第5話 世界最強の騎士団、橋で詰まる
「その鍋は何ですか」
「兜だ!」
勇者レオンが胸を張った。
「取っ手があります」
「羽飾りだ!」
「横向きですよ」
「黙れ!」
王国最強の白耀騎士団が、王都の門前へ整列している。
三千騎。
磨かれた鎧。
純白の馬。
風にはためく軍旗。
その中央で、鍋をかぶった勇者だけが台所から逃げてきたように見えた。
「死んだはずです」
ニールが言った。
「死んでいない!」
「消えました」
「神界へ呼ばれたのだ」
「死んでます」
「神より新たな使命を授かった!」
「何を?」
「世界修正権限を奪った偽勇者を討てと!」
レオンはニールを指した。
「俺は勇者ではありません」
「では偽村人だ!」
「本物の村人です」
「都合よく逃げるな!」
「どこからも逃げてません」
白耀騎士団長グレンが前へ出た。
四十歳ほどの大男だった。銀の鎧を着ている。背には、扉ほどもある大剣。
「話は王都の外で聞く」
「中では?」
「陛下より、城壁を壊すなと言われている」
「戦う前提ですか」
「勇者殿が話を聞かぬ」
「苦労してますね」
「三日前からだ」
グレンの目の下には隈があった。
白耀騎士団長グレンは、レオンが六歳のころから剣を教えていた。
最初の日、木剣を持った少年は転んでも泣かなかった。
立てと言われる前に立った。
十回転び、十回立った。
十一回目で、グレンが止めた。
「今日は終わりだ」
「まだできます」
「手から血が出ている」
「勇者は、このくらいでやめません」
「今は子どもだ」
「勇者です」
誰が教えた言葉か、グレンにはわかっていた。
聖征王アデル。
王国。
神殿。
そして自分自身。
レオンを褒めるとき、誰も「よく頑張った」と言わなかった。
「勇者なら当然だ」と言った。
少年は当然を積み重ね、美しく強い青年になった。
何をしても足りない青年にもなった。
「三日前から眠っていないのですか」
ニールが聞いた。
「勇者殿が夜中に出発しようとする」
「止めれば」
「城壁から飛び降りた」
「死にますよ」
「死んだ」
「やはり」
「本人は死んでいないと言う」
「俺の中ではかなり」
「その言い方は便利だな」
グレンは初めて少し笑った。
「勇者殿を頼む」
「嫌です」
「即答か」
「俺は世界を頼まれてます」
「一人増えても同じだ」
「勇者一人で世界より重そうです」
「そこを頼む」
グレンは深く頭を下げた。
ニールは困った。
王国最強の騎士が、村人へ頭を下げている。
「見張るだけです」
「十分だ」
「剣は止められません」
「言葉で止めろ。私より効く」
それは信頼というより、疲労から出た依頼だった。
だがニールは、のちに何度もレオンを止めることになる。
そのたびグレンは遠くで、ほんの少し安心した顔をした。
騎士団はニールを囲み、北の演習地へ移動した。
だが演習地へ通じる石橋で止まった。
橋は狭い。
三騎ずつしか渡れない。
先頭の馬が動かなくなった。
「どうした!」
レオンが怒鳴る。
「橋板が一枚、浮いております!」
「越えろ!」
「馬が嫌がります!」
「王国最強の軍馬だぞ!」
「馬は肩書きを読めません!」
後続が詰まる。
さらにその後ろから、王都へ小麦を運ぶ荷車が来た。
反対側からは避難民の列。
橋の両端が人と馬で埋まった。
レオンは聖剣を抜いた。
「橋ごと斬る!」
「渡れなくなります」
ニールが止めた。
「ではどうする!」
「板を直します」
「戦いは?」
「そのあとです」
「待てん!」
「世界滅亡まで二十五日です。十分くらい待てます」
「一秒も惜しい!」
「さっき王都で一時間、登場を待ってましたよね」
「演出だ!」
ニールは荷車の工具箱を借りた。
浮いた橋板を外す。
釘が錆びている。
下の梁にもひびがあった。
