第二十九話 歪んだ救い
何事かと家の周りに村人達が様子を見にきたが、オルコは目も向けず、カンビアを抱き家へと入った。
その途端――
カンビアは脱力し、気を失う。
オルコはカンビアを仰向けで降ろし、その前に正座で座り込む。
強く握り締めた拳を、両膝の上に乗せる。
そして、変わり果てたカンビアを見つめた。
(危機感が足りなかった…すまない。…すまない。)
拳からは血が滲み、涙が落ちると血と涙が混ざり合った。
時間が経つとカンビアは半目で起きた。
「カンビア…!」
声を掛けたがカンビアは顔を横に向けた。
モルスが居ないと分かると、カンビアは何度も声にならない掠れた音を出した。
唇は震えるだけとなり、モルスという名はカンビアから零れることは無かった。
「……。」
オルコは声を掛ける事が出来なかった。
そして、現実を受け止めれず、カンビアは反射的に気を失った。
この時オルコは気づいた――。
夜明けに聞こえた甲高い音は、カンビアの心からの叫びだったのだと。
叫び、泣き、やがて声を失った――。
変わり果て、弱りゆく愛する妻。
これ以上見ている事が出来なくなったオルコは涙を拭い、外に出る。
(許せない…誰が……こんな酷い事を…!何故俺達の赤子なんだ……。)
オルコの瞳からとめどなく溢れる涙。
悲しみは次第に怒りへと変わっていく。
家の外には村人が集まっていた。
オルコは冷ややかな目で、村人一人ひとりをまじまじと見る。
(絶対この中の誰かだ…!)
心の中で叫び、集まる村人達の元へと向かう。
だが、村人達は向かってくるオルコを避けるように道を空けると、その奥からこちらに向かってくる人影があった。
そして、嫌な予感が過ぎった村人達は散り散りになり、自宅へと戻る。
「オルコ…だな?付いてこい。」
「……?」
オルコは疑問に思いながらも、心のどこかで、話し掛けられた男の家に赤子が待っているのではと小さな希望を持った。
無言のまま歩き、付いていく。
道中に血が飛び散っていたが、オルコは気にも止めなかった。
(王族…の家?)
先を行く男は行先を伝えないまま進むと、王族の家が姿を現し、そのまま入っていった。
オルコは一瞬立ち止まったが、駆け出した。
ギィィィ
扉の軋む音が不気味なほど低く、オルコは寒気を覚える。
ゆっくりと顔を入れ、中を見回す。
先程の男はおらず、オルコは遂に中へと入った。
薄暗い部屋――。
部屋の四隅に灯りがともり、ゆらゆらと不気味に揺れる。
暗さに目が慣れ、部屋内の様子が見えるようになり、壁を見たオルコは絶句した――。
「あ…あ…。」
(何だこれは…!)
身の毛もよだつほど不気味な壁画――。
黒く塗り潰された切り株の様なもの。
その前に白い人影が描かれ、白い人影の前には王冠を被る人影が膝を付いている。
他にも王冠を被る人影が幾つもあり、人間であろう人影を囲うように輪を作り、囲まれた人影の中には赤子の様な小さな者の姿もあった。
オルコの目には白い人影が笑っているように見えた――。
言葉を失ったオルコだったが、頭の中では色々な憶測が駆け巡るとそれはピタリと止み、一つの考えに辿り着いた。
(生……贄…。)
その瞬間、奥の部屋から男が姿を現しゆっくりと口を開く。
「女神様の為なんだ……。」
その低く微かに震える声に、オルコは身を後ろに引いた。
(生贄なら……まだ!!)
だが、オルコは希望を捨てていなかった。
オルコは王族の家を飛び出した。
(カンビア…!カンビア……!まだ俺達の子供は……!)
息を荒らげ、自宅へと全力で走る。
転びそうになりながらも走る。
「ハァ…ッハァ…。カンビア……!!」
叫びながら走るオルコとすれ違う男がいた。
その手は血に染まっていたがオルコは気付くことなく走り続けた。
「カンビア……!!」
オルコは大声でカンビアの眠る部屋へ入り、仰向けになっているカンビアの前に座った。
「カンビア…聞いてくれ…。」
オルコは涙を拭いながら声を掛け、頬に手を触れた。
「…………。」
目を閉じるカンビアは冷たくなっていた――。
「…………。」
オルコはカンビアの首から血が出ているのを見つける。
顔を上げると壁には血で書かれた文字があった。
『生贄を妨げる者には罰を――。』
血はまだ新しく、少しずつ垂れていっていた。
「カンビアァァァ!!!」
すれ違った男は遠くに聞こえる奇声に振り向く。
「…女神様の為なんだ……。」
そして一言だけ呟くとその場を後にした。
カンビアを抱き、身体を震わせた叫びはピタリと消えた。
目を瞑り、呼吸を整えると部屋は無音になった。
そして、天井からカンビアの飛び散った血が落ちる音だけが響いた。
「俺が弱いからだ……。」
音が鳴るほど強く拳を握り、血が滲む。
「奪われない力が…無かった…。」
次の瞬間――
カンビアを抱いていた手には、剣が握られていた。
涙が枯れたその瞳からは光が消えた――。
――現在 コラン
コランはフィオル達が進んだ扉を抜け、一本道をひた走った。
(この先に王がいる……!)
