45.休息3
**2カ月目**
遥は部屋の窓を開け、空を見上げた。朝から空はどんよりと重たい色をしている。
突き刺すような冷気に肌を撫でられ、肩を震わせ縮み上がった。
「寒ーい。ライブの頃には、降るよね……」
少し空気の入れ替えをしたが、寒さに負けて早々に窓を閉めた。
携帯電話を開き、みこにメールを打つ。
――おはよー
寒いよー。雨降りそう。
ライブに履いていく靴どうしよう?
傘もジャマになるし……
ピッ。
送信ボタンを押した。
そして、遥はプラスチック製のケースを開けた。ユキのノートと目が合う。
ノートをそっと持ち上げて、その下にしまわれた封筒と便箋を取り出した。
ペンを取り出して、便箋に文字を走らせる。
トビーさん
お久しぶりです。覚えていますか?
国東遥です。
私、今バンドやっています。
トビーさんと同じギターです。
ムンボのステージにも立ちました。
ドラム、ベース、ギター、ボーカルが重なって一つの音楽になるのって、最高に楽しいですね。
私は、あなたに憧れて楽器を始めました。
トビーさん、私に最初の光を与えてくれてありがとうございます。
DOLL THEATER、ずっと応援してます!
国東遥
遥は便箋を封筒にしまい、封をした。
携帯電話を見るとみこから返事が来ていた。
――やっほー!
ライブ楽しみだね!
でも雨いやー。
私はブーツ履いていく!
これなら濡れても大丈夫だもん。
また後で駅でねー
(ブーツか~)
携帯電話を少し見た後、一人大きく頷いた。
**DOLL THEATER**
「みこ~!」
「遥~!」
二人は池袋駅で待ち合わせると、お互い確認することもなく、いつものファミレスに向かった。
「ついに5周年ワンマンだね!」
席に着くとみこは、自作の特製“ピッピ”カバンを握りしめながらにんまり笑った。
「チケ番は微妙だけどね……」
遥はチケットの番号を眉間に皺を寄せながら見つめた。
(でもMONDEが、こんなにお客さん入ったら、すごい)
「ふぅー」
小さく溜め息をつくと、チケットをしまった。
(でも、DOLL THEATERは前で見たい……)
「今日はなにか発表あるかな?」
みこの弾む声に、遥の心も軽くなる。
顎に指を当てながら考えた。
「うーん、新曲とツアーかな」
「うんうん! 新曲ありそう! 今日、披露しそうだね」
(新曲かー、トビーさんはどうやって曲を作っているのかな?)
遥はストローでコーラをすする。
(想いを音にするって難しいな。昔、ユキくんは言葉にすると狭くなるって言ってたけど……)
「遥~、ぼーっとしてどうしたの?」
みこに、肩をつんつんされて遥は我に返った。
「ごめん。トビーさんって、どうやって曲を考えているのかなって思って」
するとみこは、目を見開いてニカッと口角を上げた。
「さすが演者! 考えることが違うね!」
「……私、曲が上手く作れなくって」
遥は肩をすくめた。そして続ける。
「だからね、私、習おうかと思ってるんだ」
「ええっ!! ギターもう弾けてるじゃん」
みこは、さっき以上に目を見開き、口まで大きく開けた。
「……ピアノ」
遥は小さな声で言った。
「えっ? 聞こえないよ」
「ピアノー」
「ぴ、ピアノ!? えっ? えー!」
みこの驚きに周りの席の人たちがチラチラとこちらを見た。
「もうみこってば~、驚きすぎだよ」
「だってさ、これは驚くでしょ」
みこはジュースをすすった。
「曲を作るならピアノかなって思って、選択肢を増やしたいだ」
「すごい! そうやって思いつくの」
「これは思いついたっていうより、他にもそういう人がいて影響を受けたんだ」
「でもね、私からしたら、それですぐ始めちゃう遥はすごいんだよ!」
みこは、嬉しそうに笑ってみせた。
「そ、そうかな?」
遥は心がむずむずして、コップの中の氷をストローで必要以上にかき回した。
「そうだよ。私はそんな遥が大好きだよ!」
**DOLL THEATERライブ
遥とみこは開場時間の少し前に列に並び、会場に入場した。
ドリンクカウンターもフロアも人で溢れている。
遥は、歩きながら息を吸った。
(この匂いと空気、落ち着くな)
「わー、今まで一番人が多いね!」
前でも後ろでもない微妙な位置になった二人は、自分たちの場所を守りながら辺りを見渡した。
「本当にすごい。トビーさんたち人気者だ」
「そりゃあ、そうだよ。みんなかっこいいもん」
当然のことのようにみこは言った。
「うん。こんなに安心できる世界、他にないよね」
遥が通い始めた頃より、ファンは確実に増えていた。
それでも、ライブが始まる前のファンたちの空気感すら遥には心地良かった。
照明が落ち、ライブが始まった。
ピッピのとんがり帽子とくるくると回るように動く大きな瞳、彼の子供のような高めの声がフロアの視線をさらっていく。
何曲か後に、ピッピがMCを始めた。
「DOLL THEATER5周年ライブに来てくれてありがとー!」
ピッピが手を振り上げた。
「今日は折角だからメンバー紹介ならぬ、僕の大切なお人形たちを紹介するね」
「わぁー!」
「嬉しいー!」
フロアから声援が上がる。
「まずはー、規則正しいドラムの音みたいに僕を支えてくれるお人形サミー!」
――ドドドッ! バーン!
