第七話 祝福と影
カチャ
扉の音が聞こえたアイベルは、朝食の準備の手を止め、ユイベルと寝ていた部屋に向かう。
そこには扉から半身だけ出し、不安げな表情を浮かべるユイベルがいた。
「おはよう。よく…眠れた?」
「おはよ…。」
(良かった…。ちゃんとお姉ちゃんいる。)
アイベルの存在を見つけ、表情は一気に明るくなる。
「うん…!」
ユイベルは目を擦りながら部屋を出た。
泣いて赤くしていた顔は綺麗に戻っていた。
「良かった。」
「あれ…?お、お兄ちゃんは?」
「フィオルは村の大工さんの所に出掛けたわ。」
「そうなんだ…。」
割れた大きな窓の前に立つユイベル。
陽の光に目を瞑る。
風に揺れ、顔にかかった髪を手で払う。
「顔洗っておいで。ご飯にしよう!」
「う、うん!」
それから二人は朝食に取り掛かった。
静かな朝の時間が流れる。
食器の音が断続的に響き、ユイベルは小声で何度も美味しいと口にしていた。
『窓を直してもらうように依頼を出してくるよ。夜の間…全く動きは無かったけど、気を張っていてくれ。』
『うん。分かった…。』
アイベルは今朝、フィオルに掛けられた言葉を思い出す。
朝食を口に運びながらも、アイベルは気流覚を研ぎ澄ませていた。
視線は常に割れた窓の外へ向いていた。
ユイベルはそんなアイベルの横顔を見つめ、口を開いた。
「お姉ちゃんの中に…魂が…宿ってる…。」
「……?」
アイベルは小さく首を傾げた。
「魂…?」
「そう。私達が飛んだ時に一緒にいた魂…。」
眉を顰め、理解しようとするがやはり分からなかった。
「女神様の力で竜のいるこの世界へ飛んだでしょう?」
アイベルは再び思い出す。
(あの時…私の隣にいた子はユイベル…。そして…他に八つの白いシルエットがあった…。ユイベルが皆と言っていたのは…そのシルエット達…。)
「今…感じたのは"気の流れを読む魂"の存在…。」
(白いシルエットの存在は…魂…?それってまさか"気流覚"…?)
「皆バラバラって言っていたけど…私の中に居るの?」
アイベルは思わずユイベルの顔を覗き込んだ。
「そう。今はお姉ちゃんの中にちゃんと居る。良かったぁ。」
安堵の表情を浮かべるユイベルに微笑むが、アイベルの頭の中では思考が駆け巡っていた。
(だんだん分かってきた…。私達がこの世界に飛ばされた時、私が手を離してしまって、私は半分人間になってしまった…。そして…私とユイベル——八つのシルエットはバラバラに飛んでしまった…。魂の存在は"至上者の御業"に関連する…。至上者の御業を使うと、ユイベルはその魂?を感じ取る事が出来るのね…。)
「ユイベルは湖で人を助けたでしょう?」
「うん…。」
「その時使った力は…どんな力なのかな?」
「…あれは女神様の力を受け継いでる物…。人を治す力。お姉ちゃんと同じだよ?」
「…そうなんだ。」
(…ということは…。この世界で至上者の御業と言われた私の"心願"は、女神の器として私がもともと持っていた力なのね…。)
アイベルは小さく息を吐いた。
「教えてくれてありがとう。」
アイベルはユイベルの頭を撫でながら言った。
「うん!」
「…今日は療養施設で村の人達の治療をする仕事に行くけど…ユイベルも一緒に行く?」
「行く!」
「分かった!じゃあご飯食べたら行こうね!」
「うん!」
(今の話はこの世界にとって重要な事…。フィオルやブルク長老にも話さないと…。)
カチャ
再び朝食に手を伸ばしたその時、玄関が開く。
「ただいま…。おお。起きたんだね。おはよう、ユイベル。」
「おはよう!」
食べ物を口に頬張りながら喋るユイベルに、二人は思わず微笑んだ。
「今日これから窓を直してもらいに人が来る。今日、ユイベルはー…」
「お姉ちゃんと仕事に行くよ!」
ユイベルは嬉しそうに大きな声を発した。
「そうか!頑張ってね!」
「うん!」
「フィオル。」
アイベルはキッチンから手招きをすると、フィオルは向かった。
「さっきユイベルから聞いた話なんだけど…」
