2-01 鏡と水
鏡に映ったのは……。
あと、起きてすることは、と。
奥の壁に向かった。壁に露出している端子に手をかざす。ほわっと端子が光り、壁からするりとトイレが出て来た。
端子という名称は脳裏に浮かんだので、勝手にそのように付けている。登録をしたとき、カークは、これに手をかざせと言っただけなので、こちらは、これの正式名称を知らない。これは、拳大の大きさがある、丸い形の半透明な灰色のアゲート、瑪瑙みたいなものが壁に埋め込まれている。
思えば、このトイレの設定は大変だった。だけど、それさえ済めば、楽ちんだ。まじめな話、これじゃなきゃダメになってしまう程。これは日本のトイレと同じか、それよりもいいかもしれない。うん。
用足しを終えトイレを収納した後、顔を洗おうと、隣の洗面台の端子に手をかざす。洗面台も壁からスムーズに出て来た。
あれ。洗面台自体にも、ちょっと違う形だけど、端子みたいなのがある。よし。手をかざしてみよう。
端子に手をかざすと、洗面台から何かが生えるように、するりと出てきた。
鏡? お。鏡だ。ここに来てから、鏡を初めて見るよ。
おそるおそる鏡に近づいて、中を覗く。
いや、何。今までが今までだ。普通の鏡じゃない可能性も大ありだろう。
何事もなく……とは言い切れないか。
手を振る。首を傾げる。普通の鏡だね。たぶん。疑っていても始まらない。これは普通の鏡だと思うことにしよう。
鏡に映っているのは、全く知らない別人の顔だった。
そして、その顔は、結構整ってはいる。見ようによっては、格好がいい。
そう。格好がいいというのには、やや幼く見える。少年から青年になりかけの、かなり年若い人間の男性といったところか。
平たく言っちゃえば、まだガキが抜けていない。そして、色白で髭が全くない。これじゃあ、下手をすると女性と間違えられてしまう。
髪色は黒? いや、濃い青緑色かな。光の加減で銀色に光るような気もする。まぁ、黒でいいか。何か、深く考えたら良くないと、心のどこかでいっているような気がする。
その毛髪は、ふわりとウエーブがかかっていて、鳥の冠羽を思わせるような特徴的な跳ね癖がある。整髪剤ではどうしようもない位、ぴんぴんと跳ねている。むしろ、強力な整髪剤でその形を作っているのではないかと疑いたくなる程だ。
あ。そうそう、目。この目がどうなっているのかが、気になっていたのだった。
前髪が少しかかっていたので、屈んで手櫛でかき分けた。そして鏡を見て、問題の目を確認した。
すっと整った眉に、やや釣り目で二重の、大きな黒い目。
ほっとする。やっぱり、ここは夢の中だ。
何だ。普通の人間の目じゃないか。むしろ、いいね。これ。じゃあ、やっちゃおうか。夢の中だし。
鏡に対して格好いいなと思うポーズを取り、ウインクをしてみた。
いやぁ、自ら言うのも何だけど、様になるね。元の自分もいいけど、霞んでしまいそうだよ。
子供みたいだって? いいじゃないか。ここは、思いのままにならない夢の中だ。自由にできることは、自由にやりたい。
ん? あれ?
何か引っかかるものを感じた。ずいと鏡に近づき、目の中をよく見てみる。
ひっ「クィッ」。戦慄が走る。思わず、のけぞった。
同時に声が漏れたようだが、そんなことに構っていられない。
鏡に映る双眸は透き通った暗褐色の虹彩。これはいい。そこから覗く瞳が問題だ。
鋭利な針を思わせるような、縦長の黒い瞳。
本当に細い。
そうして鏡の中の瞳を見つめていると、ちらりと虹彩が赤く鮮やかに光ったような気がした。何か、心の奥底が冷えて粟立つような、不気味さを感じる。
どこかで同じような瞳を見たような気がするけれど……そんな訳ないか。
ふと、我に返る。鏡を凝視している“他人の自分”が映っていた。
何これ。これで、よく普通に見えているなと思う程に、細い瞳だよな。流石は夢の中。しゃれたことをするじゃない? 自分。
茶化して強がっている。そう。その通りだ。
そうでもしないと心が持たないと、自分の中の何かが警鐘を鳴らしていた。
鏡はもういいよ。
洗面台の端子に手をかざす。
鏡はするっと洗面台の中へと消えた。
この顔がどんな造りでも、いいじゃないか。これは夢なのだよ、夢の中。
自らに、そう言い聞かせるように、強く念じる。
ふぅ。
気持ちを切り替えるために、ぱんぱんと頬を軽く叩く。
さ。顔を洗おう。‘水よ、出でよ’。
洗面台から水が出て来ない。
そう。冗談で念じてみただけ。
若返ったからと、はしゃいでしまったかな。これも魔道具。蛇口のようなものの上にある端子に、手をかざすだけで良いと聞いている。
改めてその端子に手をかざす。
びしゃー! ……え?
すごい勢いで水が噴き出す。顔どころか、全身がずぶ濡れだ。故障かな? 夢の中だし、故障というのも変だけど。
気分転換になったか。顔のことが完全に吹っ切れた。
それでも、ずぶ濡れは頂けない。どうにかしたい。
先程は、冗談だったが、ここは夢の中の世界だ。さらに魔力と言う説明もあった。呪文次第では、本当に魔法も普通に使えるのではないか。
だめもとだ。やってみよう。
必死に鳥のような鳴き声を変化させ、こちらが本やゲームなどで知っている呪文とされているものに、何とか音を真似て色々と試してみた。
けれども、うんともすんとも何も起こらない。やっぱりだめか。呪文があったとしても、この喉では難しいかもしれない。
諦めかけた、その時。
ふと、脳裏に水分子が振動して拡散するイメージが浮かんだ。
すると、全身に滴っていた水が急に泡立つ。瞬く間に真っ白な蒸気となり、もわっとした霧のようになって辺りに散っていった。
同時に、身体から気力が、がくっと一気に抜けた。
ずぶ濡れに濡らしていた水は、綺麗に無くなった。だけど、疲労が半端ない。
あれ。これが魔法? もっとこう、違うものを想像していた。
どうしようもなく、しんどい。半分閉じたような目に手首の黒い帯が映った。
うー。何だよ。こいつにやられた時より酷いじゃないか。
夢の中なのに、こんな夢のない魔法ってないじゃない?
その場にへなへなと座り込む。
ひどいめまいと共に、目の前が暗くなった。
思い出せないでいるようです。




