第2話 魔王軍、村を焼きに来る
翌朝、捕虜が全員起きた。
七百人が一斉に起きた。
寝床は畑だった。
枕は石だった。
毛布はなかった。
「捕虜の待遇が悪い!」
魔王軍の将軍バルドが抗議した。
「村人の待遇も似たようなものです」
ニールは壊れた柵を直しながら答えた。
「我々は客人だぞ!」
「捕虜です」
「武装した客人だ!」
「それを捕虜と呼びます」
魔族たちは縄で縛られていない。
七百人分の縄が村になかったからだ。代わりに靴を片方ずつ預かってある。
丘を越えて逃げるには、片足が裸ではつらい。魔族は顔を見合わせ、畑に座ったまま動かなかった。
最初に困ったのは、便所だった。
村の共同便所は四つ。
捕虜は七百三人。
朝、村の端から端まで列ができた。
「捕虜の尊厳が!」
バルドが叫んだ。
「村人の尊厳も並んでます」
ニールは列の後ろを指した。
村長も待っている。
「わしは先でよくないか」
「村長だから?」
「年寄りだからだ!」
「それは考えます」
ニールは畑の端へ溝を掘った。
板で囲う。
灰を入れる箱を置く。
「臨時便所です」
魔族の兵士が溝を見た。
「浅くないか」
「一日分です」
「屋根は?」
「ありません」
「雨が降ったら」
「昨日の投石機から板を外します」
「我が軍の秘宝が便所になるのか!」
「投石機です」
「せめて名前で呼べ!」
壊れた《冥界絶滅暗黒竜王砲》は解体された。
長い腕は村長宅の梁。
車輪は水車の予備。
投石籠は野菜運び。
側板は臨時便所の屋根になった。
魔族たちは複雑な顔で見守った。
「兵器が平和利用されている」
一人が呟く。
「いいことでは?」
ミナが聞いた。
「そうだが、便所から始めなくても」
次に困ったのは、子どもだった。
村の子どもたちは魔族を怖がっていた。
遠くから角を見て泣く。
魔族の兵士も困った。
泣かせようとしたわけではない。
「笑えば?」
ミナが兵士へ言った。
牙のある兵士が笑った。
子どもがもっと泣いた。
「口を閉じて」
「笑えと言っただろう!」
「牙は見せないで」
「無理だ!」
兵士は兜を外した。
頭には小さな角が二本。
子どもが泣き止んだ。
「触っていい?」
「だめだ」
「なぜ?」
「くすぐったい」
子どもは触った。
兵士が変な声を出した。
子どもたちは笑った。
十分後、魔族の兜は全部、子どもに取られていた。
魔王軍の兵士が、木の枝で角を飾られている。
バルドが頭を抱えた。
「威厳が」
「捕虜に必要ですか」
「最低限は!」
ニールはその光景を覚えていた。
世界を救う計画とは関係ない。
だが後になって思えば、人間と魔族が同じ軍へ入った最初の日は、あの日だったのかもしれない。
兵士が剣ではなく、子どもの作った草の輪を持った日だ。
ニールは朝から人数を数えた。
七百三人。
村人は百二十一人。昨夜までは、そこに勇者が一人いた。勇者が死に、代わりに魔族七百三人が増えたため、いま村にいるのは八百二十四人だった。
「食料が三日で尽きる」
村長が言った。
「二日です」
「なぜ減った」
「魔族は体が大きい」
「小さくならんか」
バルドが立ち上がった。
「捕虜に無理を言うな!」
「できないなら座っていてください」
「座っていた!」
「では問題ありません」
ミナが焼いた固いパンを配った。魔族一人につき半分。村人も半分だ。
角のある兵士がパンを割ろうとして、剣が欲しいと言った。
「剣は返せないわ」
「では斧を」
「もっと返せないわ」
「歯が欠ける」
「パンよ」
「武器では?」
「パンよ」
兵士は隣の石でパンを割った。
