2-09 湯浴み
おふろでリラックス。
ぐ。あ。……うん。いいや。
さっさと、風呂に入ろう。ほんと、良い香りがする。気分が楽になるよ。
んと。湯を汲む桶はあるのかな。
あった。
……だけどこれ、まるで神社にある柄杓だよ。これじゃあ、何だか禊みたいになっちゃう。ん。え。渡された白い布って……褌?
手に持つ布を広げてみる。短めの長方形の布で、紐もない。
どうやら、違ったようだ。ほっとする。
その布を畳み、頭を下げて慎重に載せる。
浴槽に手を入れる。うん。丁度良い湯加減だ。
柄杓で浴槽の湯を取る。湯を流して身体を洗う。手首から連なる鎖が目に映る。
あ。このまま、湯の中に入って大丈夫かな。
溺れる想像をして、急に不安になる。
振り返ってカークを見る。彼は微笑んで頷いている。
大丈夫だから、そのまま入れということらしい。
湯船の縁に手をかけて慎重に足を入れた。意外に浅い。小石の色で、底が深いように見えていたようだ。実際の湯の深さは、中で座って肩が出るくらいだった。
湯の中で、足と背中を伸ばす。気持ちが良い。
いい湯だ「キュルウルル……グッ」。
慌てて口を噤む。いい湯加減だったので、つい声に出してしまった。
カークがおかしそうに笑う。
「ははは。何だ。今まで、静かだと思っていたが、我慢していたのか。確かに俺は、検め事本番では澄んだ鳴き声で鳴くなと言ったが、ここでは構わん。ふむ。そうだな、荷物を中に入れて扉を閉めてくるか。その後、存分に声を出すと良いぞ」
カークはそう言うと、扉の方へ向かった。がらがらと、大きな荷物を載せた台車を中に引き入れ、扉を閉め……。
あれ?
内側から鍵をかけ、短杖を扉に向けて何かつぶやいていた。そして、折り畳み椅子のような物を手に携えてこちらに戻ってきた。
彼は扉側の壁を背に椅子を置き座った。
「このまま地べたに座ると、水に濡れるのでな。椅子を持たせてもらった。さ。いいぞ。好きなようにしな。お前の気持ちの赴くまま、澄んだ鳴き声でもな」
カークはそう言い終わると、椅子に座ったまま、リラックスしたような状態で目を閉じた。それでも、しっかりと短杖を手に持っている。
いいの? 「クルルゥ?」
カークは目を閉じたまま、にこやかに頷く。
自ら止められるとはいえ、無意識に出る声だ。出していいなら、大いに声に出そうじゃないか。
風呂といったら、そうだろ。すごく歌いたい気分なのだ。これは望まないまでも、あの声になってしまうだろう。
では、お言葉に甘えて。脳裏に出て来たものをそのままに。
「ツィーア、ツィツィツィー。チチチチ。‘キュクワーラー’、チチチチ、‘フグワーラ’、キュグルルルル。‘ユグァルルルー’、チチチチ。ツィア、ツィア、ツィア、ツィアキュルウルルルー」
鳥のような澄んだ鳴き声が、明るく楽しげに喉から響く。今、小さい子供の頃にした、お遊戯のようなものを想像している。
残念ながら、具体的な内容は、よく解らない。ただ、脳裏に雨は良くて太陽はあまり良い物ではないらしいというイメージが浮かぶ。
うーん。気持ちがいい。適当に喉を震わせて音を出すのも、いいものだね。お湯の香りもいいし、極楽、極楽。
そんな感じで、しばらく適当に歌を歌っていた。
ふと辺りが暗くなる。
―<トラロクの楽園にようこそ。私は主のトラロクだ。まずは歓迎の印にセノーテの舞をご覧にいれよう……って随分と遠いね。これじゃあ映像を送れないよ……。ん。これは。この波長はルーク? 少し違うような気もするけれど、遠いからね。これはルークだ。いやぁ、ルーク。久しぶり。懐かしいね。それにしても、何でまた、そこにいるの? あんな目に遭ったと言うのに君は相変わらず懲りないね。そうそう、最近、師匠とあちこちまわっていると聞いたよ? たまには、こっちに遊びに来てよ。また、トラロケらに……うあぁ、何。すごい勢いで無くなっていく。ひゃ。うそ。もう限界って。と、とにかく、君が来るのを楽しみに待っているからね。じゃあ……>-
頭の中に、何か騒々しいのが勝手に入って来て、勝手に去って行った。
何これ。目が点になる。
そういや、変なものや嫌なものを見たり感じたりしたら、瞳孔が縮むとか聞くよ。こちらは縦に細い瞳だから、目が糸になる……のかな?
それはともかく。
まるで勘違い系の間違い電話だよね。これ。それも、インターネットが通じない外国とかの遠距離通信で。
あまりにも内容が変で、頭の中に声が直接響いても怖くとも何ともないよ。
これくらい突拍子がないのが、むしろ、本当の夢の中らしいかもしれない。
「おい。大丈夫か」
突然、カークの声が聞こえた。声のする方を見る。
彼はこちらの目の前に来ていて、しゃがんで心配そうにこちらを見ていた。
「急に歌声が止んだから、どうしたかと思ったぞ。長湯すると湯あたりするだろ。もう上がった方が良い」
うん。そうだね。身体も結構火照っている。同意の意味を込めて、カークを見て短く「チ」と鳴いた。
さっきの変なのがなかったら、すごくいい湯だった。あと何だか、気持ちがとても落ち着いている。
「ほれ、これがいるだろ」
湯から上がったら、大きな白い布を渡してくれた。布を受け取り、身体を拭いた。ふんわりとして、気持ちの良い布だ。
「ツクワーラーツィア、キュルウルルルー」何かいいね。小さい子供の頃に戻ったような気分だ。
そのように、ほんわかしていると、カークは満足げに頷いて言う。
「ふむ。良い傾向だ。そのように従順であれば、お前自身は何も問題ない。まずは、これを着て藁山で少し休め。湯冷めせんようにな」
お気遣いありがとうございます「クルウックワーラーゥルルルーゥ」。
これは意識して言ってみた。同じ意味の言葉だと思う。たぶん。え。違っていたら嫌だな。でも、もう言っちゃったし。いいか。
返事をして、着替えを受け取った。真っ白なステテコとポンチョだ。あれ。さっきまで着ていた服には、縁に派手な模様があったような。
前の服を確認しようと見回すが、すでに回収をしたのか、見当たらない。前の服に未練がある訳でもないから、別にいいけど。
受け取った新たな白い服は、柔らかくて肌触りがとても良い。何かの毛で織ったもののようだ。服の造りは同じだったので、難なく着た。
そして、藁山の上に向かった。
カークが隅の端子を短杖で軽く突くと、浴槽と洗い場は、出て来た時と同じようにするっと壁に溶け込むように消えた。
古くからある魔道具だといっても、トイレや洗面台と同じ収納形式なんだね。
ある湖の底で。
トラロク:はて。思えば、あの実体が何で戻れている?




