154 ぽよぽよしちゃった!?禁書の異変!?
ぼふん。
禁書ホンホンが、腹の底に響くような音を立てて揺れた。
「無数の記録が圧迫してるんだホン! セオト、心を落ちつけるんだホン!」
声が、ちょっと裏返っている。
ぽよん。ぽよよん。
(ホンホン……ぽよぽよしちゃってないか……?)
「落ちつけって言うけど、もちもちになってきてない!?」
むに。
やわらかい。しかも、ほんのりあったかい。
僕は、ぽよんと弾む禁書を抱え直す。腕の中で、ゆっくり脈打っているみたいだ。
その横で、カゲミの顔が引きつった。
「そうか!ホンホンは、セオトの感情にも反応して膨らんじゃったんだ!」
冗談じゃない目をしていた。囮鮎だったからこそ“流れ”の異常が感じられるのか。
「これ、ホンホンがお前の感情を受け止めて吸っちまってるんだよ……」
「え?」
ぽよん。
腕の中で、また一段弾む。
「青鮎のこと考えて、シオマのこと考えて、あれこれ抱え込んだだろ!?」
僕はきょとんとする。
「……抱え込んでる?」
「無自覚なのが一番厄介なんだよ!」
カゲミはホンホンの表面をじっと観察する。
普通の膨らみじゃない。頁模様が、うっすら青く光っている。
「お前の心から零れたもの。言葉にならなかった感情。兄を信じたい気持ちと、怖さと、不安と……」
ぽよん。
ホンホンが、まるで頷くみたいに揺れた。
「苦しいけど、身代わりになってさ……」
その一言で、胸がちくりとする。腕の中の温もりが、急に重く感じる。……僕、そんなに溜め込んでたのか。
「ごめん!……正直、ちょっと怖い」
言葉にした瞬間。しゅう、と小さな音がした。
ホンホンが、ほんの少しだけ縮む。
「……あ!」
抱えてない、つもりだった。でも。
「……ほらな。吐き出した分だけ戻った」
カゲミはふん、と鼻を鳴らす。
「お前は流れを溜めすぎる。そんなのダメだからオレが見といてやる!」
その言い方は、いつものツンとした響き。だけど、温かい。
「ちょっと楽になったホン。アクア・スパイラルまで持ちこたえるホン!」
ぽよん。
今度は穏やかに弾む。
「……ありがと、カゲミ。ホンホン」
「礼はいいから、定期的に吐き出せ」
「感情を?」
「そう。溜め込み禁止だホン!」
ぽよん。
「了解!」
深呼吸して、僕は頷いた。
封印が砕けた瞬間、世界の音がひとつ遅れた。
ぱきん、と乾いた音。
だが耳に届くまで、わずかな“間”があった。
光が散る。水が静まる。
そして――汐真の胸の奥で、何かが軋んだ。
「……っ。なんだこれは……!」
息がうまく吸えない。痛みではなく、焼けるような苦しさでもない。
だが、確かに重い。
胸の奥に、水を満たされたみたいだった。ゆっくりと、冷たい圧が広がっていく。
「封印が……解けたのか、代償……?」
指先が震える。
「俺の記憶……無事だな。……クルヴに行ったか」
意識を探る。――ある。
少なくとも表層の記憶は失われていない。
そのとき。
ズゥーーーーーン。
塔が揺れた。
白銀の柱――アクア・スパイラルの内部で、水脈が逆流している。本来なら上層へ穏やかに巡る蒼流が、今は乱れ、渦を巻き、ぶつかり合っていた。
壁面を走る蒼い光が、不規則に明滅する。
制御紋様が、ひとつ、またひとつと赤く染まっていく。
「まさか……!」
嫌な予感が、胸の重さと重なる。
「制御装置か!?」
塔の中心部。水脈の流れを均衡させている中枢。そこから、異常な圧が波のように押し寄せる。
静まったはずの水が、ざわりとざわめく。
シオマは胸を押さえたまま、歯を食いしばる。
「……カルマの仕業か?なぜ反発が塔に出る」
あれはただの封印ではない。裏記録師の英知を結集させた拘束式。代償は術者へ還流するはずだ。
「俺にダメージが来ていない……なぜだ」
本来なら、反動は自分に返る。だが致命傷はない。
その代わりに――塔が軋んでいる。
「……まさか」
思考が、氷のように冷える。
「代償を、塔に肩代わりさせたのか……」
誰だ。
――水霊守護獣。
眠ったふりをして、封印を塔へ接続したのか。
狙いはひとつ。アクア・スパイラルの崩壊。
ズン、と再び地鳴り。
天井から、細かな水滴が降る。それはやがて粒を増し、雨のように落ち始める。
「くそ……」
内部水圧、急上昇。
均衡率、崩壊寸前。
揺れの中心で、シオマは一歩踏み出した。胸の奥の軋みを押さえ込み、中枢を見据える。
「俺を拘束しないとは……甘く見られたな」
低く、静かな声。
「ならば――最後まで俺が引き受けよう」
蒼と赤が交錯する。
アクア・スパイラルは、今まさに臨界へ向かっていた。




