第17話 村人、国家と戦う
連合軍の一日は、朝食から始まる。
十二万人がパンを食べる。
一人一個なら、十二万個。
馬は三万頭。
水は一日に百五十万リットル。
干し草は山になる。
軍隊は剣で進むのではない。
胃袋で進む。
「まず、パンを止めます」
ニールは前線から一日離れた宿場町へ降りた。
街道沿いのパン工房では、夜通し窯が燃えている。
軍へ納めるパンだ。
工房主がニールを追い返した。
「止められるか! 軍の命令だ!」
「小麦はあと何日分です」
「二日だ」
「井戸の水は?」
「昨日から濁っている」
「無理に焼けば、町の分がなくなります」
「断れば首が飛ぶ!」
「続ければ町が飢えます」
「どちらを選べと!」
「選ばなくていいです」
ニールは王国の世界救済許可証を出した。
「軍への納品を三日延期します。理由は世界救済」
「そんな権限が?」
「書いてません」
「だめだろう!」
「あとで国王へ確認してください」
「今は?」
「鳥で一日です」
「軍が先に来る!」
「だから先に止めます」
許可証の余白へ、ニールが延期命令を書いた。
工房主は迷った。
ミナが言う。
「窯を休ませれば、ひびを直せます」
工房主は窯を見た。
確かに壁が割れている。
「三日だけだぞ」
「十分です」
次は水。
連合軍は谷の川から取水している。
上流には三つの村があった。
軍が水を使いすぎ、畑へ回らない。
農民たちは怒っていた。
「堰を閉じます」
ニールが言う。
「軍に殺される!」
「閉じるのは半日です」
「半日でも同じだ!」
「川底を掃除するため、と伝えてください」
「嘘では?」
「本当に掃除します」
村人総出で堰を閉じ、川底の泥と枝を取った。
下流の水位が下がる。
連合軍の給水隊が慌てる。
抗議の騎士が来た。
「軍事行動の妨害だ!」
「水路の保守です」
「今やることか!」
「二年やってません」
「なぜ今まで放置した!」
「領主が費用を出さなかったからです」
農民たちが騎士を見る。
騎士は領主の紋章を隠した。
「……丁寧にやれ」
「明日までかかります」
「半日では?」
「今、壊れた場所が見つかりました」
「本当か」
「今から見つけます」
「おい!」
三つ目は荷車。
軍へ向かう街道で、車輪が次々に壊れていた。
急な徴発で、整備していない荷車まで集めたからだ。
ニールは街道脇へ修理所を作った。
壊れた車は全部止める。
「急いでいる!」
御者が怒鳴る。
「車軸が割れています」
「前線まで持てばいい!」
「持ちません」
「保証できるか!」
「できます。今、折れます」
車軸が折れた。
荷車が傾く。
「なぜわかった」
「音です」
「先に止めろ!」
「止めました!」
修理待ちの列ができる。
街道が詰まる。
後続の荷車も止まる。
パン、水、干し草、矢。
連合軍へ届かない。
一日目の夕方。
連合軍は進軍を止めた。
食料が半分しかない。
二日目。
馬へ与える水が足りない。
三日目。
将兵の朝食が出なかった。
兵士たちは怒らなかった。
怒る体力がなかった。
一人が革袋の底を叩く。
小麦粉がひとつまみ落ちた。
「家では、娘がこれで団子を作る」
隣の兵士が聞く。
「何歳だ」
「五つ」
「うちの息子と同じだ」
「帰ったら結婚させるか」
「早すぎる」
「二十年後だ」
「世界があればな」
二人は空を見た。
赤い数字が残り日数を示している。
「魔王を倒せば消えると思っていた」
「将軍はそう言った」
「勇者はやめたらしい」
「魔王に負けたのか」
「二回死んだとも」
「話が混ざってないか」
「どれも本当らしい」
兵士たちは笑った。
食料のない軍営では、噂だけがよく回った。
ニールの炊き出しが始まると、二人は最初に武器を置いた。
「剣を置けば食えるんだな」
「はい」
「食べたらまた持っていいか」
「帰るためなら」
「戦うためなら?」
「おかわりはありません」
「厳しいな」
「食料が足りません」
二人はスープを受け取った。
五歳の娘。
五歳の息子。
