第二話 帰還の灯
キィィィ
閉じこもっていた部屋の扉をゆっくりと開ける。
ジリジリと燃焼時計の音が響く。
微かに療養施設を撫でる風の音が聞こえる。
辺りを見回すが誰もいない…。
ふと視線を足元に落とす。
お椀の横に置いてあった紙切れに目を通す。
『応える事が出来ず、すまなかった。ありのままで良い。アイベル…お主は"アイベル"じゃ。ワシの作った料理は美味しくない…。食べずに置いておいていいからのう。』
一気に涙が溢れる。
お椀に手を伸ばし、スープを口にする。
(冷たい…。時間が経ってしまった…。)
「でも…。クラルさん…。美味しいよ…。」
頬に伝った涙は床に落ち、弾けた。
涙を拭いスープを飲み干す。
そして、大きく頷き、療養施設の扉に手を置く。
外の匂いに目を閉じる。
再び目を開くと扉を強く押した。
扉を開くと陽の光がアイベルを迎えた。
眩しさに片目を瞑る。
アイベルの姿にエヴァルは息を荒らげ、鳴きながら突進する勢いで近づく。
顔を擦り寄せ、アイベルの頬を撫でる。
「ごめんなさいエヴァル…。もう……大丈夫。」
何度も撫でエヴァルの体温を感じる。
そして、落ち着きを取り戻したエヴァルの手綱を手に持ち、アイベルは中央通りを歩いていく。
村の端まで伸びる通りに人の姿はなかった。
普段であれば露店が立ち並ぶがそれもない。
静かな村——。
だが、不気味には思わず当たり前のように生活していたこの村の空気を大きく吸う。
アイベルはそのまま進み、村の中央にある広場へと向かう。
「来たぞ……。」
ノワルヴェールは広場の陰からアイベルを見つけ、広場に声を掛けた。
広場の目の前、アイベルが姿を現す——。
誰も声を出さなかった。
ただ、ここに集まる誰もがアイベルを真っ直ぐ見ていた。
「「「おかえりなさい……!!!」」」
突然、大歓声がアイベルに向かって放たれる。
アイベルはビクッと身を震わせる。
声の波に押され一歩後ずさる。
そして——目の前の光景に、口を手で塞いだ。
視界がジワッと滲み、唇を震わせる。
「みん…な——。」
視線の先には村人全員が揃い、笑顔を向けていた——。
続けてアイベルの名を呼ぶ声が一人、また一人と増えていき、そこらじゅうから飛び交う。
止めることのできない涙は溢れ続け、視界は涙で埋まる。
声はボヤけ、胸の鼓動だけ強くなる。
最前列にいるフィオルと目が合う。
鼓動が一瞬止まる。
「皆、"君"を待っていた。アイベルを…。」
フィオルは笑顔で言った。
止まりかけた涙は勢いを増す。
そして自らフィオルに歩み寄る。
フィオルはアイベルを強く抱き締めた。
(暖かい……ただいま——。)
この瞬間、微笑んだアイベルの心に、色が戻った。
数時間後——。
「すみませんでした…。近くにいたのに…。」
「もう謝らないで下さい…。」
「アイベルさんが戻れて…本当に良かったです。何より…ユヌスさんが生きてこの村に来れた…。」
水面から湯気が上がり、天井に溜まった水滴が落ちる音が静かに響く。
ルイナから温泉に誘われ二人は湯に浸かり話をしていた。
「まだ…胸が苦しいんです…。」
「でも、アイベルさんが戻れて…本当に良かったです。何より…ユヌスさんが生きてこの村に来れた…。」
久しく入る温泉。
肩の力は自然と抜け、心まで溶けていく感覚にアイベルは目を瞑った。
少しの間——。
「モルスも喜んでいるはずです…。」
「…あ…。あの、私…」
「コランから聞きましたよ。」
アイベルはモルスの魂を呼び、再会した事を話そうとしたがルイナは既に知っていた。
(今なら呼べるかもしれない……。)
「ルイナさん…。今なら私…魂を呼べるかもしれません…。」
アイベルは手を組み、力を使おうとする。
「…え、ちょっと待ってください!もし呼べたとしてもここでは…。」
