第六話
新入部員たちが入部して、半月が過ぎた日のこと…
「どうした、井出…もっと腰を入れて、打ってみろ!」
「はい!」
鍋島に叱咤された1年生の井出将人は、バットを強く握りしめた。
「いくぞ!」
それを確認した彼は、大きく振りかぶってボールを投げた。だが、
「今度こそ…」
将人の打ったボールは、点々と跳ねてからコロコロと転がり、ピッチャーマウンドにようやく届く程度の距離で、ピタリと止まってしまった。
「打つ気があるのか、この野郎!」
「す、すみません…」
鍋島にどやされると、彼は慌てて平謝りした。
「ほんと非力な奴だな…」
将人のバッティングを見ていた晴翔は、思わずため息をついた。
「力が無いだけじゃねえ、空振りも多すぎるぜ。センスがないと言うのか、なんと言うのか」
優希があきれた顔で話すと、横から玄奘がやってきて、
「しかし、彼の守りは鉄壁だよ…誰よりも早く、ボールに反応して食らいつくし、打球を反らすことなんて、ほとんど無いからな…セカンドには、うってつけの役だと思うぞ」
反論したが、
「だが、あのお粗末なバッティングじゃ、相手のピッチャーになめられるだけだぜ。毎回、あいつの打席で、流れが切れるだろうしな…レギュラーは、無理だと思うぜ」
「もったいないな…あれだけ、良い守備を見せているのにな」
晴翔の言葉に、苦い顔をした。
「まあ、今はまだ1年なんだし、そのうち体格が良くなってくれば、変わるんじゃねえのか…とにかく、あの小柄で華奢なのがいけねえ」
「だったら、プロテインを毎日飲ませたらどうだ。そんでもって、ステロイドでドーピングして、筋肉ムキムキにしてよ」
「バカなことを言うな!」
晴翔と優希の話に、玄奘は思わず怒鳴ると、
「竜岡の言う通り、パワー不足よりもバッティング技術の方が問題なんだ。改善させるのだったら、そっちの方を何とかするべきではないのか」
そう分析した。
「でもよ…バッティングは、センスが無いとダメだって、よく聞くぜ。こればっかりは、どうしようもねえんじゃないのか?」
晴翔の話に、玄奘は首を横に振り、
「勝手に、センスの有無を決めつけて、自分の可能性を潰すことは、よくないのではないかな…私は、センスと言うものは、持って生まれたものだけだとは言い切れないと考えている。深く追求し、磨いていくことで、大成していくものだと思っているよ」
そう話した。すると、
「違いねえな…始めから諦めていたんじゃ、話にならないもんな」
晴翔は頷き、
「よし…ならば、あいつを特訓してやるぜ!」
「えっ…」
その言葉に、玄奘は目を丸くした。
「3年になったら、一緒に試合へ出ることになるかも知れねえしな…だったら、今のうちに、戦力になるようにしとかないとな」
晴翔は、そう言って、フリーバッティングの練習を終えた将人へ歩み寄っていった。
「まったく、君と言う奴は…」
それを見て玄奘は、小さく笑ったのだった…
そして、その日の夜…
野球部の練習が終わった晴翔と将人は、とある空地へと向かった。
「ほんとに、今からやる気かよ…12時回ってしまうぜ?」
「善は急げだ…うだうだ言わずに、ついて来い!」
その無茶ぶりに、将人は、げんなりしながら、彼について行った。そして、暗い夜道をとぼとぼと歩いていると、目の前に大きな工場が見えてきたのだった。
「よし…この塀を乗り越えれば、例の空地に着くぜ」
晴翔は、その塀を指差し、
「その塀って…工場の敷地の中じゃないか。まずいぜ…」
「なあに、大丈夫だって…そこは夜になると、めったに人が来ない場所なんだ」
さっさとよじ登って、向こう側へ行ってしまった。
「まさか、こんなことになるとは…不法侵入で捕まったら、お前のせいだからな」
そう言うと、将人は腹をくくり、同じようにその塀を乗り越えて、そのだだっ広い空地へたどり着いた。そして、
「むう…確かに、聞いた通りの広い空地だな」
少しだけ、晴翔を見直したのだった。
「その上、隣が夜間も稼働している工場の建屋だから、そこから漏れる明かりで、結構遠くまで視野が利くときたもんだ。な、言った通りだろ…」
晴翔が、得意げ話すと、
「だが、練習ができるくらいの明るさかと言うと、果たしてどうだか…」
将人は、眉間にしわを寄せながら、声を詰まらせた。だが、
「まあ、そう固いことを言うな…それよりも、さっさと始めようぜ」
「へい、へい…わかりました」
彼のゴリ押しに負け、ため息をつきながら練習の準備を始めたのであった。
「この辺から投げてみるか」
晴翔は、そう言って立ち止まると、
「おい、ちょっと待てよ。今、どこら辺にいるんだよ。お前…」
将人の声に、
「さすがに、これだけ離れると相手が見えなくなってしまうか」
「やっぱり、無理だぜ…もう、帰ろうよ」
少し考えたが、
「いや…目が慣れてくれば、もう少し見えてくるだろうよ。少し待ってみようぜ」
とりあえず、準備体操から始めることにした。その答えに、
「そんなものかよ…」
将人は、半ばあきれてしまった。
そして…
「おお…何となくお前の姿が、見えてきたぞ。そろそろ、いいんじゃねえのか」
「そうかな…俺には、あんまし良く見えないが…」
どう懸命に目を凝らしても、全く見えてこない状況に、将人は、大きく不安を抱いた。だが、
「じゃあ、投げるぞ!」
晴翔が、投球姿勢を取ると、
「こうなったら、ヤケだ…」
ぼんやりと浮き出て見える彼の方を向いて、バットを構えた。
「何もしないで帰ったら、それこそ時間の無駄になるしよ…」
晴翔が、そう言ってボールを投げると、
「うっ…全く見えない…」
将人は、彼の放ったボールを必死に目で追おうとした…と、ふいに、闇の中から白球が現れ、
…ボカッ!
