第24話 新しい畑
旧世界の暦で、三年後。
新世界で最初の戸籍調査があった。
役人はルート村へ机を出した。
名前。
年齢。
種族。
職業。
一人ずつ紙へ書く。
「ニール・アルバート。二十歳」
「種族は人間」
「はい」
「職業は」
「村人」
役人のペンが止まった。
「ほかにあるでしょう」
「何がです」
「世界救済軍総指揮」
「解散しました」
「世界修正権限使用者」
「返しました」
「新世界移住計画立案者」
「終わりました」
「勲章は」
「鍬の邪魔です」
「では農家」
「畑は母の名義です」
「大工」
「村長の家しか直してません」
「四回直したと聞いています」
「同じ家です」
「無職では?」
「村人です」
役人は困った。
「村人は職業ではありません」
「前の世界では職業でした」
「ここは新世界です」
「では、新しく職業にしてください」
「業務内容は?」
ニールは畑を指した。
「朝、土を見る。壊れたものを直す。困っている人がいれば手伝う。昼食を食べる。午後も同じです」
「範囲が広すぎます」
「村なので」
「資格は?」
「ここに住むこと」
役人は長く考えた。
職業欄へ書いた。
『村人』
「特記事項は?」
「ありません」
後ろで待っていたレオンが紙をのぞく。
「書け! 勇者が開始五分で死んだので世界を救った、と!」
「長いです」
「重要だぞ!」
「勇者は死んでないんでしょう」
「一度目はな!」
「二度目は?」
「それは……かなり死んだ」
周囲が静かになった。
「認めた!」
グレンが叫ぶ。
「今のは取り消す!」
「記録しました」
役人が紙へ書いた。
「そこは記録するな!」
ニールの特記事項には、結局こう残った。
『勇者死亡後、世界救済へ従事』
「普通ですね」
「役所の文章だからな」
役人が答える。
「物語にするなら、もっと長い題名がいい」
「どんな?」
ミナが後ろから言った。
「村人ですが、勇者が開始五分で死んだので世界を救うことになりました」
「死んでない!」
レオンの声が、新世界の役所へ響いた。
戸籍には訂正されないまま残った。
新世界に三つの国ができるまで、三年かかった。
最初の一年は、国と呼べる形ではなかった。
移住直後の七日間、夜はなかった。
白い太陽が地平線へ沈まず、空をゆっくり回り続けた。
人々は眠れなかった。
「世界の設計ミスでは?」
ニールが番号一へ聞く。
『仕様』
「夜がない仕様?」
『自転周期、旧世界の百六十八時間』
「一日が七日です!」
『正確』
「作物が困ります!」
『生命移送前は問題ではなかった』
「今はいます!」
『確認した』
世界を選び直すことはできない。
移住した全員が、もうこの大地にいる。
「権限を掘る?」
ミナが聞いた。
「掘りません」
「では夜を作る」
人間は厚い布を張った。
魔族は遮光魔法を使った。
竜が翼で共同寝床へ影を作った。
牛が竜を追い払った。
「またですか!」
「牛を寝床から離せ!」
「乳が出なくなります!」
「竜と牛を交代制に!」
「竜にも休暇を!」
最初の夜は、布と魔法と竜の翼で作った。
暗くなると、子どもが泣いた。
「夜が来た!」
「作ったんです」
「消えない?」
「朝になれば」
「朝はいつ?」
「八時間後です」
「本物の太陽は?」
「まだ上です」
「嘘の夜?」
「眠るための夜です」
子どもは納得しなかったが、眠った。
一年後、遮光石を並べた巨大な輪が完成した。
八時間ごとに居住地を影で覆う。
新世界に夜ができた。
天文学者は人工夜と呼んだ。
村人は寝る時間と呼んだ。
呼び方は違っても、全員よく眠った。
二年目には、大雨が四十日続いた。
川があふれた。
新しいルート村が水に囲まれる。
「世界修正権限を」
国王が言いかけた。
「掘りません」
全員が答えた。
「まだ最後まで言っていない!」
「顔でわかります」
ニールは高台を探した。
家畜を移す。
水路を広げる。
