第七話
そして、葉桜が目立つようになり、4月も終わろうとしていた頃のこと…
大志高校野球部たちは、鍋島の号令でグランドの一角に集合したのだった。
「あと少しで、ゴールデンウィークになり、授業は休みになる…そこで、我々野球部は、この長期休暇を利用して、強化合宿を行いたいと思う」
その言葉に、一年生たちは目を輝かせると、
「おい、合宿だってよ。かっこいい…」
どよめきの中、晴翔は質問した。
「先輩…合宿って、どこでやるんスか?」
「うむ…例年通り、九州の阿蘇山で行うことにしている」
「うおっ、すげえ…俺、いっぺんでいいから阿蘇山に行ってみたかったんだよな」
鍋島の答えに、優希は大はしゃぎした。阿蘇山は、世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山を持ち、熊本県のシンボル的な存在として親しまれる活火山で、根子岳、高岳、中岳、杵島岳、往生岳の阿蘇五岳の他に烏帽子岳などの1000メートル級の山々が連なる…
「ねえ、ねえ…おこずかい、いくらまでOKっスか?」
と、彼が、調子に乗って尋ねると、
「バカ野郎、旅行と勘違いするな…この合宿は、夏の大会に向けて、野球部部員一人一人のレベルアップを図るものだ。遠征地周辺との練習試合も組まれているんだぞ…舐めていると、合宿の途中で強制的に帰らすからな」
例の如く、ど叱られた…
「そして、技術の向上はおろか、協調性や忍耐力も鍛錬し、チームワークを築くことも目的としている…故に、この合宿では、かしこまって宿舎の手配はせず、キャンプ場にてテントを張り、食事の準備や洗濯などの給仕は、当番制で行うから、そのつもりでいろよ」
「ひえ…何だか、大変そう…」
それを聞いて、優希はげんなりした。
「とにかく、1週間も現地で滞在するわけだから、それなりの準備をしなくてはならないぞ…各自、遅れることなく十分に準備してこい…いいな!」
「はい!」
こうして、部員たちは、ゴールデンウィークの強化合宿に臨んだのであった…
そして、彼らは、朝早くに学校を出発し、鈍行列車と高速バスを乗り継ぎ、長い道のりを経て、阿蘇山の麓にあるキャンプ場にたどり着いた。そこは、あちらこちらで木々が競い合うかのように生い茂り、草花たちが多様な色彩を飾り立て、穏やかで深く青い湖が静かな日々を過ごし、彼らを出迎えるかのように小鳥のさえずり声が響き渡る自然満載かつダイナミックな緑地であった…
「いやあ…ようやくたどり着いたぜ。移動だけで、くたびれちまったな」
「そう考えると、島国とは言え、日本も広いもんだぜ」
優希が大きく背伸びすると、それに合わせて、晴翔は小さく笑いながら答えた。
「しかし、丸一日つぶれちまったな。だいぶ、日も傾いているしよ…」
と、優希が言いかけると、背後から鍋島の声が聞こえてきた。
「おい、油を売っている場合じゃないだろ…今日の飯の当番は、お前たちだろうが!」
「そ、そう言えば、そうでした…すみません」
「謝らなくていいから、さっさと支度してくれ…みんな疲れているんだからよ」
「はい、すぐに始めます」
こうして、初日の給仕当番である晴翔と優希は、早々に晩御飯の準備に取り掛かったのだった…
「おい…カレー粉って、もう入れて良かったんだっけ?」
「う~ん、どうだろ…もう少し、じゃがいもとかを、よく煮込んだ方がいいんじゃねえのか?」
実は、二人とも、料理の経験は浅かった…
「とりあえず、カレーライスならカレー粉を入れれば、なんとかなると思ったのだが、意外と難しいもんだな」
「ああ、じれったい…もう入れちまおうぜ、俺は気が短いんだ」
「と、言いつつ、もう入れているし…」
構うことなくカレー粉を入れる優希を見て、晴翔は静かに呟いた…
「どれ…そろそろ、味見してみるか…お玉を貸せ」
「まったく…俺は、お前の助手かよ…」
ぶつぶつ言いながら、晴翔がお玉を渡すと、
「何だ、これ…めちゃめちゃ、甘いじゃねえか!」
途端に、優希は自分の作ったカレーにケチをつけた。そして、
「おかしいな…何で、こんな味になるんだ?」
首をひねり、カレーのルウのパッケージを見て、
「おい、何だよ…超甘口…って…お子様じゃねえんだぞ、俺たちは!」
ナチュラルに激高した。それに対して、
「知るかよ…誰が用意したのかわかんねえが、それしか無かったんだからよ」
ムカついた晴翔は、青筋を立てながら、果敢に応戦したのだった。
「ええい…こうなったら、塩を入れて辛くしてやる。塩を貸せ」
「はあ…カレーに塩なんか入れるんだったっけ?」
「こんな甘ったるいカレーが食えるか…いいから貸せよ!」
「いいのかなあ…」
もやもやしながら、晴翔は、近くにあった袋を、さっと優希に渡した。
「まあ、楽しみに待っていな…スパイシーで、デリシャスな俺特製のカレーを作ってやるからよ」
「やれやれ…」
と、その時、晴翔は、塩の入った袋が、目の前のテーブルの上にどっしりと身構えていることに気づいた…
「はう、しまった…おい、待て!」
彼は、慌てて優希を止めようとしたが、
「はあ?」
彼が、余所見した瞬間、
…ドサッ!