サミーが言葉の代わりにドラムを打ち鳴らす。
「サミー! サミー!」
遥もみこも、フロアのファンがサミーの名前を呼ぶ。
「はーい! 次はね、いつも僕の袖を可愛く引っ張るお人形エリー!」
――ボンボンボンボーン!
エリーも言葉の代わりにベースを鳴らした。その後は、チマチマとピッピの元に行き、袖を引っ張りながら首を傾げてピッピを見つめた。そして、フロアのファンに向かって、スカートの端を掴みペコリとお辞儀。
「エリー!」
「可愛い!!」
その仕草に黄色い声援が飛ぶ。
「可愛いね。次は、人形たちのリーダーであり、実際にもリーダー。トビー!」
――ジャジャジャジャーン!
長い髪を一つに束ね、優雅に音を鳴らすと一礼した。
「トビー! トビー!」
遥はお腹の底から声を張り上げ叫んだ。
トビーの音と姿を感じて、それだけで遥の中のなにかが満たされていった。
(やっぱり一番かっこいい!!)
「それでは――」
トビーはマイクに向かうと低い声を発した。
(声も素敵ー!)
「私からご紹介しましょう。我らの持ち主、この夢の世界の主ピッピ」
「ピッピ! ピッピ! ピッピ!」
隣でみこが、頑張って声を張り上げて名前を呼んでいる。
ピッピは笑顔で両手を上げ、振った。
「みんなー! たくさん声を聞かせてくれてありがとー!」
ピッピは人差し指を立てた。
「まずは一つ発表があります」
遥とみこは「おお~!」と声を上げながら、目を見合わせた。
「これからはファンのみんなのことを“お人形さん”って呼ぼうと思うの」
「おお!」
フロアからどよめきが起こる。
遥とみこもお互いを見たり、ピッピに目をやったりした。
「ほら、ファンの名称ってあるじゃない。今までなかったから5周年記念に付けちゃおうって思ってね」
大きな瞳を下手から上手まで走らせて、ピッピはニコッと笑った。
「みんな僕の大切なお人形さん! いつまでも僕たちと一緒にいてね!」
「はーい! いるよ~!」
遥とみこは、手を振り一生懸命に答えた。
「それじゃ、お人形さんたち次の曲行くよー!」
歓声と熱気がフロアを包んだ。
じっとりと全身に汗が滲む。
腕を回し、頭を振ると、隣の人のシャンプーの匂いがした。
(ああ、これがライブ! 楽しい!)
ステージとフロアが一つになる。
サミーのドラムの音が地面を駆け抜け遥の足に伝わる。
可愛いエリーから出る曲を繋ぐルート音もトビーの繊細なメロディも、今はただ一ファンとして遥の耳に流れ込んできた。
あっという間に時間は流れ、アンコールになった。
「アンコールありがとう! みんなお待ちかね。発表があるよー!」
遥とみこは手を繋いでぴょんぴょん跳ねた。
「アルバム出ます! そしてツアーします!」
「うわー! 買うよー!」
「ライブ行くー!」
今日一番の声援がフロアからステージに送られた。
「という訳で、ここにいる大切なお人形さんたちに新曲『ピク29!』をプレゼント! いくよー」
ハイハットが鳴りベースがメインで響く。その後をギターが追いかける。
(うわ! 今までのDOLL THEATERにない曲!)
――♪一緒に行こう ピクニック ピクニック
遠くで見てないで こっちにおいでよ
いつの間にかかごのバッグを持ったピッピが歌う。
「みんなも移動―! 遠足に行くみたいに、下手から横モッシュ」
ピッピの掛け声で、横モッシュが始まる。ステージでもトビー、ピッピ、エリーがお人形さんと一緒に左右に移動する。
――♪今日は皆で ピクニック ピクニック
ハートのサンドイッチ 頬張ってさ
ウキウキ 笑っちゃおう!
ピッピはかごの中からハートの紙を出して、フロアにばら撒いた。
前の方は、みんなハートをつかもうと必死になっている。
隣を見るとみこが恨めしそうに前方を眺めていた。
「本当にありがとうー! 今日は最後に出口で僕たちがお見送りするよー!」
ピッピがそう言い終わると幕は閉じた。
「やったー!」
それを聞いて遥もみこも激しく手を叩いた。
順番に出口に向かう。メンバー4人がチケットカウンターのところに並んでいる。
最後にピッピが、ライブ中に投げていたハートをくれるらしい。
みこの顔が一気に明るくなった。
遥はトビーの前に来た時に、そっと書いてきた手紙を渡した。
「これ、どうぞ」
トビーが手紙を受け取り、指先が少し触れる。
「いつも手紙ありがとう」
ドクンと心が跳ねた。
たったそれだけの返事で世界が色づく。
上の空のまま、遥は、ピッピからハートを受け取った。




