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村人ですが、勇者が開始五分で死んだので世界を救うことになりました  作者: 藤崎聖子


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第9話 大賢者、だいたい忘れている

 大賢者の家は、魔王城の隣にあった。


 徒歩半日ではなかった。


 徒歩三分だった。


「北へ半日と言いましたよね」


「昔はそうだった」


 セレナが答えた。


「家ごと引っ越したんですか」


「城が引っ越した」


「魔王城が?」


「千年前の戦争で山ごと移動した」


「設定に詳しくても説明が雑です」


「急いでいる」


 ミナはまだ眠っている。


 ニールが背負ってきた。


 レオン、グレン、村長もついてきた。


 村長は魔王城の宿舎が気に入り、帰る気をなくしていた。


「朝食に卵が出た」


「村でも出ます」


「人が作ってくれる」


「村長の仕事はどうするんです」


「世界を救ってから考える」


「順番が逆です」


「お前に言われたくない」


 大賢者の家は、小さな木造だった。


 扉に紙が貼られている。


『御用の方は鐘を鳴らしてください。鐘は裏庭です』


 裏庭へ回る。


 鐘に紙が貼られている。


『鳴らさないでください。寝ています』


「どうする」


 グレンが聞いた。


「扉を叩きます」


 正面へ戻る。


 扉を叩く。


 返事はない。


 レオンが聖剣を抜いた。


「斬る!」


「扉は敵じゃありません」


「開かぬ扉は敵だ!」


「勇者の基準が怖い」


 扉は引けば開いた。


 レオンは押していた。


「知っていた!」


「三回押してました」


「強度を確かめた!」


 家の中は本で埋まっていた。


 床。


 椅子。


 食卓。


 鍋の中にも本がある。


 レオンが鍋を見た。


「これは兜ではない」


「誰も聞いてません」


 本の山から、老人の頭が出た。


 白い髪。


 長い眉。


 ひげには栞が三本刺さっている。


「誰だ」


「セレナだ」


「どのセレナだ」


「魔王の」


「魔王はガルドだろう」


「九百年前に死んだ」


「そうか。惜しい男だった」


「お前が倒した」


「なら強くなかったな」


 大賢者オルドは、本の山から這い出した。


 立ち上がった拍子に、首から下げた札が裏返った。


 表には文字がある。


『わしはオルド』


『大賢者』


『火を消してから寝る』


「自分の名前も忘れるんですか」


 ミナが聞いた。


「時々な」


「千年生きた代償だ」


 セレナが説明する。


「人の頭には、千年分の記憶は入らない。新しいものを覚えるたび、古いものが落ちる」


「大切なことから書けばいいのに」


「大切かどうかは、あとでわかる」


 オルドはひげから栞を抜いた。


 買い物メモだった。


『塩』


『卵』


『世界の寿命を調べる』


『靴下』


「世界の寿命が三番目です」


「靴下より上だ」


「卵より下です」


「朝食は毎日だぞ」


 冗談のように答える。


 だが寝台の横には、古い肖像画があった。


 若いオルド。


 隣に三人の仲間。


 魔法使い。


 剣士。


 赤い髪の女性。


「誰です」


 ニールが聞いた。


 オルドは肖像を見た。


「知らん」


 声だけが、少し小さくなった。


「毎朝、名前を思い出そうとする。思い出せん。だが捨てる気にもならん」


 ミナは眠ったままだ。


 彼女も記憶を失うかもしれない。


 ニールは肖像画を見た。


「忘れたら、その人はいなくなりますか」


「わしの中からは」


「世界の中では?」


「したことが残る。言葉が残る。誰かが覚えた癖が残る」


 オルドは買い物メモを見た。


「この順番も、誰かに教わったのかもしれん」


「卵を先に?」


「割れやすいものを上へ置け、とな」


「覚えてるじゃないですか」


「誰の言葉かを忘れた」


 大賢者は笑った。


「人は全部を持っていけん。少しずつ、ほかの者へ渡すしかない」


 その言葉を、ニールは最後の日に思い出すことになる。


「今日は何年だ」


「王国暦八百四十二年」


「昨日は?」