魔族の水魔法使いが流れを変える。
人間の大工が浮く家を作る。
海洋国の船長が、旧世界から持ってきた帆を張った。
家ごと水へ浮いた。
「船になった!」
村長が喜ぶ。
「あなたの家ではありません」
「次はこれにする!」
「石造りは?」
「水に沈む!」
「毎年変えないでください」
四十日目、雨が止んだ。
畑の作物は半分流された。
流れた種は下流で芽を出した。
翌年、そこに新しい村ができた。
失敗した場所が、別の誰かの始まりになった。
三年目。
初めて十分な収穫があった。
収穫祭を開く。
人間の料理。
魔族の料理。
海の民の料理。
山の民の料理。
全部にジャガイモが入っていた。
「芋しか育たなかった年の反動だ」
料理長が百種類の芋料理を並べる。
「豆は?」
「来週だ!」
祭りの中央には、旧世界から運んだ土が置かれた。
皆が一握りずつ持ってきた故郷。
混ぜて、一つの大きな畑にした。
砂漠の砂。
森の黒土。
山の石。
魔王領の灰。
海辺の塩。
作物には向かない土もある。
ニールは取り除かなかった。
「育ちにくくなるぞ」
アデルが言う。
「故郷です」
「畑だろう」
「両方です」
そこへ世界樹の苗を植えた。
森王が母樹の種を置く。
オルドが水をやる。
セレナが魔力を少しだけ流す。
レオンが土をかけた。
力を入れすぎた。
苗が全部埋まった。
「何をしてる!」
「《大地祝福――》」
「掘り返してください!」
全員で苗を救出した。
祭りの最初の笑いだった。
夜には、人間も魔族も同じ輪で踊った。
仲良くなったからではない。
踊り方を互いに知らず、別々に動いた結果、同じ場所を回っただけだ。
足を踏む。
角がぶつかる。
謝る。
笑う。
次は少し避ける。
平和は、その繰り返しだった。
雨を避ける天幕。
共同の炊事場。
土を盛っただけの道。
人間も魔族も、毎朝同じ列へ並んだ。
食事の列。
道具の列。
治療の列。
争いも起きた。
「角が邪魔だ!」
「お前の荷物が多い!」
「水を取りすぎだ!」
「先に並んだ!」
世界が一つになったからといって、人が仲良くなるわけではない。
ニールは争いのたび、地面へ線を引いた。
「こちらが人間用、向こうが魔族用」
「分けるのか」
「今日は」
「明日は?」
「混ぜられる方法を考えます」
翌日、列を職種別にした。
大工。
農家。
料理人。
治療師。
人間と魔族が同じ列になる。
その翌日、家族単位にした。
さらに翌日、列そのものをなくした。
配給所を三つ作ったからだ。
「最初から作れば?」
セレナが聞いた。
「人手が足りませんでした」
「権限で増やせば」
「埋めました」
「そうだった」
戻せない世界では、仮の答えを使うしかない。
今日の線が、明日には消える。
それでよかった。
最初の冬は早く来た。
新世界の季節を誰も知らなかった。
予想より一か月早い雪。
畑の半分は収穫前だった。
「世界修正権限を掘る?」
ミナが聞いた。
「掘りません」
「凍死者が出るかも」
「出さない方法を探します」
魔王軍の毛布倉庫を開けた。
旧世界から転移室ごと移した毛布だ。
村長が寝ていた、あの毛布だった。
「役に立った!」
村長が胸を張る。
「あなたは運んでません」
「温めておいた!」
「三年前です」
人間の船の帆を切り、天幕の二重壁にする。
魔族の火魔法使いが共同暖房を作る。
竜が風上へ並び、吹雪を防ぐ。
牛は竜の隣へ並んだ。
竜は逃げた。
「防風壁が減りました!」
「牛を後ろへ!」
「牛が嫌がります!」
「どちらを優先する!」
「風上です!」
夜通しで家畜の配置を変えた。
最初の冬、凍死者は出なかった。
畑の半分は失った。
種は三割残してあった。
翌春、もう一度まいた。
アデルがつけた印のある袋から、最初の芽が出た。
聖征王は膝をつき、緑の芽を見た。
「これが未来の取り分か」
「はい」
「小さいな」
「最初は」
芽は夏に穂をつけた。
