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1-01 丘の上の大きな木の下で

ある春の日の出来事。


 この冬は、先方のミスが発端で連続したトラブルが発生し、どうのこうのと事後処理を押し付けられた。もちろん毎度の年度末進行に加えてだ。


 それはもう、生き地獄かと思うくらい鬼のような状態。


 メンタルタフを自負する私でも、流石に堪えきれなくなりそうな日々だった。


 こんなそれらを何とか終わらせて、ようやく取れた休日。


 のそりと布団から出て、カーテンを開けて、うららかな春の朝日を浴び、両腕をぐいと上に広げて深呼吸と共に大きく伸びをする。


 今日は晴れている。それでリフレッシュに出かけようかと思い立つ。


 思い立ったが吉日と、出かける支度をして近くの駅へと向かう。


「あ」


 信号待ちの歩道で、家で見たのは平日の時刻表だったのを思い出し。


 だけどラッキーなことに、ホームに降りてすぐに電車が来た。


 それも入って来た電車の車内は、少し混み合うだけの模様。


 扉が開いて降りる人々を待ち乗る人々の流れに従い中に入る。


 目に付いた空席にゆるりと座り、行先と乗り換えの確認に車内の電光掲示板へと目を向ければ。


 行先案内の隣にあるニュースの画面。


 そこでは、険しい冬山での遭難者の話題が動画で流れていた。


 今季も幾人か行方不明者がいるとのこと。


 冬山の登山は恐いなという感想はある。だけど本格的な登山の経験はない。


 なのでどこか遠い話だと思い、何とはなしに目線を車窓に移す。


 目に映るのは、喧騒としたビル街や立て込んだ家々などがある雑多な街並み。


 途中駅で乗り換え時を経るにつれて。田畑とぽつりぽつりと建つ家へと移ろい、終いには、山ばかりが目立つ景色となる。


 そんなこんなで、昼前となったころ。


 小さいながらも趣のある古風な駅舎が目に留まる。


「お。いいね」


 この駅舎の風情が気に入ったので、下車。


 晴れた休日だというのに、この駅で乗り降りする人はまばら。


 風情があるとはいえ田舎の駅。


 加えて近くに土産物屋も見当たらないので、こんなものなのだろう。


 駅の時刻表を見れば、帰りは数時間後。


 まあ、これなら心配せずとも余裕で日中に戻れるな。


 少し早いが、ここで昼飯を食べようか。


 と思いながら、駅構内を見渡せる待合のベンチに座る。


 途中の駅で買った駅弁を広げ、中の彩りを楽しみ、旨そうな香りを楽しむ。


 さて。いただこうか。


 ぱく。


 うん。旨い。これは想定どおり当たりだよ。


 産地もののシリーズ。それぞれに産地特有の特徴があり、色々と工夫を凝らしていて楽しめる。それに、地産地消というのも好感が持てるよね。


 このような駅舎や車内で、のんびりと食べる駅弁は格別。ほんと癒される。


 鉄ではないが、こういうのは好き。


 リフレッシュには、もってこいだ。


 皆でわいわいと賑やかに食べるのも良いが、一人で食べるのもまた良い。


 静かでゆったりとした、気持ちの良い時間。


 これは、時間に追われる現代人にとって、至高の贅沢というもの。


「あー。旨かった」


 ぐいと両腕を広げ伸びをして目にするのは、人気のない駅舎の風景。


 先程まで改札にいた駅員も今は一人も見当たらない。


 そりゃあ、そうか。列車が来る時間は、まだかなり先。


 食後の運動と時間つぶしを兼ねて、周辺を歩く。


 駅舎から少し歩いたところで、踏み分け道を見つけ、それを辿る。


 その先に、木と土で出来た壊れかけの階段があった。


 壊れかけてはいても踏み外しようがない、とても緩やかな上り階段。


 少し段差のある緩やかな上り坂だと思えば、なんてことはない。


 芽吹いたばかりの柔らかな下草を踏みしめながら、森の中をてくてくと歩く。


 春の暖かい日差しの中、明るい木漏れ日が目に優しい。


 ちょっとしたハイキング気分。


 うん。やったね。いい場所だ。


 そうして半ば浮き立った気分で小さな丘を登りきると、そこは森の木々に囲まれながらも、小さな開けた広場。


 露出する土に柔らかく瑞々しい草が所々に生えるのは、いかにも春らしく。


「ん?」


 きらりと何かが光る。


 何だろうと思い、光った方角の広場の奥を見据えると、木々の影に隠れる感じの小さな建造物を発見。


 更にその場所へと近づくと、小さな建造物は古びたほこらのようなものだった。


 そしてこの祠は、背後に生えるこの太い幹をした木を祭っているものらしい。


 けれどもその祠は、形として成しているが荒れ放題で限りなく残骸に近い状態。


 今は、誰も手入れをしていないのだろう。


 不意にふわりと上方から暖かな風が頬を撫ぜ。


 この風につられて、祠の上を見上げてみれば。紫色の枝に春の柔らかな日差しを受けた高くてでかい木が、そびえ立っていた。


 この木の存在感に気圧されて。同時に、どことなく切なく懐かしい。


「……郷愁か」


 このたぐいの過去なんて、今まで考えてもいなかったな。


 とにかく、先へ、先にとしか見ていなかったような気がする。


 そうか。私もそろそろ、そういう年になったのだろう。


 ふと気が付くと、まだ葉のない枝に紫がかった茶色の小さな花が丸まって点々と咲く、このでかい木のひこばえが。


 まるで誘われるかのように、この木のすぐ前まで近づいていたようだ。


「ん?」


 突然、視野が狭くなる。


 次の瞬間、くらりと眩暈めまいがして、視界が急速に暗くなるのを感じる。


 今までの疲れが残っているのかな。


 時間にまだ余裕があるが、無理をせずに戻ろう。


 そう思ったところで、がくりと全身の力が抜け、意識が遠のく。


 ……うう、ん。


 あれからどのくらい経ったのだろう。


 時間の感覚がつかめない。


 瞼は重いが、何とかして目を開く。


 視界が暗い。今は夜?


 いや、これはどうやら、何も見えていないのだろう。


 上も下も何も無い、全体的に単なる薄闇が見えているだけだから。


 流石にまずい。救急車を呼ばなくては。


 短縮登録をしている内ポケットの携帯を取ろうと、手を動かそうとする。


 う。そんな馬鹿な。


 自分の意思で応答してくれるはずの自らの手。


 フリーズしたパソコン画面のように、腕の付け根から指の先への脳からの命令が伝わっていないのか、全く動く気配がない。


 慌てて誰かを呼ぼうとするが、声も出せない。


 それにここは、人気のない丘の上だ。


 声を出せたとしても、誰かが来てくれる可能性は、ほぼないだろう。


 そんな状態に悪態をつくが、どうしようもない。


 その後も頭の中で騒いだが、そうすることにも疲れ。


 とにかくここまで意識がはっきりしているのだ。


 しばらく待てば、必ず動けるようになる。


 そうだ大丈夫なんだと、無理やり納得をすることにした。


 それで連絡が通った時の伝える事柄の整理をしようと、記憶の確認をする。


 私の名前は、大森おおもり 直人なおと。年齢、36歳。住所は東京都……。


 ぷつりと意識が飛んだ。


この丘の上の大木は春楡の木です。

春楡:日本原産のニレ科の木 花言葉:信頼

春の花咲く頃の描写ができているでしょうか。

それから春楡は黄泉の国に通じているとかの話があったり。

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