石が割れた。
「焼きすぎたかしら」
「石のほうを心配してくれ」
食べ終わるころ、村の鐘が鳴った。
見張りの少年が丘から駆け下りてくる。
「魔王軍だ! 北の道に、もっといる!」
バルドが胸を張った。
「救援部隊だ。貴様らは終わりだ!」
「何人です」
「知らん!」
「将軍なのに?」
「昨日、通信石を水路へ落とした!」
「落としたんですか」
「お前が水を流したからだ!」
ニールは丘へ上がった。
北の街道が黒く染まっている。
昨日の軍より多い。二千。いや、三千はいる。
大型の破城槌。
火矢を積んだ荷車。
翼を持つ偵察兵。
先頭には赤い鎧の女将軍がいた。兜の左右から、黒い角が伸びている。
「ルート村へ告ぐ!」
声が丘を揺らした。
「魔王軍第三軍団長ザリアである! 我が弟バルドを返せ!」
ニールは後ろを見た。
「弟だそうです」
「姉だ」
バルドが小声で答えた。
「返したら帰りますか」
「帰るわけがない。村を焼くと言っていた」
「先に言ってください」
「聞かれなかった」
ニールは丘の下へ叫んだ。
「バルド将軍は無事です!」
「嘘をつけ! 弟は一日三食でなければ泣く!」
「二食しか出してません!」
「やはり拷問しているな!」
魔王軍がどよめいた。
バルドは顔を覆った。
「あれは幼いころの話だ」
「今朝もパンが半分だと泣いてましたよね」
「目に粉が入った!」
「パンの?」
「眠り草のだ!」
「まだ残ってたのか」
ザリアが大剣を掲げた。
「正午まで待つ! 弟を返し、村を明け渡せ! さもなくば火の海にする!」
軍勢は街道へ陣を敷いた。
村人たちは集会所へ集まった。
「逃げよう」
村長が言った。
「道は塞がれています」
「山へ」
「老人と子どもは登れません」
「戦うのか」
「戦いません」
ニールは村の地図を広げた。
畑。
水路。
放牧地。
森。
北の街道。
「火矢で村を焼くそうです」
「だから逃げるんだろう!」
「今は晩秋です。屋根は乾いている。干し草もある。風は北から吹く」
「最悪じゃないか」
「向こうにとってもです」
ニールは地図の北側を指した。
魔王軍の陣の背後には、収穫後の麦畑が広がっている。
刈り株は乾いていた。
「敵が火を使えば、自分たちの後ろも燃える」
「だから何だ。向こうは火に強い魔族だぞ」
「荷車は木です。食料も燃えます」
バルドがうなずいた。
「姉上は兵站を前へ出す癖がある」
「教えていいんですか」
「私の昼食を半分にした」
「根に持ってるんですね」
「捕虜にも誇りはある」
ニールは計画を話した。
村人は黙った。
バルドも黙った。
ミナだけが手を挙げた。
「一ついい?」
「何だ」
「それ、成功しても村が燃えない?」
「燃える」
「燃えるの?」
「一部は」
「どこが?」
ニールは地図を指した。
村長の家だった。
「またわしの家か!」
「風下です」
「昨日直したばかりだぞ!」
「だからよく燃えます」
「直さなければよかった!」
「雨が降りました」
「正論で家を燃やすな!」
正午まで、二時間。
村人は働いた。
南側の家々へ水をかける。屋根の隙間を泥で埋める。家畜を石造りの貯蔵庫へ移す。
北側の空き家には藁を積んだ。
藁の下へ、生のジャガイモを置いた。
バルドが首をかしげた。
「なぜジャガイモだ」
「地面に穴を掘ると出てきたからです」
「それは知っている。なぜ火の近くに置く」
「焼けます」
「焼いてどうする」
「食べます」
「戦争中だぞ」
「腹は減ります」
正午。
ザリアが馬を進めた。
「返答を聞こう!」