秋には種が百倍になった。
世界は奇跡で救われたのではない。
一度の冬を、皆で越えた。
人間の国。
魔族の国。
どちらでもない者の国。
国境は、まだ線だけだった。
誰も柵を作る暇がなかったからだ。
先に畑を作った。
家を建てた。
井戸を掘った。
道をつないだ。
争うのは、それからでも遅くない。
ルート村も新しくなった。
人口は四百人。
人間が半分。
魔族が三分の一。
残りは、本人たちも何族かよくわかっていない。
村長の家は石造りになった。
壁は厚い。
屋根は燃えにくい瓦。
水路から離れている。
投石機の射線にも入らない。
「完璧だ」
村長は毎朝、家を見て言う。
その隣には、火竜グラノスの巣がある。
くしゃみをするたび、屋根が焦げる。
「なぜ隣に住ませた!」
「先に巣がありました」
「家を別の場所へ建てろ!」
「完成してから言わないでください」
「四回目だぞ!」
「今度は修理だけです」
ニールは屋根へ上がり、瓦を替えた。
世界救済代理人ではない。
役職は村人。
前と同じだ。
ただし畑は前より広い。
ジャガイモ、小麦、豆、蕪、南瓜。
旧世界から運んだ土を混ぜ、少しずつ作物を増やした。
新世界の土は痩せていたが、魔力は穏やかだった。
牛は三十頭から百頭へ増えた。
竜が近づくと追い回す。
火竜は牛舎の裏へ隠れる。
世界最強の魔獣という肩書きは、誰も信じなくなった。
レオンは農作業を手伝っている。
筋力だけは本当に強い。
一人で畑を一反耕す。
「見よ! 《大地開闢神聖耕作撃》!」
「鍬が折れます!」
折れた。
「支給品が弱い!」
「力を入れすぎです!」
「元勇者だぞ!」
「今は農作業員です!」
「正式名称は農業救済騎士だ!」
「自分でつけましたよね」
レオンは月に一度、騎士学校でも教えている。
剣ではない。
撤退の仕方。
武器を置く判断。
失敗を報告する大切さ。
生徒からは人気がある。
授業の半分は、自分が何度死んだかという話になる。
「一度だ!」
そこだけは譲らない。
アデルは学校の門番をしている。
本人は名誉職だと言う。
実際は、息子の授業を毎回聞いている。
終わると必ず一つだけ助言する。
「構えが甘い」
「武器を置く授業です!」
親子の会話は、まだ難しい。
以前よりは続くようになった。
グレンは人間と魔族の共同警備隊長になった。
勤務は三交代。
月八日休み。
採用書類は、結局提出した。
「紙質を見ただけでは?」
ニールが聞く。
「三年見た」
「長いですね」
「慎重だ」
セレナは魔王を続けている。
だが、以前のように世界中の魔力を一人で集める必要はない。
魔王は役職になった。
魔力水路の管理責任者。
任期は五年。
選挙制。
「誰が私に対抗する」
最初の選挙でセレナは余裕だった。
対立候補は料理長だった。
公約は、食堂の豆を週二回から三回へ増やすこと。
セレナは十二票差で勝った。
「危なかった」
「食事は強いです」
「次は私も芋料理を公約にする」
「政策で勝ってください」
「食事も政策だ」
正しかった。
大賢者オルドは、世界樹の苗を管理している。
旧世界の最後に飛んできた種から芽が出た。
まだ人の背丈ほどだ。
その根元に、世界修正権限の石板が埋まっている。
新世界へ一緒に渡っていた。
「掘り出さないんですか」
ミナが聞いた。
「埋めたままでいい」
ニールは答えた。
「また必要になるかも」
「必要になったら、まず自分たちで考える」
「それでもだめなら?」
「掘るか相談する」
「使うんじゃなく?」
「相談からです」
「面倒ね」
「世界を変えるなら、そのくらいがいい」
番号一も新世界にいる。
《天秤》は世界停止機構から、世界観測機構へ変わった。
命令は一つ。
『判断の前に、生命へ聞く』
番号一は村の託児所を手伝っている。
子どもたちから花輪を毎日もらう。
全部、腕へかける。
今では肩まで花で埋まっている。