アイベルの前にルイナは手を出し止める。
「……ハッ。そ、そうですよね…!私…なんて恥ずかしい事を…。」
アイベルは手で顔を隠す。
顔の下から熱が上り、赤面した。
「ハハハハ。ドジですね…。」
ルイナは大きく笑った。
「大丈夫です。コランが会えた…。あの人はコランに見守ってると言った…。」
アイベルは俯く。
「さぁ。上がりましょう。私逆上せて来ました…。」
それから二人は温泉を出た。
外は陽が傾き、オラディ村を囲う山々をオレンジ色に染めていた。
(あの力は、望んだ人の為に使おう…。勝手に使ったらいけない…。)
アイベルは自身の両手を見る。
「また温泉誘いますね。」
「はい!ありがとうございました。」
「アイベルさんの笑顔…久々に見たわ…。気づいていないかもしれないけど、あなたの笑顔は、人を暖かくさせるの。忘れないで下さいね…。」
アイベルは大きく頷く。
そして二人は温泉を後にした——。
——会議所
三隊長とブルクは今日も集まっていた。
アルド救出を目的とした遠征は、ソウルガーディアンズにとって、世界の片鱗を知る出来事でもあった。
オルコ、そしてかつてのダイアボの王族達による歪んだ女神信仰——赤子を生贄にする悪業。
被害者でありながら、現実で起こした人攫いによる犠牲者は数知れず——。
会議ではダイアボの王、オルコが絡んだ一連の事件を"北の悪災"と称した。
アイベル、そして突如現れた幼い頃のアイベルと瓜二つの少女によって、黒く染まるラヴィエルは鎮められた。
ソウルガーディアンズは協議の末、警備が行き届いていなかった北側地方に隊員を派遣する事を決定した。
「エルジオーネ大陸の支部長、フェルレにも話は渡った。各隊から数名、明日ここを経って北側地方へ向かってもらう。」
ブルクは三隊長を見つめながら言う。
「「「はい!」」」
会議所に響く声。
少しの間——。
「…今回の遠征で、より強い力を発現した"至上者の御業"についてじゃが…。…発現した際に、強い意思が欠かせぬようじゃな?」
フィオルとデュールは頷く。
「制限出来るように極めなくてはいけません…。」
フィオルは言った。
(あれは完全に"怒り"が支配した時だった…。)
フィオルはアイザムと対峙した時の事を思い出し心の中で呟いた。
「怒りか…。」
ブルクは小さく零し、フィオルの呟きを読む。
「心を常に鎮め、冷静を欠かぬ事…。良いな?瞑想の時間を変えなさい。長くではなく…短く。集中するのじゃ。」
「はい!」
「デュールは発現した時の心情を思い出しながら、いつでも発揮出来るようにする事…。」
「はい!」
「それと…御業を扱える者が増えた…と?」
「完全ではないですが…。彼の話によると…」
——帰還した次の日
一行がオラディ村を空けている間、周辺の村や地方からの依頼は貯まり、ソウルガーディアンズは休むことなく任務に励んでいた。
フィオルとエディウスは剣撃隊のミーティングを終え、家屋で朝飯を食べていた。
「本当に…よく俺を守ってくれたよ。ありがとな。」
「いえ…。」
エディウスは手を頭の後ろに当て、照れながら返した。
「それで…?いつ?」
「…初めはアジルと影の組織の人間と戦ってた時です。彼女に降り注ぐ大量の炎…。彼女の近くの地面が光ってたんです。彼女を持ち上げて、光った地面に身体が動きました。」
「…その場所だけ炎は落ちて来なかった……。」
「そうです。」
「俺を押した後も辺りの地面が光ってて…そこに移動したら、瓦礫から逃れていた……ってことか?」
「はい…。白く光ってて…」
(間違いない…至上者の御業だ…。)
エディウスはパンを齧りながら喋り、フィオルは心の中で呟いた。
「ほら…。パンが口元に付いてるぞ。みっともない…。」
