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村人ですが、勇者が開始五分で死んだので世界を救うことになりました  作者: 藤崎聖子


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第23話 世界最後の日

 朝日は、二つの世界へ昇った。


 現世界では赤い朝日。


 新世界では白い朝日。


 二つを光の橋が結んでいる。


 ミナ一人で支えていた橋へ、白い線が加わった。


 番号一。


 番号二。


 番号三。


 《天秤》の白い兵士たちが、世界中から集まる。


 一万体。


 十万体。


 空を埋めた。


『接続維持機能を分担する』


 番号一が告げた。


『管理補助体の負荷、九十九パーセント減少』


 ミナの膝が崩れる。


 ニールが受け止めた。


「記憶は?」


「パンは、小麦粉と水」


「その次は」


「塩と酵母」


「思い出した?」


「記憶帳を読んだ」


 失った記憶は戻っていない。


 だが覚え直せる。


 光の橋が広がった。


 細い道が、空を覆う門になる。


 魔力転送量が十倍。


 百倍。


 世界中の青いジャガイモから光が上がる。


 セレナの体からも、余剰魔力が抜け始めた。


 角の亀裂が止まる。


 崩壊まで、あと一時間だった。


「間に合った?」


 ニールが聞く。


「まだだ」


 セレナは空を見た。


「この世界の器は、もう戻らない」


 魔力を抜いても、大地の崩壊は止まらない。


 海岸線が沈む。


 山が崩れる。


 空の亀裂が大きくなる。


 現世界の寿命は尽きている。


 延命できる段階ではなかった。


『移住計画へ移行する』


 番号一が言う。


「〇・〇〇三パーセントだけ?」


『否定』


 空に数字が出る。


『移送可能生命率、八十七パーセント』


 ジャガイモが新世界の大地を安定させた。


 魔力が空気と水を作った。


 白い兵士が橋を維持している。


 当初より、はるかに多くの生命を運べる。


「残り十三パーセントは?」


『移動不能個体。深海生命。地下深層生命。接続範囲外』


「道を増やします」


『時間不足』


「あと何時間」


『六時間』


「十分です」


『短い』


「村一つなら引っ越せます」


『世界全体だ』


「村をたくさん集めたものです」


 最後の仕事が始まった。


 七百二十一班を、移住案内班へ変える。


 人間の町。


 魔族の集落。


 獣人の森。


 竜の巣。


 海の民。


 すべてへ門を開く。


 持っていける荷物は一人一つ。


 食料と水を優先。


 家は置いていく。


 金貨も宝石も、運べるが食べられない。


「王冠は?」


 国王が聞いた。


「一つに数えます」


「王笏は?」


「どちらか選んでください」


「王の権威が半分になる!」


「向こうで作り直してください」


 国王は王冠を選んだ。


 財務大臣は帳簿を選んだ。


「金庫は?」


「置いていきます」


「帳簿だけ運んでも数字しかない!」


「記録は残ります」


 料理長は大鍋を選んだ。


「食料では?」


「鍋があれば作れる!」


 グレンは大剣。


 レオンは古い剣を置いた。


「持っていかないんですか」


「向こうで鍬を買う」


「農業を?」


「力仕事なら任せろ」


「技名は禁止です」


「まだ言ってない!」


 アデルは何も持たなかった。


「荷物は?」


「息子がいる」


「人は荷物に数えません」


「では、この器を」


 冷めたスープを食べた器だった。


 洗ってある。


 レオンは気づかないふりをした。


 セレナは玉座を置いていく。


 持ったのは、魔王軍の雇用規則だった。


「新世界でも使うんですか」


「休みは必要だ」


「世界最後の日ですよ」


「だからこそだ」


 村長は家の建築予定図を持った。


「今度こそ石造りだ」


「土地は?」


「先に取る」


「争いになります」


「村長権限だ」


「新世界では無効です」


「では最初に村長選挙をする!」


「負けるかもしれません」


 村長は予定図を見つめた。


「家だけでいい」


「それがいいです」


 移住は進む。


 だが深海の生命を運ぶ門が足りない。


 地下深層の虫や菌も残っている。


 十三パーセント。


 数字が減らない。


 ニールはジャガイモの根を見た。


 根は魔力水路だけでなく、土の中の菌と結びついている。


 芋を通じて、新世界へ土ごと運んでいた。


「作物を運ぶんじゃない」


「何?」


 ミナが聞く。


「畑を運ぶ」


 土。


 虫。


 菌。


 種。


 水。


 目に見えない生命まで、一つの畑として移す。


「世界中の地面を掘ってください!」


 各班へ命令を送る。


 一人、両手で抱えられるだけの土を持つ。


 海の民は海水を器へ入れる。


 洞窟の民は泥を持つ。


 竜は巣の苔を運ぶ。


 十二万人の元連合軍も土を掘った。


 百万人。


 千万人。


 世界中の者が、一握りの故郷を持って門を渡る。


 誰もがすぐには渡れなかった。


 家の前で立ち止まる者がいる。


 墓地から動かない者がいる。


 生まれた町を、最後まで見たい者がいる。


 移住案内班は急げと叫んだ。


 ニールは叫ぶなと命じた。


「時間がありません!」


「わかっていて動けないんです」


「待てません!」


「一分だけ待ちます」


 それ以上は無理だ。


 だが一分は渡す。


 砂漠の老女は家の壁を撫でた。


 夫と二人で積んだ日干し煉瓦。


 三十年前、夫は死んだ。


 壁だけが残った。


「持っていけるのは一つです」


 案内役が言う。


 老女は煉瓦を一つ抜いた。


 家が少し傾く。


「これでいい」


 海洋国の船長は、船を置いていけなかった。


「この船で三十年、海へ出た!」


「門を通りません!」


