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MONDE ー光を鳴らす物語ー  作者: ぽちな
第二部 音の礫ー第一章 休息
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49.ピアノレッスン

翌週、スタジオ練習前にはるかは再びピアノ教室に向かった。

今日から本格的にレッスンが始まる。


三階まで階段を上り、前回と同じ廊下に出た。

どこかの教室から、ドラムのスネアだけが断片的に聞こえてくる。


ピアノ教室の前まで行くと、遥はドアの小窓から中を覗いた。

本多ほんだは椅子に座って譜面をめくっていた。

今日もピアノの隣には、黒いストラトが置いてある。


遥がノックをすると、本多は顔を上げ、ドアを開けた。


「お、国東くにさきさん、今日もギター持ってきてる」


「はい。この後、スタジオ練習なんです」


「本当に熱心だね。こりゃ、頑張って教えないとだ」


本多は、少し大げさに言いながらピアノの椅子を引いた。

持ってきたギターを壁に立てかけると、遥は椅子に座った。


ピアノを前にして遥の背筋が伸びる。膝の上に乗せた手を強く握って、静かに息を整えた。


(今日は、何を教えてもらえるのかな)


「それじゃ、始めます」


本多は隣の椅子に浅く座った。


「まずは、前回やった“Cの場所”を覚えてる?」


遥は短く「はい」と頷くと、右手の人差し指を順番に鍵盤の上に落とした。

指先に鍵盤の重さと冷たさが伝わる。


「ここ、ですよね」


遥はちらりと本多の方へ顔を向けた。

本多は小さく頷いた。


「うん。ちゃんと覚えているね。じゃあ今日は、そのCを“彼の曲のC”に近づけていこう」


「……彼」


一瞬、喉が詰まる。鍵盤の上にあった指が震えて、鈍い音が鳴った。

本多はそれを、気にしていないみたいに続けた。


「その曲、いつも聴いてる?」


「はい……聴いてます。今も」


通勤中や家で遥は、ユキのMDを聴いていた。ダビングして、本物は痛まないように引き出しに閉まって。


「いいね。じゃあ、サビの最初のコード、分かる?」


「うーん、たぶん……Cだと思うんですけど、ギターで弾くと、なんか違くて」


「なるほどね。なんか違うって感じるのは、大事なセンサーだから、そのままにしとこう」


本多は笑いながら、自分の右手を鍵盤に置いた。

遥の指の一本隣に、本多の指が並ぶ。


「これが、前回やった“Cのコード”。ド、ミ、ソ」


ゆっくりと三つの音が重なって、教科書みたいな「C」が部屋に広がる。

とても落ち着いていて、丸い。


「でね、たぶん彼のCは、こういうのじゃないんだよね」


本多は今度は低い音から、少しだけ弱めに鳴らした。

左手でCとG。右手でEを単音だけ。

同じCのはずなのに、もっと細くて、冷たい線みたいな響きになる。


遥は、まじまじと本多の指先を見た。


「Cなのに、違う」


「でしょ。ギターでコードを弾くとジャーンって一枚の板みたいになるけど、ピアノだと、どの音を強くするかで、けっこう別物になる」


本多は何度か、同じ三音を違うバランスで鳴らしてみせた。

低音を強くすると、床が鳴る。

上の音を強くすると、天井に音が刺さる感じがする。


「今日は、Cをひとまとめにしない練習をしよう。バラして、どの音が彼っぽいのか探す」


(ユキくんの音……)


遥は言われるがまま、右手だけでEを鳴らしてみる。

それから、Cを足し、Gを足す。


順番を変えるだけで、同じ三つの音が、違う顔になる。

ギターで同じコードをアルペジオで弾くのとは、似ているようで少し違う。


「どう?」


「……なんか、ギターで弾いた時より、ユキくん……えっと、あの人の音が分かる気がします」


自分で言って、少し驚いた。

ただのCのはずなのに、MDの一瞬の鳴り方と、記憶の中のユキの癖が重なった。


本多は、遥の言葉を静かに聞いてから、譜面台に五線だけが印刷された紙を立てた。


「じゃあ、このCを一個、ここに置こう」


本多はペンを取り、真ん中あたりに、音符を一つ書き込む。


「これ、今日の“彼の曲の最初の一歩”。全部は無理でも、一小節ぐらいなら、ピアノで骨組みを作ってみよう」


遥は五線を見つめる。

音符一つで、胸の奥がざわつく。


(まだ曲じゃない。でも……)