「へへっ。」
エディウスは笑いながらパンくずを手で払った。
(デカくなったよ。俺は…嬉しい。)
——会議所
「それで…当の本人は何処におるんじゃ?」
「エディウスは今…」
——中央都市 アルブ・ピリス
「一人じゃ心細いって……もう…子供みたいに…。」
手を後ろで組みながらエディウスを横目に、アジルは頬を膨らませた。
「緊張するんだ…。」
エディウスは目を泳がせながら話す。
二人は中央通りを逸れ、路地に入る。
『お前はもう…大人だ。人を守れるほど成長出来た。それも…ただ守るだけじゃない…。命を懸けて守れる人間になった。ここへ行け。お前の大切な人が…ここにいる。』
フィオルから受け取った地図を広げ進んでいく。
(母さん…。)
エディウスは地図を仕舞い顔を上げる。
路地を進むにつれ、人の気配は無くなっていく。
中央通りの活気は嘘のように静かな通り。
廃れている——。
予想できる。
この辺りの人々は貧しい生活を送っているのだと…。
やがて、地図に記された場所に着くと、辺りには人は一人もいなかった。
「ここだ。」
「…うん…。」
アジルはエディウスの顔色を伺いながら小さく返事をした。
エディウスは大きく息を吸った。
ゆっくり伸ばすその手は震えていた。
そして小さくノックする。
少しの間。
椅子の引く音が聞こえ、軋む音が近づいてくる。
エディウスの鼓動は早くなり、後ろに立つアジルに聞こえているのではないかと恥ずかしさが込み上がる。
だが、アジルはそっとエディウスの背中に手を当てた。
カチャ
鍵の開ける音、そしてゆっくりと扉が開く。
「あ、あの…。」
暗い室内から顔が見え目が合う。
バタン
「あ…。」
急に扉を閉められビクつく二人。
扉の奥からは家具にぶつかる音が聞こえる。
そして荒い息遣いが遅れて鳴り出す。
(会ったらまずいのかな…。でも、俺は知りたい。母さんの事を…。)
グッと拳を握る。
「チ、チェリスさん…!エディウスです!」
沈黙が訪れる。
聞こえていた息遣いが止まる。
「エディ…」
チェリスは名を呼びかけたが目をギュッと瞑り、最後まで言えず止まる。
「…何故…ここへ…。」
「会いに来ました!あなたを…守る為に…!!」
息が漏れる音が小さく聞こえ、続けてすすり泣く音が響いた。
「…私は…私はあなたと…ファリートを捨ててしまった。会う資格はないん…」
「でも!覚えててくれた…!兄貴の事も…俺のことも。」
(忘れるわけない…。私はファリートが亡くなったと聞いた時…死んでしまおうかとさえ思った…。でも、あなたが生きているのは知ってた。だから…生きていかなきゃって思った…。)
「俺を…頼ってくれ…。」
その言葉に涙が止まらなかった。
後ろに立つアジルは見守りながら瞳に涙を溜めていた。
「母さんは俺達兄弟が生きて行く為に孤児院に入れてくれた…。理由なんてどうでもいい。そのおかげで俺は今、生きて…母さんに会いに来る事ができてる…。守ることができるんだ…。」
陽の光が傾き、エディウスの影を大きく映す。
「気持ちが落ち着いたら…まずは会おう。」
エディウスは紙に何かを書き、扉の隙間から家の中へ入れた。
そして、振り返るとそのまま来た道を戻っていく。
アジルはエディウスを追い掛けようとしたが、扉に近づいた。
「こ、こんにちは…。私は…アジルです。…彼と会って頂けませんか…?」
「……。」
返事はない。
「…私は…彼に何度も助けられました。命を守ってもらいました。…彼は…他人に命を懸ける事ができる…立派な人です。彼と待ってますので、お願いします…!!」
そう言うとアジルは頭を下げその場を後にする。
その頃、アルブ・ピリスの一角では、大きな大剣を背中に背負う男達が飯屋で騒動を起こしていた——。




