6-09 空高くに
今、空を飛んでいる。
それも、かなりのスピートで。
おー。とても高い。青空が綺麗だ。そのまま空を飛ぶ夢が叶うか?
ん。いや。だんだんと減速をしているようだ。
そして今度は、頭から落ちていく。
あ。これじゃあ、落下のスピードが加速していくよね。うん。
地面に着いたら、かなり痛そうだよ。これ。
そう。何かにぶつかり、掬い上げられ飛ばされた。そして、空高く舞い上がり、頭から落ちているところ。
今はこちらの意識が、どうやら身体から半ば乖離をしているようだ。
なにぶん、突然だったからね。
身体のことはもちろん、思考に感情が追い付いていない。
思考よりも、恐怖の感情が先に来るんじゃないかって? そんなことはない。
こんな経験はしたことはない。だけど、下手をすれば死ぬというような経験は、元の世界でもしたことがある。その時も、同じような状態になったよ。
これこそが、自らがメンタルタフだと思う所以だけどね。
でも、こんなメンタルタフだなんて、意味がないか。
目の下には草原の合間にある地面。それも石の塊が覗いているのが見えている。そのまま、頭からその石に激突をするだろう。そして、首の骨でも折って死ぬ。
あーあ。なんか、あっけない最後だね。
痛さも、後からまとめて襲って来るのだろう。
痛いのは嫌だな。
こうなってしまったら、そのまま意識を失うほうがいいよね。
……う。今頃になって、感情が湧いてきた。両目の端から、涙が零れている。
うん。生き残って、元の世界に帰りたかったよ。
さよなら、母さん。
結局、何もしてあげられなくて……ごめん。
……。
- 生きていたい、だろ? -
え?
- なら、それを強く思え -
ルーク?
その後の応答はない。確認をしに行く時間もない。
この期に及んでは、幻聴かもしれない。でも……。
うん。そうか。
思うだけなら、何でもいいよね。それに今となっては、恥ずかしいも何もない。うん。深層から湧き出ている思いというのは、これ。
‘カッコよく、着地をしたい!’
……ん。
あれ?
まだ、激突をしていない。
こういうのは、ゆっくりと感じるのって、ほんとだね。そう。ゆっくり。とてもゆっくりと落ちていく。まるで、羽毛そのものにでもなったような感じ。
優しい風が、俄に吹く。
その風に押されるように、こちらの身体がクルリと回り頭が上の方になった。
この時、目の端の方で魔素流の動きを見た。そう。足元の方。履いている黒い長靴に刻まれた絵文字崩れの模様が、独特な強弱を付けながら微かに輝いていた。
頭が上にある。これなら、頭からの激突はない。そして、ちゃんと着地ができるかもしれない。
……これで、いいかな。
着地するために体勢を整えた。未だに、ゆっくりと落ちているという感覚が続いている。それで地上ほどではないけど、それなりに楽にできた。これとカッコよく着地できるかどうかは別の問題。それでも、落下ダメージの軽減はできると思う。
ん。あ。あれ。そっちなの。
採集していたところとは違う、魔鳩麦の密集地帯に身体が流された。
ガサガサガサ。ドデン。
いててて。うーん。尻が痛い、
うー。これでは、カッコよく着地成功……とは、いえないね。
それでも、あの高さにまで放り出されたけど、血も滲んでいない。
これはラッキーだね。ほんと。
でもね。まだ、こちらの近くにいるよ。あのどでかい牛みたいの。どうしよう。
密集した魔鳩麦の細くて長い葉で、こちらが見えていないと思うのだけど。
え。やだ。鼻息を荒くして。充血をした目で、こちらの方を睨んでる。
どうして、こちらを狙うの? そのまま、あっちへいって戻っていってよ。
そう。そこにいるのは、走魔牛。とても荒い鼻息。その両の目が赤く充血をしている。この興奮の仕方は、昔テレビとかで見た、短い銛が刺されている闘牛の牡牛のようだ。
だけどこれは、安全な茶の間の話ではない。遠くで見た時もでかい生き物だなと思っていた。今見る、真っ黒なこいつのでかさは、山かと思うほど。存在感が半端ではない。
その黒々とした、こいつのでかい頭部。前方に鋭く突き出た象牙色の2本の長い角がある。そう。この個体は雄性。
こちらはたぶん、あの長い角で掬い上げられて、放り出されたのだと思う。
その黒いやつは、屈強そうな前肢で土を掻き、こちらをギラリと睨んでいる。
襲う気満々の気配。やつが再び襲ってくるのは、時間の問題。こちらの何が気に入らないだろうね。ほんと。
こちらの背中に、冷や汗がじっとりと出ているのが判る。どうやら、この身体もそういう反応をするらしい。
だけど、ジュライさんたちは、どうしたのだろう?
いやいや。探す時間もない。すぐそこにいるんだよ。このどでかい走魔牛。
やつが、ほんとにこちらを襲う気なら、一か八か。これをするしかない。
前肢の土掻き音が止む。替わりに筋肉が犇めき鳴る音がした。
ん。来る!
走魔牛が、こちらに向かって飛び込んで来る。同時に、こちらが手に持っていた魔独楽石、黄色の針入りをブンと放り投げる。
もちろん、この襲ってきた走魔牛の近い方の目を狙うことにした。これは残酷な結果になるかもしれない。だけど、これしか思い浮かべられなかったんだ。
狙いは成功。
空中で高速回転をする魔独楽石。それが対面する走魔牛の左目に、グリグリと攻め込んでいく。そう。集中をすれば、その魔独楽石を動かすことができる。
ん。やったか?
高速回転をしている魔独楽石が、走魔牛の左目に入ろうとはしている。だけど、なかなか入らないようだ。走魔牛の巨大な目は、強健な造りをしているらしい。
う。まずったか。これでは、そのまま、こちらが襲われる?
それでも、その時は来た。走魔牛の左目から、プツリと何かが弾けた音がした。それと共に、赤い液が、そいつの左目から勢いよく迸った。
こちらが投げた、高速回転する魔独楽石の接触圧。それで、鼻側の奥端にあるという、左側の眼下静脈叢が切れたらしい。見れは、左側の鼻腔からも、赤いものがポタポタと垂れている。
だけど、眼下静脈叢が切れたのだとしたら、この血だらけの見た目とは違って、ダメージは、ほとんどない。とはいえ、この恐ろしくどでかい走魔牛の左側の視界を塞ぐことができた。これなら、鼻も利かなくなっているだろう。
うん。今が逃げるチャンスだ。




