32.夜明けの光
◆夜明けの光◆
MONDE結成の熱が、まだスタジオの中に残っていた。
ユキがギターに手を伸ばした。
「曲、少し閃いた」
誰に言うでもなく呟いて、静かに弦に触れた。
アルペジオが鳴る。
低い音から順に、光が上へ昇るみたいに。透明で、やわらかくて、でもどこか確かな音。
スタジオの空気が変わった。
(……静かなのに、明るい)
遥は息を止めていた。止めていることにも気づかなかった。
ポロン……ポロン……。
最後の音が消えたあと、誰も動かなかった。
拍手は、自然に起きた。誰が最初だったかはわからない。
「……夜明けみたいな曲」
自分の口から出た言葉に、遥自身が少し驚いた。
でも、それ以外の言葉が見つからなかった。
「なあ、もう一回弾いてくれ」
哲央の声は低かったが、急いでいた。
言い終わる前に、もうスティックを握っている。
陣もベースを構えた。目を細めて、口元だけで笑っている。
ユキがもう一度、アルペジオを鳴らす。
ポロン。ポロン。
哲央のハイハットが、そっと寄り添うように刻み始めた。
陣のルート音が、下から音を支える。
遥はユキの目の前に立ち、少し遅れながら同じ音をなぞった。
ユキの指が軽やかに動くのを見て、必死に追いかける。
まだ、これが遥の精一杯だった。
ユキが顔を上げた。
遥と目が合って、笑った。
その笑顔があまりにやわらかくて、遥も自然に笑っていた。
(楽しい。ユキくんも、こんなに笑ってる)
健太は、演奏には加わらなかった。
ノートとペンを出して、目を瞑っている。
唇が小さく動いていた。メロディーを口ずさんでいるのか、言葉を探しているのか、遥にはわからなかった。
曲が終わる前に、ペンが走り出した。
殴り書き。止まらない。
曲が終わっても、健太はしばらくペンを動かし続けていた。
みんなで、健太のノートを覗き込んだ。
「始まりの光」「世界」「照らして」「重なれば」――
殴り書きの文字がびっしりと詰まっていた。断片だけでも、健太がユキの音から何を受け取ったかは伝わってくる。
ユキは嬉しそうに、健太の背中を軽く叩いた。
「健太、すごいな。たった二回聴いただけで」
「メロディーが、すっと入ってきたんだ」
健太はノートに目を落としたまま言った。
「遥が言った『夜明けみたい』っていうのも良かった。あれで方向が決まった」
(……私の言葉が?)
遥は心の中がふわっとして、少しくすぐったかった。思わず左指で、弦を撫でた。
「とは言え、今すぐ整えるのは難しいな」
健太はノートをじっと見つめる。
「方向性としては、夜明け、光、世界。……ここから組み立てる」
「歌詞は健太に任せるよ。俺は、もっと曲を作る」
ユキの目が、さっきとは違う光を帯びていた。
演奏の時のやわらかさではなく、もっと奥の方にある、強い何か。
健太は頷いて、口の端を上げた。
「ああ、任せてくれ」
その声には、静かな熱があった。
遥はギターを抱えたまま、少し大きな声を出した。
「あのっ!」
四人の視線が集まる。
「MONDEでは、コンセプトをしっかり決めたい。LUMINOUSでは……微妙だったから」
ユキがギターを一音だけ鳴らした。少し遠くを見ている。
「そうだね。あの頃は、俺は音が鳴らせればそれでいいと思ってた。……先を考えてなかった」
「MONDEは世界って意味だから……」
哲央が腕組みをしたまま、ぽつりと言った。
陣がふわりと口を開いた。
「CANVASLAYは、"何も描かれていない場所に音を置く"だったけど」
懐かしむような、でも振り返りすぎない声。
「私、みんなと音を合わせてみて、最高に楽しかった」
「うん! 僕も思った!」
陣が大きく頷く。その横で、哲央が腕組みを解いた。
「パズルがはまったような感じだった」
哲央がそう言うのを聞いて、遥は少し驚いた。
哲央なりの、最大限の肯定だと思った。
「俺ら、一人でも欠けてちゃダメなんだ」
健太はノートを閉じて、真っ直ぐ前を見た。
沈黙が落ちた。
エアコンの低い音だけが、スタジオに響いている。
「……音で、生きたいな」
遥の口から、するりと出た。
言ってから、心臓が跳ねた。
そんな大きなことを言うつもりはなかった。でも、嘘じゃなかった。
ユキが遥を見た。
健太が遥を見た。
哲央も、陣も。
誰も笑わなかった。
「コンセプトは」
ユキが静かに口を開いた。
「自分たちの世界を、音で鳴らす。それがMONDE」
その言葉が落ちた瞬間、スタジオの空気が少しだけ変わった気がした。
さっきまでと同じ場所なのに、もう違う場所にいるような。
遥はギターを抱え直した。
左手の指先に、さっきの弦の感触がまだ残っていた。
「俺、MONDEでは衣装にも統一感を出したいと思っているんだ。ステージに立った瞬間にMONDEってわかるような」
(ユキくん、そこまで考えてるなんて)
遥は、LUMINOUSでの中途半端だった自分の衣装を思い出した。瞬の安全ピンの十字架、晃の深紅のシャツ、辞めた二人が一番ちゃんとした衣装だった。
「LUMINOUSでは、各自に任せたからな。CANVASLAYは、揃えてたよな?」
初ライブを思い出したのか苦笑いしながら、哲央は健太と陣に問いかけた。
「うん。僕たちはキャンバスの白と優しい曲調をイメージして、それを紫門ちゃんが作ってくれたんだよ」
陣はミシンをかける真似をした。それから何かを思い出したようにパンッと手を叩くと、にんまりと笑った。
「紫門ちゃんだ! 紫門ちゃんに衣装作りを頼もうよ!」
「え! あの衣装、紫門ちゃんの手作りだったの!? 素敵!」
遥は両手を握りしめ、身を乗り出した。
陣はまるで自分のことのように嬉しそうに、大きく頷いた。
「ふふ、すごいでしょう! 紫門ちゃんなら、きっとMONDEのコンセプトに合う衣装を作ってくれるよ」
「でも5人分だ。ちゃんとお金は払おうな」
健太は真面目な顔でみんなに言った。
遥は、その時、陣の瞼が少し動いたような気がした。
「もちろんだ。みんなそれでいい?」
ユキは、みんなに確認した。
全員、すぐに頷いた。
(世界……、夜明けの光……、どうやって縫うのかな)
「僕、連絡してみる」
すぐさま陣は、携帯電話を出してメールを打った。
遥は興味深げに陣の手元を見つめた。
「返事来た。いいって~」
(はやっ! 帰りに携帯電話見てみよう)
遥は心に誓った。
ふと視線を上げる。
スタジオの蛍光灯が、さっきより少し明るく見えた。
(私、ステージでどんな姿になるんだろう)
遥は、ギターケースを閉じた。