アイベルは整理した話をフィオルに伝えたのだった——。
——エディウスの家
先に目覚め、天井を見つめるアジル。
鼓動が大きく聞こえ、胸に手を当てる。
陽の光が差し、伸びをした。
エディウスの静かな寝息が聞こえ、視線を向ける。
すやすやと眠るエディウスの顔を見て微笑んだ。
(一人で寝ないなんて久しぶりだったなあ。)
アジルは小さな幸せを噛み締め、起き上がった。
床板の軋む音でエディウスは目を覚ました。
「ん、アジル…おはよう。」
「おはよう、エディウス。」
二人はしばらく黙ったままだった。
だが——微笑み合っていた。
「き、今日も一日頑張ろう…!」
「う、うん!」
ぎこちなさは抜けていなかった。
それでも二人は支度を整え、エディウスの家を出た。
朝の光が村を照らし、新しい一日が始まろうとしていた。
——フィオルの家
「とりあえず集会までに、昨日の出来事をブルク長老に話すよ。今日は早めに仕事を切り上げて集会の時にまた会おう。」
「分かった。」
「じゃあユイベル。お姉ちゃんの話を聞いて一緒に仕事頑張ってね!」
「うん!」
フィオル達三人は家を出た。
——同刻 アルブ・ピリス
朝早くから中央通りの賑わいが遠くに聞こえる。
朝陽が照らす屋上に一人の男がいた。
(夜襲はしたものの…反撃された…か…。接触しない内にどんどんと強くなっている……。)
男は手紙に目を通し、眼下に広がるアルブ・ピリスの街を見下ろす。
「都市長…。朝食はいかがなさいますか?」
「まだいい…。朝湯に浸かってからにする。」
「かしこまりました。」
(アンティカルの連中を籠絡したが……あの老いぼれを仕留める事は難しい…ということか。先祖の詰めが甘かった所はこの私が…。)
手紙を握り潰し、その場を後にする。
その顔には、僅かな苛立ちが浮かんでいた——。
——同刻 オラディ村 近辺の森
静かな森の中、小さな池の前で四人の男はそれぞれの武器の手入れをしていた。
大剣を手に持つ男の一人が顔を顰める。
(脚の怪我が厄介だな……。)
「オーリム。脚の具合はどうだ?」
ユスティアは大男の一人に問う。
「まだ…痛みます。」
「そうか…。」
(さて…どうするか…。)
ユスティアは自身の剣の刀身を見つめ、心の中で呟いた。
——オラディ村 ブルクの家
陽の光が室内を照らす。
暖かい風が窓から通り、心地良さにブルクは目を閉じていた。
———
『我々小人族を見捨てるだと…?…あれだけ使っておいて…。』
『子供も人質だ…。条件は……一族の滅亡——。』
『ブルク…。お前はこの一族の希望…。お前が生きていれば途絶える事はない。皆の想いをお前に託すんだ。恨む者など一人もいない……。さあ…殺れ…。』
『私の子を…貴方の子として育てて下さい…。』
『……分かりました…。』
剣を頭上に構える。
次の瞬間。
——ザンッ
女の首が地面を転がった。
陰から一人の子供が見ていた。
(……。)
その小さな瞳が、ブルクを真っ直ぐ見つめていた。
———
ブルクはゆっくりと目を開けた。
(……夢か…。思い出すとはのう…。)
ブルクは額に手を当て、心の中で呟いた。
その手は震え、顔には汗が滲んでいた。
すると扉を叩く音が響く。
「失礼します。」
「おおフィオルか…。」
「ん?…長老…体調が優れないのですか?」
「いや…大丈夫じゃ。して…どうしたんじゃ?」
「…実は昨日…」
それからフィオルは昨日の出来事を話した。
——オラディ村 中央通り
アイベルとユイベルはエヴァルに乗り、療養施設に向かっていた。
「また鳥が来た…。」
小鳥がユイベルの肩に止まる。
「家を出てから小動物や鳥がユイベルに寄ってくるけど…これは何かの力なの?見た事の無い鳥だし少し怖いんだけど…。」
「んー分からないけど……私の思った通りに動いてくれるの。」
そう言いながら肩に止まる小鳥を撫で、手に乗せると空へ放つ。
(この子がダイアボに来た時…大きな鳥獣がいた…。それに…エヴァルに乗って…。これも女神の器の力なのかな?)
