第8話:裏帳簿のワルツと、エリートの集大成
金曜・正午:最後のピースと時限爆弾
金曜日の昼休み。
オフィスの自席で、私はゲンさんから指定されたコインロッカーから回収してきた茶封筒を開封していた。
中に入っていたのは、数枚のコピー用紙とUSBメモリ。
「……さすがね、ゲンさん」
私は周囲の目を盗みながら、そのコピー用紙を一枚ずつ確認した。
そこには、グローバル・シナジー・ソリューションズ社の裏口座から、桐島が代表を務めるダミー会社『K・コンサルティング』への、毎月数百万円に上る「業務委託費」の振込明細が、はっきりと印字されていた。
さらに、USBメモリの中には、ゲンさんの情報網がまとめ上げた、グローバル社と反社会的勢力との繋がりを示唆する報告書や、新橋のビル買収計画(地上げ)の全体図が含まれていた。
――これで、完全に詰みだわ。
私は冷たい笑みを浮かべ、パソコンにUSBメモリを差し込んだ。
そして、桐島が「自分が中心になって開発した」と豪語する、あのセキュリティガバガバの『K-System』の深層データベースへと、裏口から静かに侵入した。
目的は、来週月曜日に控えた『全社導入プレゼン会議』で使われる、桐島のプレゼンテーション用フォルダだ。
私は、桐島が用意した「システムの素晴らしい効果を示すダミーデータ」を、ゲンさんから受け取った「真っ黒な裏帳簿と相関図」のデータにこっそりとすり替えた。
さらに、ある特定の時間――プレゼンの最も盛り上がる瞬間に、役員たちが手元で見ているタブレットの資料も一斉に同期更新されるよう、小さな時限プログラムを組み込んだ。
「さあ、桐島係長。あなたが大好きな『徹底的な見える化』を、全社員の前で実演してあげますからね」
私はエンターキーを静かに叩き、すべての痕跡を消去してシステムからログアウトした。
これで、爆弾のセットは完了だ。
月曜・午前10時:処刑台へのレッドカーペット
そして迎えた、月曜日の朝。
営業部のフロアは、午後から行われる全社プレゼン会議の準備で、異様な熱気に包まれていた。
「佐々木さん、今日のプレゼンは僕のキャリアの集大成だ。本社への返り咲きが決まる重要なマイルストーンになる。準備に抜かりはないね?」
桐島は、今日のために新調したであろうスリーピースのオーダースーツを身にまとい、前髪をかき上げながら私のデスクにやってきた。
その顔には、勝利を確信したエリート特有の、鼻持ちならない優越感が張り付いていた。
「はい、桐島係長。プロジェクターのテスト、役員様用のタブレットのセットアップ、すべて完璧に完了しております」
私は立ち上がり、この世で最も忠実で優秀な秘書の顔を作って微笑んだ。
「素晴らしい。やはり君は現場の人間にしては話が分かる。今回のプロジェクトが成功したら、君の評価も僕の裁量でしっかりコミットしてあげるからね」
「ありがとうございます! 桐島係長のような素晴らしいビジョンを持った方の下で働けて、私、本当に光栄です。本日のプレゼン、係長が『最も輝く舞台』になるよう、全身全霊でサポートさせていただきます」
私の言葉に、桐島は満足げに頷き、自分の個室ブースへと戻っていった。
「な、奈緒ちゃん……なんだか桐島係長、気合入りまくりだね……」
佐藤課長が、おどおどしながら私に話しかけてきた。
「ええ、課長。今日のプレゼンは、我が社の歴史に残る『伝説』になるはずですよ」
「そ、そうか! いやあ、僕も彼の直属の上司として、鼻が高いよ」
――何一つ手伝っていないくせに、便乗する気満々ね。でも安心して、後であなたにもたっぷりと飛び火するから。
私は笑顔のまま、心の中でカウントダウンを始めていた。
月曜・午後1時30分:開演のベル
大会議室には、社長をはじめとする全役員、そして各部署の部長陣がずらりと顔を揃えていた。
後方の席には、中継でプレゼンを見守る若手社員たちの姿もある。
私は、演台の少し斜め後ろ、パソコンとプロジェクターを操作するオペレーター席に座っていた。
会場の照明が少し落とされ、ピンマイクを付けた桐島が、自信に満ちた足取りで演台へと進み出た。
「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。営業部の桐島です。これより、次世代クラウド管理システム『K-System』の全社導入に向けたプレゼンテーションを開始いたします」
スクリーンに、洗練された(見掛け倒しの)タイトルロゴが映し出された。
桐島のよく通る声が、会議室に響き渡る。
「皆様ご存知の通り、我が社の現状の業務スキームは属人化しており、DX化において他社から大きくビハインドをとっています。この状況を打破するためには、既存のパラダイムを根底から破壊し、新たなエコシステムを構築する必要があります」
相変わらずのルー語の連発に、年配の役員たちは少し眉をひそめているが、桐島はお構いなしだ。
「この『K-System』は、グローバル・シナジー・ソリューションズ社という、現在最も勢いのあるIT企業と共同で開発したものです。導入により、業務効率は300%向上し、あらゆるデータが完全に『見える化』されます」
