縁談
吉賀は、那海が承諾したと聞いて心底驚いた。
だが、この降って湧いた良縁に、浮き足立つ事もなく、慎重に考えていた。
何しろ、宮の格が違い過ぎるのだ。
こちらの皇女を上位の王が娶るのとは違い、あちらから嫁いで来るなど前代未聞のことで、さすがに己から積極的には進める事は出来なかった。
なので那海が言っていた通り、蒼から頼んでもらうのを、じっと待つことにした。
あれからも那海は、宮で皆に書の指南をしたり、庭の手入れを指示したりと、楽しげに毎日を過ごしている。
那海が蒼に懇願の文を送ったのは先週の事だったが、蒼は少し時間をくれと返事を寄越していた。
あちらとしても、こんな宮に那海をやるなどと悩んでいることだろう。
吉賀は、今日の会合で蒼と会うのが、気詰まりで仕方がなかった。
もちろん、普段なら会釈するぐらいで、親しく話すことなどない地位の王なのだが、今は那海を預かっているので訳が違う。
そんなわけで、気が重いと思いながら、今回の会場である鳥の宮の、会合の席へと向かった。
会合は、いつものように炎嘉が遠いメインテーブルの上座で、龍王を横に案件の処理をして、無事に終わった。
上位の王達が通り過ぎるのを頭を下げて待ってから、やっと会合の間を出ようとすると、脇から清が話し掛けて来た。
「吉賀。」吉賀は、そちらを見た。清は続けた。「主、佳織との話を蹴りおって、佳織はあれから奥に籠って出て来ぬのだぞ?何が気に入らぬのだ。」
吉賀は、その事か、と心の中で舌打ちをした。
いろいろあって忘れていたが、秦はきちんと断りの知らせを送っておいたらしい。
吉賀は、息をついた。
「幼い頃から顔を見ておったのに。今さらそんな気になれぬわ。主だって、佐夜子では無理だと申しておったではないか。同じ心地よ。」
清は、ぐっと黙った。
確かにそうだったからだ。
とはいえ、佐夜子は月の宮に稼ぎに出ていて、嫁ぐなどないだろう。
なので、言った。
「あれは宮のために我の所ではならぬだろうが。だが、今の佐夜子なら我だって良い。月の宮へ出ておるせいか、あの文字はなんぞ。あんなものを書けるようになっておるなんて。」
すると、脇から斉が言った。
「清から聞いて見せてもろうたが、誠に素晴らしい文字。佐夜子はあれからよう精進しておるのだなと、佐久とも話しておったのだ。やはり上位の宮へ行くと違うの。」
佐久も、頷いて熱心に言った。
「清などにはもったいない。我も、今の佐夜子なら娶りたいと思うもの。それはあんな優れた妹がおるなら、佳織ではなあ。」
斉は、佐久の手前言いにくそうにしたが、それでも言った。
「我とて…伊佐を亡くしたばかりではあるが、それでも佐夜子なら我の心地をいたわってくれるような気がするものよ。」
佐久の妹であった伊佐のことを亡くしたばかりで、さすがに斉も控えめだった。
吉賀は、苦笑して言った。
「我はあれの心地を考えてと思うておる。我とて、妹を犠牲にして宮を支えるのではなく、いろいろ考えておるところぞ。それに、今は佐夜子が友だと連れて帰って来た月の眷族の女神も預かっておってな。それどころでないので、すまぬがしばし待ってくれぬか。」
さすがにそれには、佐久も斉も、清も驚いた顔をした。
「何と申した?月の眷族が主の宮に?」
清が言うのに、吉賀は頷いた。
「そうなのだ。だからといって、気立ての良い女神であって、宮の皆も慕っておって問題ないのだが、大切な預かりものであるから。他に構っておる暇は、今はない。」
それには、三人とも顔を見合わせて、頷いた。
「また…そんな面倒を抱えておるとは思わずで。すまぬな、我ら浮足立ってしもうて。まあ、ならば佳織には待てと申すから。落ち着いたら考えてはくれぬか。」
まだ追い縋る清に、吉賀は困ったような顔をした。
「待っても無理だと申すに。佳織は妹のような心地なのだ。諦めぬか。」
清が、更に説得しようと口を開きかけると、前から声がした。
「吉賀。少し時間はないか。」
四人が振り返ると、そこには蒼が、いつもの如く癒しの気をまとって立っていた。
驚いた四人が慌てて頭を下げると、蒼は苦笑して手を振った。
「ああ、オレにはそんな風にしなくていい。それより、吉賀には那海が世話になっておって、その事で話があってな。少し時をくれないか。」
吉賀は、来たな、と覚悟した。
恐らくは、那海が婚姻とか言い出しているので、引き取るとかいう話だろう。
そもそも、最上位の宮の縁者が自分のような王の宮へ、嫁ぐこと自体が前例がない事なのだ。
なので、諦めて頷いた。
「は。では、ええっと、我の控えに?」
恐らく上位の宮の控えに比べたらかなり狭いが。
吉賀がそう思いながらも言うと、蒼が首を振った。
「いや、オレの控えに。ついて参れ。」
そうして、何やら気遣わし気に吉賀を見る三人に軽く会釈をして、吉賀は蒼について、鳥の宮の中を歩いて行った。
「お?蒼はどうした。」
炎嘉が、宴の席に座って言う。維心は、炎嘉の隣りへと座りながら、言った。
「あれは例の眷族の世話の件で吉賀と話しに参った。」