アイベルはユイベルの横顔を見つめ心の中で呟いた。
中央通りに出ると、二人の存在は村人の注目を集めていた。
通りの端には多くの村人が並び、まるで英雄の凱旋を迎えるかのように手を振っていた。
空は晴れ渡り、鳥の群れが唄うように鳴きながら飛び、全てが二人を祝福しているかのようだった。
「あれが言っていた噂の子か…。」「ああ。この村に来た頃のアイベルちゃんそっくりだな。」
村人達はアイベルと瓜二つの顔を持つユイベルに、少し困惑していた。
(診療以外で人がいっぱい来そうだなぁ……。)
アイベルは苦笑いで手を振り応えるが、仕事が忙しくなる事を不安に思っていた。
一方のユイベルは、初めは人の多さに身を縮こませていたが、慣れてくると笑顔で手を振り返していた。
「お姉ちゃん見てー!綺麗な野菜がいっぱいだよ?あっちは魚だよ!」
通り沿いに並ぶ露店を指差しながらユイベルは話す。
「全部この村で採れた物よ。新鮮で美味しいの。」
「そうなんだ!」
ユイベルは何かある度に、アイベルに顔を向けはしゃぎ、その様子を見てアイベルは微笑む。
「アイベルさーん!それと…ユイベルちゃん!」
中央通りの脇から呼び掛ける声。
そこにはエディウスとアジルがいた。
「おはよう。エディウス。アジル。」
「「おはようございます。」」
「ユイベルちゃん目覚めたんですね!」
エディウスは笑顔を向け言った。
「おはよう…。」
人見知りで声が小さくなるユイベルに、アジルはニコッと笑顔を向けた。
突然アイベルは表情を曇らせると口を開いた。
「昨日夜襲に遭ったわ…。相手は四人だった…。」
「「え…?」」
小声で話すアイベルに二人は目を見開いた。
「フィオルから後で話があると思う…。今日の集会に私とユイベルも参加する予定だけど……」
「危険ですよ!」
アイベルの言葉を遮り、エディウスは声を上げる。
「僕はアイツらと対峙しました…。…普通じゃない…。」
エディウスの言葉に応えるようにアジルは頷く。
「…でも私達の存在…それにこの世界に関わることを話さなきゃいけない……。二人には気を張ってもらうかもだけど…なんとかお願い…。」
アイベルの表情は硬く、二人は頷く事しか出来なかった。
「また後でね…。」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんまたね!」
「う、うん…またね。」
エディウスの声は弱かった。
だが、拳を強く握っていた。
「エディウス。」
「集会の時には隊長達がいる…。でも…俺達もいつも以上に気を張ろう。」
「そう…ね。」
二人はエヴァルに乗る二人の背中を見送り、剣撃隊の家屋へと向かった。
祝福の声が村人達から注がれる晴れ渡る空の下。
平和そのものを体現しているかのようなオラディ村。
その裏で刃を研ぐ者達がいる事を、この時は誰も知らなかった——。