二十年後の冗談。
それを守るため、剣を置いた。
臆病だからではない。
帰る未来を選んだからだ。
十二万人は一歩も進まない。
ニールたちは前線へ入った。
軍の間を普通に歩く。
兵士は誰も止めない。
止める元気がない。
「敵襲か」
一人が聞いた。
「村人です」
「食べ物は?」
「交渉が終わったら」
「通れ」
総司令部は豪華な天幕だった。
前には七か国の旗。
聖征王アデルが座っている。
金の鎧。
白いひげ。
背筋は槍のようにまっすぐだ。
レオンを見る。
「息子よ」
「父上」
「魔王の呪縛を解く」
「操られていません」
「操られた者は皆そう言う」
「では何と言えば信じます」
「助けてくれ、と」
「言いません」
「やはり操られている」
「会話が成立してません」
ニールが口を挟む。
アデルの目が向いた。
「村人。連合軍の補給を止めたのはお前か」
「止まったのは、壊れていたからです」
「お前が壊した」
「窯は前から。水路は二年前から。荷車も出発前からです」
「言葉で逃げるな」
「軍が見ないふりをした問題を、見えるようにしただけです」
アデルは立った。
「十二万の軍を飢えさせ、世界を救うと?」
「食料はあります」
「どこに」
「後ろの町と村です」
「届けろ」
「撤退するなら」
「脅すか」
「取引です」
アデルが剣へ手をかける。
グレンも動いた。
レオンが二人の間へ入る。
「父上。魔王を倒せば、世界は三秒で滅びます」
「勇者の使命を忘れたか」
「やめました」
アデルの顔から表情が消えた。
「何を」
「勇者を」
「お前は勇者だ」
「昨日までは」
「生まれた日からだ!」
「それを決めたのは私ではない!」
レオンの声が天幕を震わせた。
「父上が決めた! 王国が決めた! 世界が決めた! 私は一度も選んでいない!」
「選ぶ必要はない。正しい道は一つだ」
「その道の先で世界が滅びる!」
「魔王の嘘だ!」
ミナが水晶記録を開いた。
映像を天幕へ映す。
歴代勇者。
魔力循環。
崩壊予測。
アデルは最後まで見た。
「偽造だ」
「全部見ても?」
ニールが聞く。
「正義は偽造できん」
「記録の話です」
「正義の記録と違う」
「では、あなたが間違っている可能性は」
「ない」
レオンが目を閉じた。
予想していた答えだった。
それでも傷ついていた。
天幕の外から騒ぎが聞こえる。
兵士たちが集まっていた。
ニールが頼んだ村人たちが、炊き出しを始めたのだ。
大鍋が百。
豆と芋のスープ。
ただし器を受け取る条件がある。
武器を置くこと。
兵士たちは剣を置いた。
槍を置いた。
弓を置いた。
十二万人が食事をする。
武器のない軍は、軍ではない。
空腹の人々だった。
砂漠王の兵士が言う。
「帰れば水路修理の仕事がある」
海洋国の兵士が言う。
「船が港で待っている」
山岳国の兵士が言う。
「冬前に屋根を直さないと」
誰も世界を滅ぼしたくて来たわけではない。
魔王を倒せば救えると信じただけだ。
「兵を戻せ」
アデルが命じた。
将軍たちは動かない。
「聞こえないのか!」
「食事中です」
ニールが答えた。
「軍令違反だ!」
「十二万人を処罰しますか」
「する!」
「誰が」
アデルは外を見た。
処罰する兵も、食事をしている。
連合軍は止まった。
武力ではない。
食料。
水。
物流。
そして家へ帰りたいという、普通の気持ちで。
『人間連合軍による魔王討伐――発生確率、九十七パーセントから十二パーセントへ低下』
板に文字が出た。
ゼロではない。
アデルがいるからだ。
聖征王は剣を抜いた。
「軍が戦わぬなら、私一人で魔王を討つ」
レオンも、ただの古い剣を抜いた。
「なら、私が止めます」
父と息子が向かい合う。
ニールは二人の間に、スープの器を置いた。
「冷めますよ」
「下がれ!」
二人の声が重なった。
「そこだけは親子ですね」
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