「八百四十二年です」


「進んでおらんな」


「一日で一年は進まない」


 セレナは慣れていた。


 ニールはミナを寝台へ寝かせた。寝台にも本があったので、床へ移す。


「この紋章を見てください」


 ミナの額には、まだ薄く印が残っている。


 オルドは片眼鏡を出した。


 上下逆にかけた。


「見えん」


「逆です」


「試しただけだ」


「勇者と同じことを言ってます」


「誰が勇者だ」


 レオンが前へ出た。


「私だ!」


 オルドは鍋を見た。


「料理人では?」


「勇者だ!」


「最近は鍋で戦うのか」


「兜だ!」


 オルドはミナの紋章を調べた。


 笑っていた顔が消える。


「世界の子だ」


「神の子ですか」


「違う。神より古い」


 老人は本棚へ向かった。


 一冊抜く。


 棚が崩れた。


 全員で本を支えた。


「先に棚を直しませんか」


 ニールが言った。


「千年前からこうだ」


「直す気は?」


「明日やる」


「千年続けてますよね」


「継続は力だ」


 古い本を開く。


 そこには、ミナと同じ紋章が描かれていた。


『世界管理補助体』


「世界が危機へ近づくと、人の姿で生まれる。世界の声を、管理者へ伝えるためにな」


「管理者は俺ですか」


「違う」


「では誰です」


「世界だ」


「話が戻りました」


「お前は使用者にすぎん」


 オルドはニールの板を指で叩いた。


「世界修正権限は、本来、誰も所有できない。世界が自分へ使う力だ。人が使うと必ず偏る」


「俺は頼まれて使っています」


「世界は口がない」


 全員がミナを見た。


「だから、この娘が口になる」


「眠ってます」


「口にも休みは要る」


「いつ起きます」


「知るか」


「大賢者ですよね」


「医者ではない」


「全員それを言うな」


 オルドは次の頁をめくった。


 途中から白紙だった。


「続きは?」


「忘れた」


「書いてないんですか」


「書こうと思った」


「いつ?」


「八百年前」


「遅い!」


 半透明の板に、新しい表示が出た。


『情報開示条件を確認』


『管理補助体の覚醒』


『必要項目――失われた記憶の復元』


『記憶の所在――世界樹書庫』


 セレナの顔が曇った。


「世界樹書庫は、神殿の地下だ」


「行けばいいんですね」


「人間も魔族も入れない」


「誰なら?」


「神官だけだ」


「神官を連れていきます」


「神殿は魔王も勇者も敵と見なしている」


「村人は?」


「お前は指名手配された」


「取り消されました」


「神殿の掲示更新は月末だ」


「世界が先に滅びます」


「だから困っている」


 オルドは本を閉じた。


「方法はある」


「何です」


「忘れた」


 ニールは老人の肩をつかんだ。


「思い出してください」


「揺らすな。本当に忘れる」


「もう忘れてます!」


 オルドのひげから栞が一本落ちた。


 栞ではなかった。


 小さな鍵だ。


 鍵には世界樹の紋章がある。


「これでは?」


 ニールが拾う。


 オルドは目を輝かせた。


「そうだ! わしは世界樹書庫の管理人だった!」


「大事なことを忘れすぎです!」


「八百年前の話だぞ」


「鍵をひげに刺してました!」


「なくさぬようにな」


「役には立ちました」


「大賢者だからな」


 出発の準備をする。


 ミナを馬車へ運ぶ。


 オルドも来ると言った。


「書庫を開けたら思い出すかもしれん」


「何を?」


「忘れた」


 馬車へ乗る直前、ニールの板が赤く光った。


『世界滅亡まで、残り二十三日』


『世界修正権限の使用回数に注意してください』


『次回使用時、世界安定率が危険域へ入ります』


 ニールは表示を消した。


 次は失敗できない。


 時間を戻せば、世界の寿命が縮む。


 戻さなくても、失敗すれば滅びる。


 大賢者は馬車の中で眠り始めた。


「神殿へ着いたら起こしてくれ」


「道を知ってるのはあなたです」


 オルドは目を閉じたまま答えた。


「北だ」


 セレナが手綱を握る。


「神殿は南だ」


 誰も大賢者を起こさなかった。


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