エディウスとアジルが落ちた穴を飛び越え、螺旋階段が現れると、上を見上げた。
どんよりとした空気――。
歪んだ空間が頭上から感じる。
ヒォォと冷たく重い空気が降りてくる。
コランは無意識に息を止め、眼に力を溜め、ギリッと歯を食いしばり、踏み出した。
――王の間
静まり返る部屋の空気は、肺を締め付けるように重く冷たく、そして痛い――。
それは、オルコの語った記憶。
赤子を奪われたこと。
異質な壁画の前で静かに告げられた言葉。
『女神様の為だ――』
そして、変わり果てた愛する者の最期――。
フィオルとアイベルは時が止まったかのように動けなかった。
「奪われぬ力があればこんな想いもしなかった…。」
その言葉に、フィオルはしばらくアイベルを見つめた。
オルコの眉がピクッと動き、フィオルを見つめ目を細める。
「ほう…男よ。お主の隣にいる存在が愛おしいか?…その存在が弱り…変わり果てた挙句、殺された姿を目の当たりにしてお主はどうする?」
「………。」
フィオルは問われたく無いその言葉に、呼吸の仕方を忘れたかのように、唇を震わせた。
頭の中でカンビアをアイベルに置き換えてしまい、目をギュッと瞑る。
少しの間、オルコは眼に力を溜め口を開いた。
「…ワシはのう……」
コランは階段を登り切り王の間の扉の前に立った。
息は上がっていた。
登る前とは違う皮膚が裂けそうなほどの圧を感じ、大きく息を吐く。
「皆殺しにしたのじゃ……。」
扉に手を置こうとした時に聞こえた言葉にとっさに手を引っ込める。
(今の声が……王…。)
オルコの声に身体は震え、息が荒くなる。
「ワシの全てを奪った者達から命を奪った。それで分かったのじゃ。奪えば良い。奪う側に立てば、奪われぬと。」
アジルがディルケから聞いた話。
人攫いが古くから密かに横行していたこと。
それが確かな事だったのだと悟る。
「壁画の神は女神……。女神ならワシを救ってくれると信じていた…。」
その声には、わずかな揺らぎがあった。
救われたいと願ったその光は、いつしか影を落とした。
その影は黒く、深く――強欲と呼ぶに相応しいものだった。
「もう戻れぬ。お主の存在を見つけた時に気づいたのじゃ。お主がワシのモノになれば、ワシの想いは救われるのだと……。」
アイベルを見つめるオルコの眼の奥は黒く濁っていた。
アイベルは唾を呑み口を開く。
「奪われないために奪い続ける……それは、終わりの無い闇…。あなたが愛した人はそれを望んでいないはずです。あなたが求めているのは力じゃない。救いのはずでしょう?」
その言葉にオルコの視界は揺れた。
扉の後ろのコランは、アイベルの言葉を聞き荒くなっていた息が整い始める。
「…ワシが愛した…カンビア……自由の象徴を身体に埋めた赤子……。」
オルコは独り言のように小さく呟く。
そして、自身の椅子に施された宝石達の一つに手を当てる。
「……ハッ――。」
アイベルは気付く――。
オルコの触れた宝石は陽の色をした宝石。
そして静かに涙が溢れ頬を伝った。
「…何故……涙を……。」
オルコはアイベルの涙を見て、目を見開いた。
「私は…あなたの子を……知ってます………。」
息の整ったコランは手を扉に当てる。
「あの子は……生きていました……。」
「何を……いっておる…。」
「あなたは気づいていない……。」
オルコの呼吸が止まる。
全ての音が無くなる。
「レリッタのモルスこそ…あなたの子です――。」
扉に手を当てたコランは頭の中が真っ白になり、思考の歯車が異物を噛んだように止まる。
一拍間を置くと手の力は抜け、額を扉に付け目を瞑った。
「「そんな……嘘だ……。」」
オルコとコランの言葉が重なる。
(父さん…?そんなはず…そんなはずが……)
「何を訳の分からんことを言……」
「陽の色…。」
アイベルは激昂するオルコの言葉を静かに遮る。
「肩に埋まる陽の色をしたフローライト…。」
アイベルは当時の光景を思い出し目を閉じる。
「それは自由を象徴するもの…。私は7年前に彼と会っています…。」
フィオルとオルコは開いた口が塞がらなかった。
「彼は村の人々と幸せに暮らすことを夢に見ていました。でも…あなたがそれを壊した……。あなたの止めれなかった欲が…彼を死なせた…。」
そして、王の間の扉がゆっくりと開くと、コランは力無く歩いてくる。
涙を流していた。
「コラン…!」
フィオルは呼び掛けるがコランは返さず、オルコを見つめていた。
コランの喉が震える。
「あなたが……父さんを……!!」
理解が追いつかなかったオルコだが、コランの顔を見て身を震わせた。
「カン…ビア…。」
コランの顔に、カンビアの面影が重なる。
その瞬間全てが繋がった。
オルコの膝から力が抜ける。
「嘘じゃ…嘘じゃ……!!」
(このワシが…。カンビアが愛した赤子を…。)
膝立ちで俯き、静かに目を瞑る。
「アイベル…本当なのか…!」
「ええ。治療の時に見たフローライト。宴の時にルイナさんと話をした時に、ルイナさんはモルスさんはダイアボ出身だった…。そう言ってたわ。」
「そんな…。」
フィオルは信じられず小さく呟き黙り込む。
コランは声を出すことなく涙を流した。
無音が続くと部屋の灯りが揺れる音が響く。
そして、部屋の奥にある扉がゆっくりと開いた。
「……フフ。」
扉から現れたのは腰に剣を差す男。
そして、開いた扉の隙間から鎧を身に纏う人影が見え、フィオルは目を見開く。
(アルドさん…!!)
「惨めだな…オルコ王。」
ゆっくり歩み寄る。
発した低い声は奥の部屋から王の間に落ちた。
男を纏うように空気が歪む。
(アジルを圧倒した男……。)
フィオルは確信する。
そして彼が放つ気は王の間の空気を支配した――。