宙ぶらりんだった何かが、少しだけ足をつけた、そんな感覚がした。


「あのう……、譜面、私、ちゃんと読めないんです」


言った瞬間、少しだけ肩が縮こまった。


ユキが前に譜面を見せてくれたことがある。


『採譜したんだ』


黒い点と線が並んだ紙を渡されて、その時は「すごい」としか思えなかった。


正直、何が書いてあるのか分からなかった。


でも、ユキが時間をかけて書いてくれたものなんだと思って、大事に持ち帰った。


本多は「ん?」と首を傾げた。


「これから読めるようになればいいよ。今はここに、さっきのCがいるってわかれば十分」


本多はそう言って、また遥の指を鍵盤に戻した。


「さっきと同じC、もう一回」


今度は、最初よりも迷いなく押せた。

木の固さとフェルトの柔らかさの境目が、指の腹にくっきりと伝わる。


「うん。それじゃあ、その隣に行ってみよう」


本多は、五線の横に、もう一つ小さな丸を書き足した。


遥には、それがなんの音なのか、まだわからない。

でも、一歩隣に進んだことだけは、はっきりと分かった。


遥は鍵盤の白と黒、五線譜を見比べた。


(ギターじゃ、全然届かなかったのに)


五線譜に記された小さな丸が、遥の中に光となって道を伸ばし始めた。



**新メンバー二人目**


遥が足も軽くピアノ教室の階段を降りると、携帯電話に哲央てつおからメールが届いた。


(なにかな?)


遥はメールを開いた。



――ピアノレッスン中か?

今日は、新メンバーになってくれそうな奴を連れていく。遥のこと話したけど、やってみていいって。また、後でな。



(私でもいいのかな。どんな人だろう……)


遥は少し浮かれた気持ちを引き締めて、スタジオへ向かった。



スタジオには、すでに哲央に連れられて帽子を被った青年がいた。

哲央と目が合うと、帽子の青年になにかを言って目の前まで二人で来た。


「遥! ギターやってくれるスバルくん連れてきた」


哲央は少し嬉しそうな顔をして、スバルにも遥を紹介した。


「うちのギターの遥。すごい頑張り屋なんだ」


(頑張り屋!?)


「遥です。今日はよろしくお願いします」


ぺこりと頭を下げた。スバルも軽く頭を下げた。


「スバルです。よろしく」


言いながら、少しだけ目を丸くする。


「……あ、ごめん」


(ごめん?)


「哲央くんから聞いてたけど、なんというか……」


スバルは自分の帽子のつばをさわりながら続けた。


「もっと男っぽい感じを想像してた」


「はあ」


遥はそれだけ言うのが精一杯だった。


全員が揃うと、さっそく音を合わせてみることになった。


まずは《splash》。

スバルのギターは、とても切れがあって音が立っていた。


(はっきりと音が聞こえる。Splashの爽快感をすごく感じる)


遥は手ごたえを感じた。


次は《Lumiere》。

冒頭のアルペジオ。スバルが光を全部持っていった。

穏やかな光が降り注ぐLumiereが、光り輝くLumiereになった。


(同じ曲でも弾く人で、こんなに違うんだ!)


演奏が終わった。

遥はスバルに声を掛けようと近寄った。

遥が話すより早くスバルが声を発した。


「遥ちゃん、本当に弾けるんだ。すごいね!」


(なんでそんなに驚くの……?)


「はあ」


遥はスバルに掛けたかった言葉を忘れてしまった。

ギターのネックを握る手に力が入る。


「だから言っておいただろう。遥はすごいって」


哲央が急いで駆け寄ってきた。


「うん。だからすごいって言ったじゃん」


スバルは笑ってみせた。

そんなスバルを見て、哲央は眉間に皺を寄せた。

そして遥を申し訳なさそうな顔で見てきた。


「まあ、どうするか考えてみてよ。俺らもどうするか、考えるからさ」


NO(ノウ)がすっと間に入った。明るくスバルに声を掛ける。


「ああ、分かった。考えてみるよ」


スバルは高そうなESPをしまうと、帰っていった。


扉が閉まると、遥は思わず大きく息を吐いた。


「ふうー」


「なんか微妙な人だったね」


陣が困ったような声を出した。


「演奏は悪くないけど、なんか違うな」


NOの言葉に、遥は思わず顔を上げた。


哲央も陣も、何も言わない。

でも二人とも、少しだけ同じ顔をしていた。


遥は三人の顔を順番に見た。


(MONDEって、音だけじゃなくて“人”なんだ)


それから、さっきまで胸の奥に引っかかっていたものが、すっと落ちた。


「遥、ごめんな。変な奴連れてきて」


哲央が申し訳なさそうに頭をかいた。


「全然、大丈夫」


遥は笑った。


(みんながいる)


そう思っただけで、十分だった。



――ピコン


誰かの携帯電話から音がした。

じんがズボンの後ろポケットから携帯を取り出した。


「ハクからメールだ」


そう言って、さらに携帯を操作する。


「わ! 良い情報ゲット~!」


陣は顔を上げ、ニコニコと白い歯を見せた。


「ハクがおすすめのバンドのギタリストが脱退するんだって。だから声掛けてみたらって」


(みんな、ちゃんと探してる。私、音ばかり気にして、何もしてない……)


「明後日、その人が出る最後のライブがあるみたい。僕、見てこようかな」


「あっ! 私も行く!」


反射的に声が出た。自分も何かしたかった。


「やったー! 一緒に行こうね」


遥は小さく頷いた。


(どんな人だろう、また……)


遥は心の中で頭を振った。


(私は大丈夫。断られたって)





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