ニールは村の入口に立った。
勇者の聖剣は持っていない。
鎧もない。
手には松明が一本。
「村は渡しません」
「ならば焼く!」
「どうぞ」
ザリアの目が細くなった。
「命乞いはしないのか」
「火矢は高いですよ」
「何?」
「一本いくらですか」
「貴様に関係ない!」
「村は百二十一人。家は三十七軒。その規模の軍で包囲する費用に合いません」
「魔王軍の威信に値段をつけるな!」
「給料、遅れてるそうですね」
魔王軍がざわめいた。
ザリアがバルドをにらんだ。
「弟よ!」
「捕虜にも発言の自由はある!」
「帰ったら覚えていろ!」
「帰れるならな!」
捕虜たちが歓声を上げた。
ニールは少しだけバルドを見直した。
「放て!」
ザリアが叫んだ。
数百本の火矢が空へ上がった。
黒い弧を描く。
村へ降る。
「水!」
南側の村人が桶を傾けた。濡れた屋根へ落ちた火は消える。
北側の空き家には火がついた。
炎が藁を走る。
風は北から南へ吹いていた。
煙も南へ流れる。
ザリアが笑った。
「自ら村を焼いたか!」
「まだです」
ニールは松明を持って、北の畑へ走った。
魔王軍の正面だ。
「何をする気だ!」
「畑を焼きます!」
「村人が言っていい言葉か!」
刈り株へ火をつけた。
炎は広がらなかった。
北風だからだ。火はニールのほうへ戻ってくる。
「ニール!」
ミナが叫んだ。
「失敗してる!」
「わかってる!」
「天候予測は得意じゃなかったの?」
「風が変わるのは夕方だ!」
「今は正午よ!」
「予定より戦争が早い!」
ニールは外套で火を叩き消した。
魔王軍から笑いが起きた。
ザリアが大剣を振り下ろす。
「進め!」
三千人が動いた。
計画は失敗した。
半透明の板が現れる。
『世界滅亡へ接続する失敗を確認』
『修正しますか』
「する!」
『変更可能な原因を検索』
文字が流れる。
『火矢の発射を中止――実行不能』
『北風を南風へ変更――実行不能』
『第三軍団長ザリアの判断を変更――実行不能』
「何ならできる!」
『検索中』
魔王軍が迫る。
『変更可能な原因を一件確認』
『午前、ニール・アルバートが村長宅の煙突を塞いだ事実』
「何でだ」
『煙突の煙が低く流れ、風向きの誤認につながりました』
ニールは今朝を思い出した。
村長の家を直した。
煙突へ板を置いた。
雨が入らないようにしたまま、外し忘れた。
「修正しろ!」
『原因の変更には、代理人の行動変更が必要です』
時間が巻き戻った。
午前。
屋根の上にいた。
手には板。
下では村長が怒鳴っている。
「煙突は塞ぐな!」
「今、外します!」
「さっきはそのまま行っただろう!」
「今回は外します!」
「今回はとは何だ!」
ニールは板を外した。
煙が真上へ昇る。
高いところでは、雲が南から北へ動いていた。
地上の風と逆だ。
ニールは計画を変えた。
正午。
再び火矢が上がる。
だが今度は、北の畑へ先に火をつけなかった。
魔王軍を前進させる。
村の北側へ誘い込む。
地面には浅い溝を掘ってある。魔族の歩兵には何でもない深さだ。
荷車には違う。
車輪がはまる。
兵站部隊が止まった。
前衛と荷車の間が開く。
そのとき、上空の風が地上へ降りた。
南風へ変わる。
ニールが刈り株へ松明を投げた。
火は北へ走った。
魔王軍の荷車を包む。
火矢の油へ燃え移る。
爆発した。
兵士たちは村へ逃げ込もうとした。
だがそこには、昨日捕虜になった七百人が並んでいた。
片足だけ裸で。
「魔王軍第二軍団!」
バルドが叫んだ。
「我々の靴を返せ!」
「今それか!」
