5-02 カークの居室
居住施設のロビーを出た後しばらく歩く。
目的は、カークの居室。
実は。ここへ来るのは初めてだったりする。
召喚用の魔法陣がある四角い建物のすぐ隣。よくある丸い塔の形をした石造りの建物で。ここの広い敷地の奥にあるためか、しっとりとした佇まいの静かな場所。
カークが扉に手を当てて開ける。こぢんまりとした、木の扉。蔦が覆っていて、いかにも魔法使いが住んでいそうな雰囲気。だけど、巨躯のカークは、腰を屈めないと、入り口で頭をぶつけてしまいそう。
扉を開けた時に、魔素流の動きが見えた。ここの鍵は、魔道具なのだろう。
「ふむ。先に入れ。ミルマノ」
一緒に来たリザドリアンのミルマノ。彼は正式な従魔。なので、首飾りも引き手もない。着ている服の襟ぐりから覗く、首元の従魔の刻印“翼蛇の目”を誇らしげに光らせている。そこは良い場所だけど、従魔契約の時、相当苦しんだと思う。
こちらの従魔の刻印は、従魔長のゴンザ氏と同じく胸の中央にある。ゴンザ氏と位置が同じなのは、風呂に一緒に入った時に知った。刻印は、胸の中央にあるのが普通だとのこと。
ミルマノは一礼をした後、ごく自然な感じで中に入った。どうやら、ここによく来るらしい。
「次は、ラケルタ。お前だ」
そう言って、こちらの引き手のフックを外した。もちろん、こちらも中に入る。
最後にカークが中に入った。これはやはりというか。彼は腰を屈めている。自らの部屋だというのに、この入り口は少しばかり窮屈そう。
中を見渡す。外側から見る雰囲気とは、また違った空間。
見上げると吹き抜けで、天井がとても高い。石造りの壁沿いに、螺旋状の石段があり、この壁には展示品のように様々な物が整然と掛けてある。その内の幾つかは魔素流の動きの光で、きらきらと微かに輝く。
更に螺旋状の石段に沿って見れば。この壁の下の方になると重厚な本棚がある。本棚の中には、立派な背表紙の本がずらりと並ぶ。
へえ。これは、すっごい量の本。圧倒されるよ。
そうして目を水平に戻す。そこには数点の質素な家具。そして部屋の中央には、ひとつの実用的なテーブルと数脚の椅子が置いてあった。
総じて物品は多いけど、整理整頓されていて雑然さはない。
生活の面というなら、こちらが住む自室の方が立派に見える。だけど奥にも扉が見えるから、この他にも部屋があるのだろう。
「ここが、しょぼくれて見えるか? 何。あの居住施設が例外だ」
カークがこちらを見て言う。
ん。あ。でも、ここはとても落ち着くよ。と笑顔を作る。
うーん。ちょっと、誤魔化し気味になってしまったかな。
「ま。二体とも、近くの椅子に座れ」
カークが扉を閉めて言う。
閉めただけで、かちゃりと音がした。魔素流の動きはない。
へえ。閉めるのは、機械仕掛けの方のオートロックなんだ。
「む。いや、ミルマノ。茶を3つ頼む。いつものようにな」
椅子に座ろうとしていたミルマノは、この不安定な位置から優雅に立ち上がり、姿勢を正して丁寧にお辞儀をすると、奥にある扉の方へと、さも当然だとのように颯爽と向かった。この仕草は、精練された執事みたいでかっこいい。
「ミルマノの点てる茶は旨いぞ。同じ茶葉なのだがな」
ん。あれ。点てる? ルークの意訳変換ミスかな。
「この茶は俺が飲むものだ。無論、魔素含有量が極端に少ない。ふむ。そうだな。あれを出すか」
カークが、引き戸のある戸棚から、小箱を取り出して、蓋を開けた。中から出てきたのは、押しものの干菓子? 小型の落雁のようなもの。
「これはな。蒸した米の残りを干して粉にして、大魔蟻蜜あるいは魔マゲイの糖蜜を練り込んで型押しし、さらに乾燥させたものだ。これは、日持ちする菓子でな。とても重宝する。お前たちには、この魔マゲイの糖蜜方だな」
魔マゲイの糖蜜?
「ふむ。知らんのは無理もない。魔マゲイの糖蜜は、とても珍しいものなのでな。これはな、魔素含有量が桁外れに高い糖蜜だ。この糖蜜の原液を舐めた魔動物は、酔い倒れる。だから、普通の野生魔動物はこの糖蜜を敬遠しているようだ」
え。
「安心せい。この菓子の魔素総量は、普通の魔動物が食えるように調整してある。ま。錦糸魔蜘蛛の魔絹糸腺に夢中になるお前だ。原液の方が、良いかもしれんな」
カークは笑いながら、その菓子を皿に分ける。型押しの模様で違いが判るようになっていた。その模様は、縦線と同心円。同心円の付いた菓子の皿が、2つある。これが魔マゲイの糖蜜なのだろう。
あ。ミルマノが戻って来た。
盆に3つの黒塗りの椀のようなものを載せている。
あれ。ミルマノがいつも居住施設のロビーで飲んでいる、ティーカップのような容器じゃないよ。
「ふむ。椀に驚いたか。茶にも様々な種類がある。これはな、あの南サガラの名産の茶とその椀だ。だが、この茶は本物ではなく、偽魔茶でな。本物の魔茶は神聖なもので門外不出とのことだ」
へえ。
「仮に本物が手に入っても、俺にはとても飲めんだろう。お前らでも、厳しいかもしれん。本物の魔茶は、神話で、原初のドラコロイドであるドラコラン帝国の黄金竜帝に献上した贄の一つだといわれておる。ドラコ―目科の知られている嗜好を見れば、とても高い魔素総量のものだと考えられる」
あれ。贄ってどこかで聞いたような気がする。
ん? いい香りがする。
ミルマノが黒塗りの椀をテーブルに置いていく。椀の中身は、きれいな緑色で、ちょっと粘性があって、細かい泡がある。
あ。うん。これ知っている。お薄だ。そう。茶の湯の薄茶。そんな感じ。でも、ここで作法ってないよね?
「ミルマノ、ご苦労。じゃあ座れ。一緒に飲もう。だが、これは苦いでな。菓子を先に食え。それから、この茶を飲めば良い。そうすれば旨いぞ」
カークの真似をしよう。それが無難だろうね。
カークを横目で見ながらいただくことにした。簡単だった。ただ菓子を手に取って口に放り込み、しばらくしてから、茶を飲むだけ。
干菓子は、魔マゲイの糖蜜の味なのだろう。濃厚な甘さの中に、あの独特な円やかな酸味を伴う深い旨味を感じた。
これは甘さが強いけど、魔素の担体は火系のようだ。こんなのもあるんだね。
その後の偽魔茶は、味も香りも抹茶のお薄のような感じ。作法とかは、あまり知らない。だけど、好きなんだよね。こういうの。
ごちそうさまでした。とても美味しくいただきました。
こちらが感謝の意を込めて会釈をすると、カークが立ち上がる。
「ふむ。では、始めるか。ミルマノ。仕舞にしてくれ」
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