おでこに、ボールが当たった。
「あいたたたっ!」
その痛さに、彼は、頭を押さえながら悶絶した。そして、
「わりぃ、わりぃ…手元が狂っちまった…」
「つう…どこへ投げてんだ、お前は…殺す気かよ!」
怒鳴りながら、おでこをさすったのだった。
「大丈夫だ…今度は、ちゃんと投げるからよ」
「もう止めようぜ…無理だよ、この明るさじゃ!」
将人が、その場にバットを叩きつけると、
「でもよ…そんなことじゃ、いつまで経っても、バッティングはうまくならないぜ」
晴翔は、彼をたしなめようとした。
「もう、たくさんだ…バッティングなんか、上手くならなくても別にいいだろ」
「おい、おい…そんな投やりになるなよ」
「大体、俺はお前みたいに、体格に恵まれてないんだから、しょうがないだろ…お前に、俺の気持ちが、わかるのかよ」
「体格のせいにするな。それに、お前だって、そのうちでかくなるって…」
「ふん…それは、どうだか…」
将人が、いじけながら、そう吐き捨てると、
「とにかく、お前のバッティングは、他のメンバに比べて格段に悪いんだから、技術面だけでも何とかしないと、レギュラーになれないぜ」
「別に、レギュラーになれなくてもいいさ。どうせ、今までだって、試合に出たことないもんな…」
ついに、晴翔はキレた。
「だったら、何のために野球やってんだ、お前は…半端な気持ちで、野球をするな!」
「半端な気持ちとは、なんだ…俺は、俺なりに自分の持っている力を考えながら、やっているだけじゃないか」
「そりゃあ、どう言う意味だ?」
「体が小さいから…パワーが足りないから、それを考えて、守りだけは得意になろうとがんばっているんじゃないか」
その言葉に、晴翔は頭をひねった。
「お前…それって、もしかして、守備が上手いってことを、鼻にかけているだけじゃねえのか?」
「えっ…」
将人は、ふいに言葉を詰まらせた。そして、
「言っておくが、守備がうまいだけじゃ、野球になんねえぞ。一芸に秀でているだけで、満足しているんじゃねえよ。もっと、目標を高く持てよ!」
大きく項垂れたのだった。
「つまんねえ、プライドなんか捨てちまえ。勝手に自分で作っちまった殻を、ぶち破って、さらなる先を見据えるんだ!」
「こ、虎頭…」
将人は、思わず天を仰いだ。さらに、
「そうだな…確かに、俺はバッティング練習になると、何も考えず、ただめんどくさそうにやっていたよ」
小さく笑うと、
「お前の言う通り、自分の守りの良さに…それだけで、自分に酔っていただけのかもしれないぜ。ほんとは、それだけが上手くなっても、他の要素が揃わないと何にもならないのにな」
「井出…」
真摯な目で、彼を見つめたのだった。
「俺も、まだまだ甘ちゃんだったよ…これからは、もっと高い目標を掲げてやってかないと、成長がそこで止まっちまうってもんだな」
将人は、大きく背伸びして、
「帰ったら、素振りを1000回やってから寝るよ。これからずっとな…」
彼に向かって、親指を立てると、
「ふっ…どうやら、明日からは、こんなところで、練習する必要はなさそうだぜ」
晴翔も親指を立てて、それに応えたのだった。