ザリアが怒鳴った。
「二日も片足だけ冷たいんだぞ!」
「昨日からだ!」
「体感では二日だ!」
捕虜たちは武器を持っていない。
代わりに固いパンを持っていた。
投げた。
石より重い音がした。
第三軍団の兵士が次々に倒れる。
「パンだぞ!」
ザリアが驚愕した。
「パンよ!」
ミナが言い返した。
ザリアは退却を命じた。
魔王軍は燃える荷車を捨て、北へ逃げた。
バルドたちも追わない。
靴がないからだ。
戦いは終わった。
村の北側では空き家が三軒燃えている。
勝ったあとのほうが忙しかった。
火を消す。
怪我人を運ぶ。
逃げた家畜を戻す。
燃え残った梁を倒す。
敵味方を分けている暇はない。
魔族の兵士が、倒れた村人を背負った。
村人が、火傷した魔族へ水をかけた。
「なぜ助ける」
魔族が聞く。
「目の前にいたからだ」
「敵だぞ」
「今は怪我人だ」
「治ったら敵へ戻る」
「そのとき考える」
村の治療師は、人間から先に診ようとした。
ニールが止める。
「出血が多い順です」
「魔族を先に?」
「死にます」
「昨日、村を焼こうとした」
「死なせたら話を聞けません」
治療師は不満そうにしながら、魔族の傷を縫った。
縫われた魔族は痛みに耐えた。
最後の一針で泣いた。
「今?」
「安心した」
治療師は何も言わず、布を巻いた。
夜には、燃えた家の住民を集会所へ移した。
寝台が足りない。
魔族が外で寝ると言った。
「慣れている」
「捕虜のとき、待遇が悪いと怒ってました」
ニールが言う。
「客人には譲る」
「捕虜では?」
「今日は停戦中だ」
正式な停戦ではない。
誰も命令していない。
火を消し、傷を縫い、寝床を譲る間だけ、戦争が止まった。
平和とは、最初から大きな約束ではないのかもしれない。
今はこの人を殴らない。
その短い判断を、次の日も続けることだった。
南側は無事だった。
村長の家も無事だった。
「助かった……」
村長が膝をついた。
その直後、空き家の火が積んであった薪へ移った。
薪が崩れる。
転がる。
坂を下る。
村長の家に当たった。
燃えた。
「わしの家!」
ニールは目をそらした。
藁の下から焼けたジャガイモを掘り出す。
皮は焦げていたが、中は柔らかい。
村人と捕虜へ配る。
バルドが一口食べた。
「うまい」
「塩があればもっといいです」
「それは昨日、投石機が潰した」
「じゃあ、そのままで」
半透明の板に文字が出た。
『ルート村第二次襲撃――修正完了』
『世界滅亡まで、残り二十八日』
ニールは空を見た。
数字は減り続けている。
村を二度救っても、世界は救われていない。
北の空に、黒い点が現れた。
翼のある馬車だった。
六頭の黒竜が引いている。
魔王軍の兵士が全員ひざまずいた。
バルドも、片足だけ裸のまま頭を下げた。
馬車の扉が開く。
銀髪の女が降りた。
赤い瞳。
黒い角。
足元の草が魔力だけで灰になる。
世界最強の魔法使い。
魔王セレナ。
「誰が」
静かな声だった。
村中の窓が震えた。
「私の軍を、二度も畑で負かした」
全員がニールを見た。
ニールは焼き芋を飲み込んだ。
「畑では負かしてません」
「では、どこで?」
「一度目は水路です。二度目は村長の家です」
「わしの家を戦場に数えるな!」
セレナの赤い瞳が細くなった。
怒るかと思った。
だが魔王は、焦げたジャガイモを見た。
「それは何だ」
「昼食です」
「私の分は?」
「ありません」
魔王の背後で、空が割れた。
ニールは思った。
世界滅亡まで二十八日。
今日、滅びるかもしれない。