炎嘉は、途端に顔をしかめた。
「聞いたぞ、あれの宮に佐夜子が帰るのについて押し掛けたらしいの。吉賀は気のいい奴なので、断れなんだのだろう。大丈夫なのか、引き取りもせず。確か、一番育っておらぬ命だとか言うておらなんだか。」
維心は、息をついた。
「それはそうだが、あれも学んでおるのだ。ま、見ておるが良い。主らが知らぬところでいろいろ動いておるのよ。だが、神世が面倒になどならぬから、案じるでないぞ。此度の事は、碧黎も天黎も黙認しておるし、何かあったらしっかり世話をしてくれると約してくれておるから。」
炎嘉は、ブスッとした顔をした。
「なんぞ。あちらの眷族の件になると、主は口が重くなるの。なぜに言えぬのだ。」
維心は、目の前に置かれた杯を手に取って、言った。
「我だって言いたいが言えぬのだ。そもそもが知っても主にはどうにも出来ぬだろうが。我もぞ。本来我らが知らぬところでやってほしいことばかりであるしの。とにかく、気にするでない。」
志心が、見兼ねて割り込んだ。
「それより、炎月の子も育っておるそうではないか、炎嘉よ。主にそっくりなのだと聞いたぞ。」
炎嘉は、それには少し、頬を緩めたが、また引き締めた。
「まあ、我の孫であるし。」と、息をついた。「まあ良い…我が案じてもしようがない事ということよな。だが、何かあったら我にも話せ。分かったの、維心。」
維心は、頷いた。
「言えることは言おうぞ。我も天黎たちに見張られておるから、滅多な事は言えぬのだ。」
言われてみたら、維心は地上の王なので、四六時中見られているのだろう。
そう思うと、維心が気の毒になった。
焔が、話題を変えようと言った。
「で、来月は花見か。月の宮の花見は毎年身内だけと聞いておるが、此度は行きたいと思うておってな。維織が身内だし、良いだろう?」
維心は、なぜに自分に言う、と顔をしかめた。
「蒼に申せ。我だって招待される方なのだ。だが、なぜにそんなに行きたいのよ。桜ならそっちも咲くだろうが。」
焔は、息をついた。
「維織がそちらの桜が懐かしいと申すから、綾が見たい見たいと騒いで。我に聞いて来いと申すからぞ。だったらついでに我も参ろうかと。」
炎嘉が、顔をしかめて言った。
「だから、維織だけなら身内だから言わずでも蒼は何も言わぬだろうが。綾だって、維織の子なのだから聞かずでも良い。主が行きたいからであろうが。」
焔は、ブスッとした顔をした。
「まあ、そうだが。そう仰々しくない花見がしたいだけぞ。」
炎嘉は、維心に言った。
「だったら我も行く。主、蒼に申さぬか。」
維心は、呆れたように炎嘉を見た。
「主もか。だから我に言うても無駄ぞ。蒼に言えというに。」
炎嘉は、うーっと唸って言った。
「主なら維月に言うて何とか出来ようが。そうよ、いっそ皆で参ろう。上位だけならこの人数だし、良いではないか。下位の者達には内緒ぞ。」
志心が、脇から言う。
「月の宮の桜か。そういえば長く見ておらぬし、我も蒼に頼んでみるかの。のう、駿よ。」
駿は、話を振られて眉を上げた。
「我は…まだ、月の宮で花見をしたことがないゆえ分からぬのだが。」
高湊も、巻き込まれてはたまらないと酒を口にして聞いていないふりをしている。
翠明が、言った。
「主らは。蒼の事も考えてやるが良いぞ。今、いろいろあって面倒なのではないのか。花なら来年も咲くのであるから、今年とは言わぬから近いうちに花見には誘ってくれと申しておけば良いのでは?いろいろ落ち着かぬと聞いておるし、巻き込まれては堪らぬではないか。」
言われて、焔と炎嘉、志心は顔を見合わせた。
言われてみたらそうなのだ。今は、月の宮には、上位の宮の王しか知らないが、半端なく気が大きな命ばかりが集まっている。
そんな所に、皆で押し掛けて何かあったら大変だ。
翠明の言う事は、的を射ていた。
「…確かにの。」焔は、諦めたように息をついた。「分かった。確かに花はいつでも見られるの。あの命達も、しばらく居れば地上にも慣れようし、それを待つ事にする。だが、残念よ…奥の枝垂れ桜が綺麗だと、維織と燐が煩いほど申すのにの。あれらは見たことがあるから。」
炎嘉は、頷いた。
「確かにあの桜は美しいわ。昔は細かったのに、今では大変に見事でな。月の宮の清浄な気の中で、スクスク育ってかなりの太さになっておってなあ。」
それには、維心は同意した。
「我も前世から毎年維月と共に見に参るのだが、誠に見事に育った。あの頃は我らだけが知る場所であったのに、今では隠れようもなく美しい様で、残念な心地ではあるがの。」
「己らだけで楽しむゆえ、罰が当たったのだ。」炎嘉が、維心を睨んで言った。「まあ、だが今年は諦めるか。あの眷属の命達が落ち着くのを待つわ。それにしても、蒼は遅いのう。何か込み入った事を話しておるのかの。」
維心は、出入口の方向を無意識に見た。蒼は、恐らく今頃吉賀と那海の婚姻について話しておることだろう。
上手くいけば良いのだが…。
維心は、そう思いながら酒を口にした。