桐島が手元のクリッカーを押すたびに、スクリーンには右肩上がりの美しいグラフが次々と表示されていく。
「これまでのアナログな稟議や経費精算はすべてクラウド上で一元管理され、不正や無駄な出費を完全にシャットアウトします。まさに、透明性とコンプライアンスを極限まで高めた、究極のシステムなのです!」
桐島が両手を広げ、ドラマチックにアピールする。
会場からは、感嘆のようなどよめきと、パラパラとした拍手が起こった。
「それでは皆様、お待ちかねのデモンストレーションをご覧いただきましょう。お手元のタブレットと、前方のスクリーンにご注目ください。これが、K-Systemの真髄である『リアルタイム・ダッシュボード』です!」
桐島が、満面のドヤ顔で私の方を振り返り、小さく頷いた。
「出せ」という合図だ。
私は、口角を限界まで引き上げた完璧な笑顔で、小さく一礼を返した。
そして、キーボードのエンターキーを、ピアノの鍵盤を弾くように優雅に叩いた。
月曜・午後2時:エビデンスの可視化
ピッ、という電子音と共に、スクリーンと、全役員の手元にあるタブレットの画面が切り替わった。
そこに表示されたのは、桐島が用意していた美しいダミーデータのグラフ……ではなかった。
『グローバル・シナジー・ソリューションズ社 資金還流相関図』
真っ黒な背景に、血のような赤い矢印が複雑に交差する、巨大な組織図だった。
そしてその中央には、グローバル社から多額の資金が流れている先として、『K・コンサルティング(代表:桐島 俊)』という名前が、特大のフォントで表示されていた。
「……なんだ、これは?」
最前列に座っていた社長が、タブレットを顔に近づけながら低い声を出した。
「え?」
桐島は、背後のスクリーンを振り返り、絶句した。
彼の顔から、すべての血の気が一瞬にして引いていくのが、遠目からでも分かった。
さらに数秒後、私が仕掛けたタイマーにより、画面は自動的に次のスライドへと切り替わった。
『エビデンス資料①:バックマージン振込明細』
『エビデンス資料②:裏金による新橋地区地上げ計画書』
『エビデンス資料③:相見積もり無しの不正発注稟議書(承認者:佐藤課長)』
スクリーンには、桐島の口座に毎月数百万が振り込まれている生々しい銀行の明細書と、彼が隠していた真っ黒な契約書のPDFが、次々と大写しにされていく。
すべて、桐島が声高に叫んでいた「客観的で言い逃れのできないエビデンス」だ。
「き、桐島くん……! これは一体どういうことだね!?」
役員の一人が立ち上がり、怒号を上げた。
会場は、蜂の巣をつついたような大パニックに陥った。
「ち、違います! これは……何かの間違いで……システムのエラーか、あるいはハッキングです!」
桐島はマイクを握りしめ、ひっくり返った声で叫んだ。彼は慌てて私のオペレーター席へと駆け寄ってきた。
「佐々木さん! なんだこれは! すぐに画面を消せ! シャットダウンしろ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす桐島。
私はビクッと肩を揺らし、涙目になって怯えた顔を作った。
「き、桐島係長! ダメです! システムが完全にフリーズして、操作を受け付けません! 外部からの悪質なハッキングでしょうか!?」
私は大げさにキーボードを叩き(もちろん、復旧のコマンドなど打っていない)、マウスをカチカチと虚しくクリックしてみせた。
「嘘をつけ! お前だろ! お前が仕組んだんだろうが!!」
桐島はついに理性を失い、私のデスクをバンッと強く叩いた。
私は彼の顔を真っ直ぐに見つめ返し、マイクを通さない地声で、しかし彼にだけはっきりと聞こえる冷徹な声で囁いた。
「私が? とんでもない。私は係長のご指示通りに、エンターキーを押しただけですよ」
「お前……ッ!」
「それに、ハッキングだなんて。桐島係長が『強固なセキュリティ』で開発したシステムなんですよね? もしかして……このシステム自体が、係長の不正なお金の流れを自動的に『見える化』する、素晴らしい機能を持っていたんじゃないですか?」
桐島の目が、恐怖と絶望で見開かれた。
彼は初めて悟ったのだ。自分が「使い勝手の良い無能な事務員」だと見下していた女が、自分を社会的に殺すための完璧なアリバイを用意した上で、笑顔で首にナイフを当てていたことに。
私が犯人だという証拠はどこにもない。もしここで私を追及すれば、「自分の主導したシステムが、外部の事務員一人に簡単に乗っ取られるほどのガラクタだった」と全役員の前で認めることになる。彼は完全に「詰んで」いた。
「ああっ! 大変です! 次の資料まで自動で表示されていきますぅ!」
私は再び「パニックになった可哀想な事務員」の顔に戻り、悲痛な声を上げた。
スクリーンには、佐藤課長の承認印がデカデカと押された、不正な発注書のPDFが次々とスライドショーで流れていく。
「さあ、桐島係長」
私は、絶望のあまりその場にへたり込みそうになっている桐島に向かって、優雅に首を傾げた。
「この素晴らしい『エビデンス』について、社長たちに『アグリー』してもらえるような言い訳……プレゼンの続きをお願いいたします」