袋の中から大量の白い粉末が、カレーの入った鍋に混入してしまったのだった…
「わ、わりい…それ、砂糖だった…」
「な、なぬううう!」
優希は、すぐに振り返ったが、もはや時すでに遅く、鍋の中で砂糖一袋分は溶けて、カレーと同化していたのであった。
「このバカ野郎…よけい甘くなったじゃねえか!」
「て、言うか…お前こそ、何で丸々一袋も入れちまうんだよ!」
「お前が、変なタイミングで、待ったをかけようとするからだろうが!」
この災難に、とうとう二人は口論を始めた。
「ちくしょう…こうなったら、何が何でも、この甘さを中和させるしかない!」
優希は、そう言うと、何を思ったのか、塩の入った袋を掴み取り、
…ザバアッ…!
それを丸ごと鍋に放り込んでしまった。
「あ゛あ゛…何やってんだ、てめえ!」
それを見て、晴翔は愕然とし、
「砂糖一袋分の甘さを中和させるんだから…当然、塩も一袋分入れなきゃダメに決まっているだろうが!」
「そんな訳ねえだろうが、このクソバカ野郎!」
すぐに鍋を覗き込んだが、やはり時すでに遅く、完全にカレーの中に溶け込んでしまっていたのだった。そして、
「お、俺…知らねえぞ…」
額から汗をダラダラとかきながら、そう呟いたのであった…
そして、そのカレーライスは、そのまま部員たちの食卓にあがった…
「おお、旨そうなカレーライスじゃないか…なかなかやるな、お前たち…」
「いえ、そんな大したことないっスよ…なあ…」
「えっ…そう、全然普通ですって…」
「ははは…謙遜するなって、この野郎…」
鍋島の称賛に、晴翔と優希は苦笑いした…
「どうやら、全員に行き渡ったようだな」
彼は、そう確認すると、
「では、いただきます!」
号令をかけた。すると、
「いただきまーす!」
部員たちは、一斉にそれを頬張った…と、同時に、一斉に吐き出した!
「うげえ、ぺっぺっぺ…」
「ぐわあああ…何だ、この味はあああ!」
「み、水をくれ…水を…」
部員たちは、もだえ苦しみながら、ガブガブと水を飲み始めた。
「おい、やっぱ水で薄めてもダメだったようだぜ」
「だから、俺は先輩らに謝って、作り直せって言っただろうが…」
優希と晴翔が、小声で責任をなすり付け合っていると、
「虎頭…竜岡…てめえらっ!」
部員たちは、一斉に二人を睨みつけた。
「いや、あのう…僕たち、一生懸命がんばったんですが…」
「いい訳をすんじゃねえ!」
その後、晴翔と優希の二人は、鍋島の許可が下りるまで、水の入ったバケツを頭に乗せた状態で地べたに正座をさせられたのだった…
そして、夜は明けた…
「今日より、本格的に特訓を行う…気を引き締めていくぞ」
鍋島は、部員たちを見渡しながら、
「まずは、準備運動だ…今から阿蘇山の頂上を目指してランニングをする」
そう大きく発した。すると、
「げっ…マジで?」
「一体、何キロあんだよ…頂上まで…」
一年生たちは、にわかにザワついた。だが、鍋島は、その声に見向きをすることなく、
「よし、いくぞ!」
そう言い放つと、上級生を連れて走り出したのだった。
「お前ら、ぶつぶつ言ってないで、ついて行くぞ!」
玄奘が、そう言って、走り出すと、
「ぬおう…こうなりゃ、ヤケだ!」
晴翔たちも、後に続いたのであった…
「はあ、はあ…マジで疲れるんですけど…」
晴翔たちは、息を切らしながら、ヨロヨロと足を運ばせた。
「標高が高くなると、だんだん空気は薄くなるからな…空気中の酸素が少ない状況だと、低酸素状態を回避しようと赤血球が増加し、筋肉が消費するエネルギーに必要な酸素をより多く体内に運ぼうとするため、心肺機能が強化され、持久力の増加に繋がるんだ。まさに、都会ではできない、その土地の地の利を活かした訓練だよ…」
「そんな解説されても…」
並走する玄奘の話に、彼は舌を出しながら呻いた。と、次の瞬間、晴翔は石につまずいて転んでしまった。
「い、いってえ…舌を噛んだ!」
「おい、大丈夫か…虎頭!」
その言葉に、玄奘は慌てて駆け寄ったが、
「なんちゃって、にひひ…」
彼は、くるりとひっくり返ると、ケロリとした様子で何かを見せてきた。
「あっ、野イチゴだ…こんなところに生えているとは…」
それを見て、玄奘は唖然としたが、
「昨日は、ほんとクソまずいカレーを食わされたからな…こいつで、いかれた喉を癒そうっと…」
「いや…あのカレーは、お前が作ったんだろうが…」
その話に、白い眼で彼をじとっと見た。すると、
「うおっ…俺にも野イチゴを食わせろ」
背後から優希が迫り、晴翔を羽交い絞めにした。
「ぐえっ…何だよ、てめえ…俺が見つけたんだぞ」
「そこら辺、たくさん生えているだろうが…一つぐらい、よこせよ!」
「うるせえなあ…てめえのせいで、俺まで正座させられたんだ。誰が、お前になんかやるかよ」
「何だと…根本的に、塩と砂糖を間違えたのは、お前だろうが!」
と、言い争っていると、いつの間にやって来たのか、二人の目の前に鍋島が、腕組みをして仁王立ちしていたのだった。
「舐めてんのか、お前ら…とっとと走れ!」
「す、すんません!」
彼に思い切り尻を蹴られた晴翔は、優希と共に脱兎のごとく、その場から離れて行ったのだった…
「たくっ…先が思いやられるぜ」
それを見ながら、鍋島は頭をボリボリとかくと、大きくため息をついたのだった…




