第10話 世界を救うほど世界が壊れる
世界樹神殿の正門は開いていた。
警備の神官は寝ていた。
受付には札がある。
『世界滅亡対応のため、本日の参拝受付は休止します』
「世界が滅びるから神殿を閉めるのか」
ニールが札を読んだ。
「忙しいのだろう」
セレナが答える。
「寝てます」
「忙しかったのだろう」
レオンが神官を揺らした。
「起きろ! 勇者が来たぞ!」
神官は片目を開けた。
「勇者は亡くなりました」
「私だ!」
「ご遺族の方ですか」
「本人だ!」
「死亡証明は出ています」
「生きている!」
「訂正には本人の署名が必要です」
「書く!」
「死亡者は署名できません」
「ではどうしろと!」
「生前に申請してください」
「もう生きている!」
ニールはレオンを残し、神殿へ入った。
世界樹は建物の中央を貫いていた。
幹だけで城ほど太い。枝は雲の上へ伸び、根は地下深くへ沈んでいる。
葉の一枚一枚が淡く光っていた。
ただし、枝先から枯れ始めている。
落ち葉が雪のように降る。
「前からですか」
「三十日前からだ」
神殿長が階段を下りてきた。
白い法衣。金の杖。顔には疲れがにじんでいる。
「魔王。指名手配犯。死者。大賢者。村長。妙な一行だな」
「俺の手配は取り消されました」
「掲示更新は月末だ」
「聞きました」
ニールは王国の許可証を見せた。
神殿長は裏表を確認する。
「世界救済許可。条件は世界を救うこと」
「はい」
「救ってから来い」
「救うために来ました」
「書庫へは入れん」
オルドがひげから鍵を抜いた。
「わしが管理人だ」
「あなたは八百年前に解任されました」
「なぜだ」
「鍵をなくしたからです」
「ここにある」
「八百年遅い!」
神殿長の声が世界樹へ響いた。
上から葉が大量に落ちる。
「大声を出さないでください」
「誰のせいだ!」
ミナがニールの背で身じろぎした。
目は閉じたままだ。
額の紋章が光る。
世界樹の根が同じ光を返した。
地下へ続く扉が勝手に開いた。
神殿長は口を閉じた。
「許可は?」
ニールが聞く。
「世界樹が出した」
「書類は?」
「いらん」
「便利ですね」
「八百年で初めてだ」
地下書庫は、根の内側にあった。
壁も天井も木だ。無数の本が、枝から果実のように下がっている。
本には題名がない。
触れると、出来事が頭へ流れ込む。
昔の戦争。
滅びた国。
生まれなかった英雄。
選ばれなかった未来。
「全部、世界の記憶だ」
オルドが言った。
「ミナの記憶はどこです」
「本人に聞け」
「眠ってます」
「起こせ」
「起きません」
「困ったな」
「その相談に来ました」
ニールはミナを根元へ寝かせた。
紋章の光が強くなる。
書庫の奥で、一冊の本が落ちた。
黒い表紙。
触れる前から、文字が出ている。
『世界修正記録』
ニールが開く。
最初の頁には、一万年前の日付があった。
『火山噴火による大陸滅亡を修正』
『修正後、海流異常が発生』
次の頁。
『海流異常による飢饉を修正』
『修正後、魔力濃度上昇』
次。
『魔力災害を修正』
『修正後、竜種異常進化』
修正のたび、別の問題が生まれている。
何千頁も続いていた。
「誰が使ったんです」
「歴代勇者だ」
オルドが答えた。
「勇者は魔王を倒しただけでは?」
「そう記録された。人は単純な話を好む」
セレナが頁をめくった。
千年前。
魔王ガルドを倒した勇者の記録。
『魔王消滅による魔力循環停止を確認』
『勇者死亡を原因として修正』
「どういう意味です」
「勇者は魔王を倒したあと、自分の死で魔王を戻した」
セレナの声は静かだった。
「世界には魔王が必要だ。魔力を集め、循環させる。勇者は増えすぎた魔力を削る。敵同士に見えるが、同じ仕組みの一部だ」
「では、勇者が魔王を倒す話は」
「世界を一時的に延命する儀式だ」
レオンが本を奪った。
「嘘だ!」
「文字は読めるか」
「読める!」
「鍋を取れ。逆さだ」
鍋が目へかぶさっていた。