「十分では無理です」
「斬る!」
「もっと無理になります」
ニールは人々へ指示した。
騎士の馬を降ろす。
空いている荷車を脇へ寄せる。
避難民を日陰へ移す。
大工を探す。
避難民の中から三人が手を挙げた。
「材料がない」
大工が言った。
「騎士団の槍を使います」
「武器だぞ!」
レオンが叫ぶ。
「柄は木です」
「聖別された白樫だ!」
「丈夫ですね」
「橋にするな!」
グレンが部下から槍を受け取った。
「使え」
「団長!」
「橋を渡れねば戦えん」
「しかし騎士の魂が!」
「魂は柄に入っていない」
「どこに?」
「胸だ!」
レオンは胸へ手を当てた。
鍋がずれた。
橋の補修が始まった。
槍の柄を梁へ添える。縄で締める。荷車の板を外して路面へ渡す。
作業の間、ニールは橋を一方通行にした。
まず食料を王都へ入れる。
次に子どもと老人を渡す。
最後に騎士団。
「なぜ我々が最後だ!」
「馬が重いからです」
「王国最強だぞ!」
「重さは変わりません」
二時間後、橋は直った。
小麦の荷車は王都へ入り、避難民は南へ抜けた。
白耀騎士団が渡り始める。
三千騎が渡り終えるまで、さらに二時間かかった。
夕方。
演習地へ着いた。
「さあ戦え!」
レオンが剣を構えた。
「今日は遅いです」
「まだ日がある!」
「馬が疲れています」
「王国最強の軍馬だ!」
先頭の馬は草を食べていた。
呼んでも顔を上げない。
「やる気がありません」
「ならば騎士だけで戦う!」
グレンが止めた。
「野営準備が先だ」
「戦いが先だ!」
「三千人分の夕食を作らねばならん」
「携帯食がある!」
「橋で避難民へ配った」
「なぜだ!」
「お前が一秒も惜しいと言ったからだ。炊き出しを待つ時間を省いた」
「俺の食事は!」
「ない」
勇者の顔から正義が消えた。
「村人。食料を持っているな」
「二人分だけです」
「勇者へ差し出せ」
「嫌です」
「世界を救う勇者だぞ!」
「一度死んだ勇者です」
「死んでない!」
「俺の中ではかなり死んでました」
レオンが斬りかかった。
速い。
ニールには剣筋さえ見えなかった。
グレンが大剣で受け止める。
衝撃で地面が割れた。
「団長、なぜ邪魔をする!」
「今のは決闘ではない。食料強盗だ」
「勇者の補給だ!」
「自分で狩れ」
「この辺りに魔物はいない!」
「なぜだと思う」
グレンは周囲を示した。
三千騎が押し寄せたため、鳥も獣も逃げている。
ニールは地面を見た。
演習地の端に、細い葉が群生していた。
「食べられる草があります」
騎士たちが集まる。
「本当か」
「毒は?」
「調理法は?」
「根を洗って煮ます。ただし似た毒草があるので、赤い筋のあるものは捨ててください」
騎士団は草を採り始めた。
世界最強の騎士たちが、日暮れの野原で一列になって根を掘る。
レオンは聖剣を握ったまま立っていた。
「お前たちは騎士だぞ!」
「腹が減っています!」
「誇りを持て!」
「誇りは煮ても食えません!」
巨大な鍋で草の根を煮た。
レオンは鍋を見つめた。
額にも鍋がある。
ミナが聞いた。
「それを外して使わない?」
「兜だ!」
「よく煮えそう」
「聖なる兜で料理をするな!」
食事ができるころには夜だった。
騎士と避難民は同じ火を囲んだ。
魔王軍の偵察兵も二人、捕まっていた。
縄で縛られ、少し離れた場所に座る。
「食事は?」
ニールが聞いた。
「敵だぞ」
騎士が答える。
「捕虜です」
「同じでは?」
「捕虜は食べます」
根の煮込みを二杯渡す。
魔族の偵察兵は匂いを嗅いだ。
「毒は?」
「入ってません」
「なぜだ」
「その質問、魔王もしました」
「陛下に会ったのか」
「焼き芋を半分あげました」
二人は顔を見合わせた。
「本当に例の村人だ」
「何が例なんです」