「重くない?」
『重量増加』
「捨てれば?」
『不要』
「どっちが?」
『回答を保留する』
保留することを覚えた。
ミナは村のパン屋を継いだ。
記憶は半分ほど戻らなかった。
パンの作り方は覚え直した。
前より柔らかいパンを焼ける。
石へ投げても、石が割れなくなった。
「弱くなった」
レオンが残念そうに言う。
「パンとして強くなったの」
「武器としては?」
「鍬を使いなさい」
投石の腕は忘れなかった。
本人によれば、体が覚えているらしい。
ニールが七歳で蜂蜜を一瓶食べたことも忘れなかった。
新世界の歴史書、第一頁に書かれている。
「なぜだ」
「世界の重要記録だから」
「どこが」
「私が決めた」
「管理補助体の私用だ」
「もう辞めたから」
「いつ?」
「新世界へ来た日」
「今、何の仕事を?」
「パン屋」
「それでいいのか」
「それがいいの」
夕方。
ニールとミナは畑を歩いた。
ジャガイモの花が咲いている。
白い小さな花。
旧世界を救った伝説の作物には見えない。
「収穫は来週ね」
「今年は多い」
「また世界を救えるくらい?」
「世界は救わなくていい」
「なぜ?」
「今は腹を満たせばいい」
地面が揺れた。
遠くの山が割れる。
巨大な影が立ち上がった。
四本の腕。
岩の体。
雲へ届く頭。
新世界で初めて見る怪物だった。
警鐘が鳴る。
レオンが走ってくる。
「ニール! 世界の危機だ!」
「今、ジャガイモを植えてるからあとにして」
「あれが村へ来るぞ!」
「歩く速さは?」
「一時間で山一つ!」
「村まで?」
「半日だ!」
「なら昼食後で」
「遅い!」
怪物が一歩進んだ。
足元で地面が崩れる。
地下のジャガイモ貯蔵庫へ落ちた。
動かなくなった。
静かになった。
「死んだ?」
ニールが聞く。
「死んでない!」
穴の底から低い声がした。
レオンは笑った。
「私の台詞だぞ!」
「助けますか」
「敵では?」
「芋を踏んだだけです」
「世界の危機だぞ」
「今のところ、貯蔵庫の危機です」
ニールは鍬を担いだ。
ミナは縄を持つ。
レオンが力仕事をする。
セレナは被害額を計算する。
グレンは周囲を立入禁止にする。
番号一は怪物へ来訪者名簿を渡す。
村長は自分の家から遠いことを確認した。
全員で穴へ向かった。
世界は、そこにある土でも、国でも、城でもない。
そこに暮らす者たちだ。
救うとは、世界をそのまま保存することではない。
今日を明日へ渡すことだ。
「ニール!」
レオンが穴の底を見て叫ぶ。
「怪物がジャガイモを食べている!」
「何個?」
「全部だ!」
ニールは鍬を握り直した。
「それは世界の危機だ」
新しい畑に、笑い声が響いた。
その日の夕方、怪物は穴から引き上げられた。
名前はゴロウになった。
五郎目の巨大生物だったからではない。
村長が適当につけた。
「もっと壮大な名があるだろう!」
レオンが抗議した。
「《新界震撼岩窟巨神王》!」
「長い」
村長が却下した。
「では《岩王》!」
「怖い」
「《ゴロウ》!」
「それでいい」
「私の案ではないか!」
「最初からそう言え」
ゴロウは言葉をほとんど話さなかった。
食べたジャガイモの数だけは、指で示した。
両手は四本。
指は二十本。
全部立てた。
「二十個?」
首を振る。
もう一度、全部立てる。
「四十個?」
また首を振る。
百二十回目で、ニールは数えるのをやめた。
「全部です」
「最初に言った!」
レオンが怒鳴った。
ゴロウは申し訳なさそうに頭を下げた。
地面へ額が当たる。
新しい穴が開いた。
「増やすな!」
全員で叫んだ。
翌日から、ゴロウは貯蔵庫の番人になった。
給料は一日ジャガイモ三個。
「足りる?」
ミナが聞いた。
ゴロウは指を三本立てた。
今度はそのまま、うなずいた。
世界の危機は、村の仕事を一つ増やした。
それくらいの結末が、ニールにはちょうどよかった。
世界は続く。
完