レオンは直した。
「勇者は正義だ! 魔王を倒し、世界を救う!」
「その結果が、この本です」
ニールが頁を示す。
「救うたび、次の問題が起きている」
「なら、もっと救えばいい!」
「最後の頁を見てください」
本の終わりには、現在の記録があった。
その手前に、名前のない頁が何枚もあった。
『第百三十二代勇者、修正を拒否』
『疫病により王国人口の四割が死亡』
『勇者は治療院を建て、薬草を配布』
『世界滅亡への接続なし』
次の頁。
『第百四十代勇者、修正を実行』
『疫病そのものを消去』
『免疫を持たない世代が誕生』
『二十二年後、新疫病により人口の七割が死亡』
レオンの指が止まった。
「救わなかった勇者のほうが、多くを残したのか」
「救わなかったんじゃありません」
ニールは最初の頁を指した。
「薬を配った。治療院を作った。権限を使わなかっただけです」
「四割を見殺しにした」
「四割を救えなかった」
「同じだ!」
「違います」
「死んだ者には同じだ!」
レオンの声が書庫へ響く。
本の葉が震えた。
「勇者なら全員を救う!」
「できなかったから、この記録があります」
「なら、できるまでやり直す!」
「その先で、もっと死んでます」
レオンは本を閉じようとした。
閉じられなかった。
頁の端に、手書きの一文がある。
『すべては救えなかった。だが救えなかった者を数え続ける』
「これは誰が」
大賢者オルドが文字を見た。
「第百三十二代。名はリナ。治癒師だった」
「覚えてるんですか」
「会った」
「何年前です」
「五百年ほど前だ」
「どんな人でした」
オルドは長い眉を寄せた。
「忘れた」
少し黙る。
「だが、数を毎晩読んでいた。死者の名前を、一人ずつ」
レオンは手書きの文字をなぞった。
「勇者だったのか」
「権限を使わなくてもな」
勇者とは、失敗しない者ではない。
救えなかった者から目をそらさない者だった。
レオンはその言葉を口にはしなかった。
だが次の頁から、読む速度が遅くなった。
『世界安定率、九十一パーセント』
『修正許容量、残り一回』
『二回目の修正により、因果構造の連鎖崩壊を開始』
「あと一回しか使えない」
ニールは言った。
「使えば何が起きる」
グレンが聞く。
「一回なら戻せる。二回目で世界が壊れる」
「使わなければ?」
「二十三日後に滅びる」
「親切な選択肢だな」
「どちらも滅びます」
世界樹が揺れた。
上から叫び声が聞こえる。
地上へ戻る。
白い兵士が神殿を包囲していた。
昨日より多い。
千体。
神殿の結界を無言で叩いている。
白い仮面の男が先頭に立つ。
『権限使用者へ告ぐ』
声は空から響いた。
『世界修正権限を返還せよ』
「返せるんですか」
ニールは板へ聞いた。
『可能です』
「返したら世界は?」
『予定どおり滅亡します』
「誰が受け取る」
『世界管理機構《天秤》』
白い男が両手を広げた。
『不完全な人間に、世界の選択は任せられない』
「あなたたちは完全なんですか」
『失敗しない』
「何もしないから?」
白い男は答えなかった。
結界へ亀裂が入る。
神官たちが魔力を注ぐ。
「あと五分だ!」
神殿長が叫んだ。
半透明の板が赤くなる。
『世界滅亡へ接続する失敗を確認』
『世界樹神殿陥落』
『修正しますか』
使えば神殿は救える。
だが残り一回を失う。
もう一度使えば、世界が壊れる。
「使うな」
セレナが言った。
「でも神殿が」
「権限で救うな。私たちで救う」
「間に合いません」
「間に合わせる」
魔王が黒い翼を広げる。
グレンが大剣を構える。
神官たちが杖を掲げる。
レオンは聖剣を抜いた。
「私が全員倒す!」
「斬ると増えます!」
「覚えている!」
「本当に?」
「今日は覚えている!」
白い兵士が結界を破った。
ニールは権限の表示を閉じた。
初めて、やり直しを捨てた。
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