52.ユキくんじゃない人
ピアノレッスンを終え、遥は新しく覚えたコードを頭の中で弾きながらスタジオ練習に向かった。指先がかすかに動いた。
スタジオのロビーに足を踏み入れた瞬間、遥の身体は硬直した。
入り口、正面の長椅子に座る人物に釘付けになった。
その人は長い黒髪を一つに束ね、切れ長の黒い瞳は、ぼんやりとどこかを向いていた。
椅子の横にはギターケースが立てかけてあった。
(あっ、あっ、リューノさん、なんでいるの?)
リューノの瞳が、こちらを向いた。
思い切り遥と目が合った。
(実はもう、どこかのバンドでやるの決まってて、それで来てるのかな??)
遥は動けずに、ずっと入り口に立っていたので、後から入ってきた人が、遥とぶつかった。
「痛っ……」
「なに、変なとこで立ってんだろ。じゃまだろう」
「ごめんなさい」
ぶつかってしまった人に頭を下げた。
遥は、やっとその場所から動いた。
それと同時に、リューノがギターを背負って、こっちにやって来た。
遥は、思わず自分の後ろに誰かがいるかと思い、後ろを振り返ってみた。
「お前、この間から、かなりやばいな」
遥の目の前にきたリューノが、低い声で言った。
「えっ、あー、てんぱってます!」
(誰かー、早くきてー)
「えっと……もしかしてMONDEに入ってくれるんですか?」
「はあ? いきなり入るわけないだろう?」
「……ですよね」
リューノは大きく溜息をついた。
「お前、自分で音合わせませんか? って言ってただろう……」
「ははは」
遥は空笑いした。
「なんていうか、来てくれると思ってなくて……」
言葉の最後が小さくしぼむ。
「そうか」
「だから驚いちゃったんです」
じっとリューノの顔を見てから、遥は頭を下げた。
「来てくれてありがとうございます。音合わせ出来るの楽しみです」
「そうだな」
リューノは、ただそう言った。
スタジオに入れる時間になると、NO、陣、哲央の三人が前後してやって来た。
「わあ! リューノくん! 来てくれたんだ!」
陣が顔を輝かせた。
「連絡ないから、今、見てびっくりしちゃった!」
陣は「むふふ」と笑いながらリューノに近づいた。
リューノは顔をNOと哲央の方に向けた。
「音合わせに来た、リューノだ。この間までドルチェってバンドにいた」
「来てくれてサンキュ。中に入ってさっそくやりますか」
NOは片手を上げ、中に入るように促した。
スタジオの中に入ると、リューノはギターを出し手際よく準備を始めた。
ライブで使っていたのと同じギターを持つと、NOの方を向いた。
「さあ、どうやって音合わせする?」
「MONDEの曲を演奏するから、自分のセンスで入ってきてくれ」
「わかった。俺はいつでもいいぞ」
頷いたリューノの、一つに束ねた長い髪がわずかに揺れた。
遥たちも準備をして、splashの演奏を始めた。
リューノは二フレーズ聴いた後、すっと入ってきた。
ユキの弾くsplashは、海辺を跳ねる足音とキラキラした水しぶきが聴こえてきそうな音だった。
リューノのSplashは、清流を流れる水の音とそこに降り注ぐ陽射しが煌めくような音に聴こえた。
(ユキくんの音じゃない……でも、これもsplashだ)
遥はギターを弾きながら、リューノをじっと見つめた。
(ドルチェの時も感じたけど、音が私たちを向いてる。なんでドルチェ辞めたんだろう)
演奏が終わった。スタジオの中が少しじっとりとした。
「ふーっ、リューノくん凄いな! 初めてとは思えないな」
NOが満足気にリューノを見た。
「本当にな」
哲央が頷いた。
「声かけられて、対バンしたの思い出したから……」
「あの時、声かけてよかったね。はるちゃん」
陣が遥に笑顔を向けた。
「うん」
(でも、きっとこの人も……)
「あの……リューノさん。これ読めますか?」
遥はギターケースを開けると、中からファイルを出してリューノに渡した。
「譜面だな」
渡されたファイルにリューノは視線を落とした。
「はい。これLumiereの楽譜です。私、まだ読めなくって。もし読めるなら、一緒に弾いてください!」
遥は、リューノの顔を下から覗き込むように、じっと見た。
「わかった」
リューノはファイルから楽譜を出し、ギターの弦に手を添えた。
――ポロン。ポロン。
アルペジオがスタジオに広がって溶けた。
「綺麗な音……」
遥は、思わず呟いた。
「一緒にやるんだろ?」
「やりたいです!」
遥は頷いて、再びギターを手にした。それに続くように陣たちも弾く態勢に入った。
全員の用意が終わったところで、リューノは再びアルペジオを鳴らした。
みんなの視線がリューノに集まっていた。
哲央がドラムを、陣がベースを、遥がギターを重ねた。
最後にNOが歌声を重ねた。
――闇を照らすのは 完璧な強さじゃない
鳴らせ Lumiere 始まりの光よ
(ああ……、Lumiereもだ。違うのに、きっとこれもMONDEだ!)
Lumiereの演奏が終わると、NOは一息つく間もなく言った。
「俺はリューノくんに入ってもらいたいな。みんなはどう?」
全員が頷いた。
それを見て、NOはリューノに視線を向けた。
「リューノくんは、どうかな?」
みんなの視線がリューノに集まる。
それらの視線を気にしないような感じで口を開いた。
「ああ、俺でいいなら加入したいかな」
遥は目と口を大きく開いて叫んだ。
「ええっ!!」
リューノの前まで行って、また下から見上げた。
「私いるのにいいんですか!?」
リューノは眉間に皺を寄せた。
「お前、本当にやばい奴だな……」
「え……やばいって」
手に汗が滲む。
「対バンした時、お前ちゃんとやってただろう?」
「見ててくれたんですか?」
「対バンしたバンドの演奏は、基本的に見るようにしてる」
「あ、ありがとうございます……」
遥は俯いた。涙が出そうだったから。
陣が、そっとティッシュを渡してくれた。
「よかったね。はるちゃん」
「ゔんっ」
哲央はドラムの椅子から立ち上がってリューノの前に来た。
「そしたら、これからよろしくな。リーダーの哲央だ」
リューノの前に腕を伸ばし手を差し出し、二人は握手を交わした。
「ああ、よろしくたのむ……お前がリーダーだったんだな」
そう言ってNOの方を見た。
「あ、俺は喋るの担当だからさ」
笑顔で片手を上げてみせた。
「こっちはNOで、僕は陣だよ。よろしくね」
陣はリューノに笑顔で手を振った。
「私は遥です!」
鼻をかみながら挨拶をした。
リューノは、思わず「ぷぷっ」と噴出した。
「やべえ……」
「ひどい!」




