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事務職OLの華麗なストレス解消法  作者: tky@複数作品連載中


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第37話:ピースの合致(ロジック×エビデンス)

経営企画室の奥深く、深夜の静寂に包まれた執務室。


室長の白鳥圭は、複数のモニターを前に、目にも留まらぬスピードでキーボードを叩き続けていた。


画面に次々と構築されていくのは、数式と緻密なロジックによって組み上げられた「M&Aのシミュレーションデータ」と、「資本業務提携契約書のドラフト」である。


「……よし、これでデューデリジェンス(資産査定)のダミー項目も完璧だ。過去の判例とA社の直近のIR情報をベースに組み上げている。これなら、投資銀行出身の斑目が見ても、100%『本物の極秘プロジェクト』だと錯覚するはずだ」


白鳥はエンターキーを強く叩き、深く息を吐き出した。


自身の持つ経営企画の専門知識のすべてを注ぎ込んだ、特大の「毒餌」の完成である。


『私のストックオプションを守り抜くためだ。斑目恭一……お前を必ず、金融商品取引法違反の罠にハメて市場から追放してやる』


その時、コンコン、と控えめなノックの音が鳴った。


「白鳥室長、夜分遅くに失礼いたします。……差し入れをお持ちしました」


ドアが開き、姿を現したのは佐々木奈緒だった。


彼女の手には、湯気を立てる高級なドリップコーヒーと、糖分補給のためのチョコレートが乗ったトレイが握られている。


「ああ、佐々木さん。ありがとう、助かるよ。ちょうどダミー資料が完成したところだ」


白鳥がモニターを指し示すと、奈緒は静かに歩み寄り、画面のデータに目を通した。


「……素晴らしいですね。A社による友好的TOBの買収プレミアムの算出根拠まで、これほど精緻に作り込まれているとは。これなら、どんな疑り深いハゲタカでも『公式発表前の本物の機密情報だ』と確信して、飛びつかずにはいられないでしょう」


「私に作れない経営計画はないからね。……だが、問題はここからだ」


白鳥はコーヒーを一口啜り、冷徹な目を細めた。


「この特級の機密データを、社内サーバーの最深部にある『役員専用フォルダ』に格納する。そして、そのフォルダのアクセス権限に、先月のサーバーメンテナンス時に発生した設定ミスを装った『バックドア(抜け道)』を仕掛けておいた」


白鳥が画面を切り替えると、複雑なディレクトリの奥底に、ポツンと開いたセキュリティの穴が表示された。


「特定のURLと、社内共通のパスワードの一部を組み合わせれば、一般社員のIDからでもこのダミー資料にアクセスできてしまう。……斑目の工作員なら、この抜け道を見つければ狂喜乱舞するだろう」


「ええ、完璧な『人為的ミス』の偽装ですね。わざとらしさが一切ありません」


奈緒は、心から感心したように微笑んだ。


「あとは、このバックドアへと繋がる『情報のパンくず』を、どうやって自然な形で斑目たちの足元に落とすか、だ。……佐々木さん、君が豪語していたあの『純度100%の無能たち』を使った情報漏洩のプロセスは、本当にうまくいくのかね?」


白鳥が、探るような視線を奈緒へ向ける。


高度な情報戦において、最もコントロールが難しいのが「人間の心理」だ。

ましてや、相手は海千山千の外資系ファンド。少しでも演技の匂いや、誘導の痕跡があれば、瞬時に「これは罠だ」と看破されてしまう。


だが、奈緒はマグカップを両手で包み込みながら、小首を傾げて優しく微笑んだ。


「ご心配には及びません、白鳥室長。……彼らは『演技』など一切いたしませんから」


「……何?」


「彼らは、ただ己の虚栄心、怠慢、そして承認欲求という『純粋な本能』に従って行動するだけです。私はほんの少し、彼らの目の前に『見栄を張るための道具』を置いてあげるだけ。……あとは、勝手に彼ら自身が、斑目氏の工作員たちへ最高のプレゼントを届けてくれます」


奈緒の瞳の奥で、ゾッとするほど冷たい、しかし極上の愉悦に満ちた光が揺らめいた。


『白鳥室長、あなたはロジックの怪物だけれど……「人間の愚かさ」という変数に関しては、私の方が少しだけ専門家なのよ』


「……分かった。君のその手腕、とくと拝見させてもらおう」


白鳥は、背筋に冷たいものを感じながらも、頼もしき共犯者に向けてグラスを合わせるようにコーヒーカップを掲げた。


「ええ。……さあ、会社を救うための、楽しい『情報漏洩』のお時間です」


***


翌日の午前中。


第3営業課のフロアには、いつもと変わらない平和な空気が流れていた。


私は自席のパソコンで作業をしながら、周囲の様子を静かに観察する。


『さて、ダミーデータへの誘導経路は3つ。白鳥室長が用意したバックドアの「URLの一部」「パスワードの断片」、そして「ファイルの存在自体への興味」。……これらを、3匹の無自覚なネズミたちに運ばせましょうか』


まずは、一人目。


私は、手元にあった「機密書類(社外秘)」と赤いスタンプが押された数枚のプリントを持って、後輩の美香の席へと歩み寄った。


「美香さん、今少しよろしいですか?」


「あ、はいっ! 何でしょうか佐々木さん!」


美香はビクッと背筋を伸ばし、慌ててスマートフォンの画面を隠した。

勤務中にも関わらず、相変わらずSNSのチェックに余念がないようだ。


「実は、経営企画室から極秘で預かっている重要なプロジェクトの資料があるのですが……不要になったドラフト版を、シュレッダーにかけていただきたいのです。他の人には絶対に見られないように、お願いできますか?」


私は声を潜め、いかにも「あなただけを特別に信頼して任せる」という雰囲気を醸し出した。


「えっ……! け、経営企画室の極秘資料ですか!? わ、私がそんな重要なものを……!」


美香の目が、分かりやすくキラキラと輝き始める。


「ええ。美香さんなら、いつも丁寧に作業してくださるので安心ですから。……あっ、今日のネイル、春らしいピンクでとても素敵ですね。指先が綺麗だと、重要な書類を扱う所作も美しく見えますよ」


「ほ、本当ですかぁ!? えへへ、昨日サロンで新しくしてもらったんですぅ!」


「ふふっ、それでは、この資料の処理、よろしくお願いいたしますね」


私は彼女のデスクの上に、ダミーの書類を置いた。

一番上のページには、『A社提携プロジェクト・極秘』という文字と、バックドアに繋がる『URLの一部』が、大きなフォントでハッキリと印字されている。


私は背を向け、自分の席へと戻った。


『……さあ、美香。承認欲求の塊であるあなたが、「極秘プロジェクトを任された私」と「可愛いネイル」を、SNSで自慢せずにいられるかしら?』


私が自席からこっそりと彼女の様子を窺うと。


美香は周囲をキョロキョロと見回した後、スマートフォンを取り出し、自分の手元をパシャリと撮影した。


もちろん、ピントは美しいネイルに合っているが、背景には『A社提携プロジェクト』の文字と謎のURLが、絶妙なボケ具合でバッチリと写り込んでいた。


『ふふっ。第一のパンくず、見事にドロップ完了ね』


私は心の中でガッツポーズを決め、すぐさま二人目のターゲットへと視線を移した。

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