「魔王軍で噂だ。食事を出されたら警戒しろと」
「毒を?」
「気づいたら戦う理由がなくなる」
騎士たちが笑った。
魔族は煮込みを食べた。
「薄い」
「塩がない」
「魔王軍なら胡椒も出る」
「捕虜のくせに贅沢だな」
「月八日休みだ」
「それは関係ない!」
食後、騎士と魔族は互いの宿舎の話をした。
寝台の硬さ。
給料日。
上官の癖。
国は違っても、不満は似ていた。
翌朝、魔族の二人を釈放した。
「なぜだ」
「橋で戦うと両軍が死ぬと伝えてください」
「信じなければ?」
「根の煮込みが薄かったと」
「それで何が伝わる」
「同じ鍋を囲めるくらい、近くにいる」
二人は北へ走った。
橋の会戦で魔王軍がすぐ武器を置いたのは、福利厚生だけが理由ではなかった。
前夜、敵と同じものを食べた兵士がいたからだ。
決闘も、その朝に延期されていた。
ところが、雨が降った。
演習地は泥沼になった。
レオンは構わず聖剣を抜いた。
「今度こそ戦え!」
「足場が悪いです」
「勇者に足場は関係ない!」
一歩踏み出した。
滑った。
鍋から落ちた。
額からではない。頭に載っていた鍋が外れただけだ。
「死んだ?」
ニールが聞いた。
「死んでない!」
レオンは泥から起き上がった。
外れた鍋を拾い、また頭へ載せた。本人の中では兜になっている。
その背後で、橋が大きな音を立てた。
北から来た軍用馬車が橋の入口で横転している。
荷台には火薬樽。
さらに北には、魔王軍の旗が見えた。
南には王国軍の補給隊。
両軍が同じ橋へ向かっていた。
ニールの板が現れる。
『世界滅亡へ接続する失敗を確認』
『白耀橋会戦』
『火薬庫誘爆により、王国軍・魔王軍ともに壊滅』
『修正期限――二時間』
グレンが大剣を抜いた。
「白耀騎士団、戦闘準備!」
ニールは橋を見た。
「戦ったら両方死にます」
「ではどうする」
「詰まらせます」
「すでに詰まっているぞ」
「もっとです」
ニールは騎士団へ命じた。
橋の両端へ、空の荷車を横向きに置く。
車輪を外す。
馬を逃がす。
王国軍も魔王軍も橋へ入れない。
「卑怯だぞ!」
北岸の魔族が叫ぶ。
「そちらも火薬樽がありますよね!」
「これは攻城用だ!」
「こちらにもあります!」
「なら正々堂々、同時に爆発しろ!」
「嫌です!」
両軍は橋を挟んで怒鳴り合った。
一時間。
二時間。
戦えないまま昼になった。
腹が減った。
ニールは橋の中央へ大鍋を置いた。
昨日採った根と、王都から来た小麦を煮る。
「武器を置いた者から食べてください!」
最初に武器を置いたのは魔王軍だった。
「月八日休みだから判断が柔軟だ」
グレンが感心した。
王国騎士も剣を置いた。
橋の中央で、敵同士が同じ鍋を囲んだ。
レオンだけは剣を持っていた。
「戦いはどうした!」
誰も答えない。
食事中だった。
火薬樽は水路へ運び、火種を遠ざけた。
会戦は起きなかった。
『白耀橋会戦――修正完了』
文字が空へ出る。
グレンはニールを見た。
「強いな」
「剣は弱いです」
「知っている」
「魔法も使えません」
「見ればわかる」
「では何が」
「三千騎を四時間、橋で待たせた。勇者にもできん」
「やろうと思わないだけです」
「それが強さだ」
白耀騎士団は剣を納めた。
勇者レオンは納めなかった。
「認めんぞ!」
「何をです」
「お前が私より役に立つことを!」
「俺は認めてません」
「ならばよし!」
「いいんですか」
北の空から黒竜の馬車が降りてきた。
魔王セレナが扉を開ける。
「約束の三日は待った。迎えだ、ニール」
王国最強騎士団。
復活した勇者。
魔王。
王都の目の前で、三者がそろった。
ニールは鍋の底をかき混ぜた。
「食べてからでいいですか」
セレナは空の器を出した。
「私は学習した」




