1-05 仮の住処
男はその後、ゆるりと背後に回り‘外部制御体勢’と言いながら、こちらの腰あたりをむんずと掴んで持ち上げた。
こちらは何も抵抗をせず、すんなりと立ち上がった。
「では、仮住まいの住処にご案内といこうか」
と、こちらの背中を軽く押す。
すると、こちらの意思とは関係なく、自動的に足が前へ出て歩き始める。その後も、彼が背中を押す度に、身体が勝手に動く。
何だろう。意識は鮮明なのだが、どうも抵抗をする気持ちそのものがない。何か、自分が自分でないという、妙な感じがする。実感が湧かないというのか。まあ。どうでもいいやという気分。
それに、さっきまであった気だるさが、嘘のように消えている。そうか。やはり、これは夢の中か。結構質の悪い夢だけど。
夢の中だから、実感がないのが当たり前で、むしろ今の状態のほうが正常なのかもしれない。他人事のように自分をみる夢は、もちろんよく見る。
そんな感じで、時々背中を押されながら、石で出来た廊下を歩き、階段を下って行った。そして広い廊下の突き当りで止まる。
男は、左に振り向き、格子がかかった窓の右側を指した。その窓は比較的高いところにあるのに、窓の下すぐに地面が迫っていた。
さらに、彼が促すので、その方向をよく見る。そこには、とても大きくて頑丈そうな石造りの建物が見えた。
その建物は濃い影になっていて、細かい所がよく分からなかった。その建物に伸びる影がとても短かったのが印象的だった。
「あれはヒト型従魔の居住施設だ。この町の自慢でな。規制で定められた以上の設備と広さがあるぞ。ある意味、人間の宿舎より良い。だが、お前はまだ、そこに入れん」
続いて、彼は近くにある扉を指す。それは金属製だと思われる灰色をした重厚な造りのとても大きな扉だ。
その扉には、意匠を凝らした大きな透かし模様が彫られていた。その模様は何か鳥獣を混合したものをモチーフとしている。その模様の透かし模様から、中が覗けそうな感じだ。
「ここが、正式に決まっていないお前の住処だ。先程の施設よりも、広さだけならあるぞ。何せ、元は大型魔獣用だったからな」
男は前に出て、彼自らその重そうな扉を開ける。引き戸だった。
「自由は制限させてもらうが、これでも下手な人間より恵まれていると思うぞ? 後で食料と着るものを渡してやる。着るものは多少作りを変えなくてはいけないのでな、少し遅くなるかもしれん」
こちらは、そのまま突っ立ったままでいる。いや、動けないのではなく、動かなくても別にいいやという気持ちでいる。
動けるだろうけれど、能動的に動くのが恐ろしく面倒くさい。瞼を上下するのも、能動的にはあまりしたくない。
男はこちらを見て、にやりと笑う。
「ふん。知性があるといっても、野生魔動物だったな。そんな心配をせんでも大丈夫か。‘愉快なトカゲ’よ」
こちらの背中を軽く押して、部屋の中程へと誘導する。広くがらんとした石造りの部屋だ。光の帯が差し込んでいて、中は結構明るい。
「‘最小制御体勢’。もういいぞ。お前の意思で動いてみな。完全な俺の制御下に置かんでも危険はないだろ。それに完全制御モードのままだと、お前の体内魔素が枯渇して死亡するかもしれん」
ん。あ。身体に実感が伴ってきた。
んー。でも、何かしんどい。気だるさまで戻って来た。
さっきまでの状態では、実感がなかった代わりに、このどうしょうもない気だるさもなかった。どっちもどっちだね。これは。
とりあえず、両手の指を1本ずつ動かしてみる。指の応答がとてもスムーズだ。気だるいが、これくらいだったら、さっきまで感じていた億劫さはない。
「ほれ、そこに藁山がある。休むと良いぞ」
彼が指をさす先を見ると、麦わらや、茅などの枯草が、それこそ、わんさと山のように盛ってあった。
んー。ちくちくとして痛そうだ。躊躇する。
こちらの様子を見て、彼は苦笑をしたようだ。
「ああ。お前は、生葉の木葉派か。だが、すまんな。ここには干した藁しか用意がない。さあ、行った、行った。入れたての干し藁だぞ」
うん? 生葉の木葉派って何だろう。確かに、生葉の木葉は柔らかいかも。
まあ。どうのこうのと言っても、こちらに選択肢はない。藁山に向かう。
藁山の上に登り座る。藁が皮膚を刺激した。
「ギュル、クァルルル……」喉から情けない声が漏れる。
「意外と軟なやつだな。野生でどう過ごしていたのだ? 野生でのお前の生活史を見てみたいものだな」
軟で悪かったな。それに、野生、野生って。テレビの娯楽番組か。そんなワイルドな生活はしたことはないぞ。
せいぜい、東京周辺で、仲間と日帰りバーベキューとかで、キャンプもどきをしたくらいだ。
ん。東京? 今日は休日で、東京の家にいる、だったかな。あれ。何処かに出かけたような気がするが……気のせいだったか。
そもそも、今朝起きた?
どうも、記憶がはっきりしない。
藁山の認識って、これでよかったですよね?
中世ヨーロッパの農民は、藁山の中で眠っていたという話から、それなりの待遇だとしました。