「帆だけでも!」


「一つなら!」


 船長は帆を外した。


 新世界で最初の大きな天幕になる。


 山岳国の少年は、父の墓石を運ぼうとした。


 重くて動かない。


 魔族の兵士が一緒に持ち上げた。


「荷物は一人一つだ」


「二人で一つなら?」


 案内役は迷った。


「規則にありません」


「なら通せ」


 魔族の兵士は笑った。


 二人で墓石を門へ運んだ。


 規則は、誰かを置き去りにするためではない。


 その場にいる者が少しずつ曲げた。


 森王は母樹の前から動かなかった。


 巨大すぎて運べない。


「私は残る」


「だめです」


 ミナが言った。


「この樹が国なの」


「種を持って」


「種は同じ樹じゃない」


「同じではありません」


「なら残る」


「でも育てたら、あなたが知っている歌を教えられる」


 森王は幹へ耳を当てた。


 葉が揺れる。


 一粒の種が落ちた。


「母樹が、行けって」


「何と言ってます」


「向こうで大きくなれ、って」


 森王は泣きながら種を持った。


 門を渡る。


 古い世界に残るものは多い。


 すべてを持ってはいけない。


 それでも一つずつ、未来へ渡した。


『移送可能生命率、九十二パーセント』


 九十五。


 九十八。


 九十九・七。


 残るのは、門へ来られない生命。


 火竜グラノスが飛んだ。


 背には牛。


 竜の群れを率い、山奥の動物を追い立てる。


 牛の鳴き声に驚き、獣たちが門へ走る。


「ドラゴンより牛が怖い!」


 レオンが笑う。


「前にも言いました」


「私が言った!」


「題名みたいに言わないでください」


 残り三十分。


 ルート村の住民が門を渡る。


 村長。


 パン屋の両親。


 子どもたち。


 最後にニールとミナ。


 ニールは畑を振り返った。


 世界修正権限を埋めた場所から、小さな芽が出ていた。


「持っていく?」


 ミナが聞く。


「置いていく」


「世界を直せるかもしれない」


「この世界のものです」


 芽へ土をかぶせる。


 最後まで育つ時間はない。


 それでも水を一杯やった。


「行こう」


 二人は門を渡った。


 門の途中には、何もなかった。


 空も地面もない。


 音もない。


 ニールはミナの手だけを感じた。


「離すなよ」


「誰に言ってるの?」


 声は聞こえた。


「俺だ」


「俺って?」


 ニールの足が止まった。


 ミナの記憶が、また消えている。


「ニール・アルバート」


「知らない」


「ルート村の村人」


「ルート村って?」


「俺たちの村だ」


「私たち?」


 握る手の力が弱くなる。


 この場所で手を離せば、どちらの世界へ落ちるかわからない。


「ミナ」


「それ、私?」


「そうだ」


「証拠は?」


「赤い髪」


「見えない」


「パン屋の娘」


「パンって?」


「小麦粉と水と塩と酵母をこねて焼く」


「詳しいね」


「ミナに教わった」


「私、上手?」


「かなり」


「あなたは?」


「食べるのが」


「役に立たない」


「よく言われる」


 ミナが少し笑った。


 その笑い方を、ニールは知っている。


「ほかに、私は何が得意?」


「投石」


「パン屋なのに?」


「本人も理由を知らない」


「あなたの秘密は?」


「七歳のとき、蜂蜜を一瓶食べた」


「ひどい」


「なぜだ」


「家族の分は?」


「それも食べた」


「もっとひどい」


 笑い声が近くなる。


 遠くに白い光が見えた。


 新世界の出口。


「ねえ、ニール」


 ミナが名前を呼んだ。


「思い出した?」


「今、覚えた」


「それでいい」


「本当に?」


「俺も今のミナを覚える」


「前と違っても?」


「俺も前とは違う」


「どこが」


「世界を救う代理人だった」


「今は?」


「村人」


「戻ったの?」


「最初からだ」


 二人は光へ出た。


 名前は過去から持ってくるものではない。


 誰かに呼ばれ、そのたび新しく自分のものになる。


 新世界。


 空は白い。


 大地には緑のジャガイモ畑。


 人間も魔族も、その間に立っている。


 現世界の空が、門の向こうで崩れた。


 海が光になる。


 山が砕ける。


 世界樹が最後の葉を落とす。


 番号一が門を閉じようとした。


『移送率、九十九・九九七パーセント』


「残りは?」


『回収不能』


「待ってください」


『世界停止まで十秒』


 ニールには何もできない。


 権限は捨てた。


 戻れない。


 ミナが手を握る。


「できることはやった」


「全部じゃない」


「全部できる人はいない」


「勇者なら?」


「あなたは村人よ」


「そうだった」


 現世界が閉じる。


 光の中で、最後に見えたものがある。


 畑の芽。


 世界修正権限を埋めた場所。


 芽は一瞬で大きくなった。


 根が世界中へ伸びる。


 埋めた石板ごと、芽の下の土を抱え込む。


 回収できなかった生命を包む。


 種のように丸くなる。


 光の粒になり、閉じる門を越えた。


『移送率、百パーセント』


 番号一の声がした。


 門が閉じた。


 古い世界は終わった。


 誰も歓声を上げなかった。


 故郷が消えたのだ。


 泣く者がいた。


 座り込む者がいた。


 土を握る者がいた。


 ニールも泣いた。


 世界を救えなかった。


 けれど、そこに生きていたものを未来へ渡せた。


 ミナが隣にいる。


 レオンもいる。


 セレナも。


 人間も魔族も。


 牛も。


 新しい世界に、最初の雨が降った。


 全員が空を見上げる。


 ニールは手のひらで雨を受けた。


「畑を作ろう」


 世界最後の日は、新世界最初の日になった。


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