供達の声で溢れ返っていた。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん!」
呼び掛けに振り向く三人。
「あれ?一人増えてる?あ!湖で私が助けた人!」
ユイベルの声に、ディルケは笑顔で手を上げた。
そこにはアイベルと手を繋ぐユイベルがいた。
「お疲れ様です。アイベルさん、ユイベルちゃん。」
エディウスは笑顔で返した。
「おーい。」
続けてアイベルとユイベルの後ろから手を上げて声が上がる。
目を凝らすとフィオルだった。
フィオルは一行に向かい駆け出した。
「皆お疲れ。いよいよ今夜の集会だね。」
集会を見据えてフィオルは声を掛ける。
「「お疲れ様です。」」「お疲れ様フィオル。」
「そうね…。いよいよ…今夜…。」
顔を強ばらせアイベルは言う。
「二人とも聞いて下さい。」
エディウスはフィオルとアイベルの顔を交互に見てから口を開いた。
「今回の討伐依頼なんですが……。」
「ああ、早めに終わったみたいだな。」
「いや、実は…。」
エディウスは眉間に皺を寄せる。
「どうした?」
「ユスティア支部長が討伐しました。」
「は?どういうことだ?」
「あの…私達が地下道へ着いた頃には、討伐対象の獣はユスティア支部長が対処していたんです。地下道で彼に会いました。そして、近くの集落で村人の方から話を受けました。」
「たまたま通り掛かったユスティア支部長に、村人が助けを求めたみたいです。…彼はその声を聞いて、直ぐに動いたと…。」
フィオルは腕を組む。
「アルブ・ピリスでの対峙、隊長宅への夜襲…でも、守護者としての使命を即座に果たしました。正義の為…手を差し伸べたと言ってました。」
「そう…なのか。…だが、決して警戒は解かない。今夜の集会で彼の本性を見る。この集会は重要な話が多く語られる。精神的にもかなり疲れると思うが…よろしく頼む。」
フィオルの言葉に一行は頷いた。
陽は次第に山に隠れ始め、中央通り沿いの灯りがともり始めた。
「行こうか。」
そして一行は会議所に向けて歩き出した。
——ブルクの家
「ワシの過去を知ってるとは驚いた…。」
「ですが、自身の目で"あの夜"を直接見たわけではありませぬ。今の長老からは信じ難い過去です…。」
「いつかは話さなければならぬ事。お主の集会への参加は認める。その知識を…今を生きる若い者達にも話してもらいたいものじゃ。」
ミトはゆっくりと頷いた。
「さて…そろそろ出るとしようかの。」
そして、ブルクとミトは立ち上がり、会議所に向け部屋を後にした。




