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事務職OLの華麗なストレス解消法  作者: tky@複数作品連載中


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第32話:白鳥の裏取りと、結城への相談

佐々木奈緒が小会議室を去った後も、白鳥圭はしばらくの間、椅子から立ち上がることができなかった。


手元に残された数枚のプレゼン資料。


そこに理路整然と並べられた数字とグラフは、昨日、白鳥自身が佐藤たち3人と面談した際に抱いた「悪寒」を、寸分の狂いもなく定量化したものだった。


「……馬鹿な。彼女は、私が昨日あの3人に絶望し、『配置転換は危険だ』と結論づけたことすら、完全に読み切っていたというのか?」


白鳥は、自身の額にうっすらと浮かんだ汗を指先で拭った。


これまで数々の企業を再編し、百戦錬磨の経営陣や狡猾な労働組合と渡り合ってきた白鳥にとって、一介の事務職OLに思考の先回りされたという事実は、プライドを激しく逆撫でするものだった。


「しかも、彼女は暗に私の『ストックオプション』の行使条件――株価の維持という弱点にまで触れてきた。……ただの無害な事務員ではない。この第3営業課という奇妙な空間を、裏で実質的に支配しているのは彼女だ」


白鳥は立ち上がり、資料を手に取って経営企画室の自室へと足早に戻った。


ドアに内側からロックをかけ、デスクのメインモニターを起動する。


「だが……いかに彼女のシミュレーションが正確だからといって、『はいそうですか』と第3営業課の解体を白紙に戻すわけにはいかない。そんなことをすれば、私の社内での威信は地に落ち、再編計画そのものが頓挫する」


白鳥の指が、猛烈なスピードでキーボードを叩き始めた。


「それに、佐々木奈緒の言葉を100%鵜呑みにするのも危険だ。彼女が『自分の快適な職場環境を守るため』に、わざと3人の無能さを誇張して私を誘導している可能性も否定できない。……徹底的に裏取り(ファクトチェック)をする必要がある」


白鳥は、経営企画室長に付与された特権的な管理者アカウントを使用し、社内サーバーの深層領域――通常の社員ではアクセスできないバックアップログや、人事・経理の統合データベースへと潜り込んだ。


彼の目的は二つ。


一つは、奈緒が提示したシミュレーションの基礎データが本当に正しいかの検証。


そしてもう一つは、昨日から探し求めていた「佐藤、田中、美香の3人を、誰からも文句が出ない形で合法的に解雇(または排除)するための決定的な証拠」を見つけ出すことだった。


検索スクリプトを走らせてから、およそ1時間後。


モニターを見つめていた白鳥の目が、驚きに見開かれた。


「……なんだ、これは……!?」


画面上に次々と浮かび上がってきたのは、通常の業務フォルダからは巧妙に隠蔽され、削除されたはずのキャッシュ領域や裏テーブルにひっそりと眠っていた「3つの異常なデータ」だった。


白鳥は息を呑み、まず一つ目のファイルを開いた。


「佐藤の過去の発注ログ……? 待て、この不自然な金額の書き換えと、消去されたキャッシュの痕跡は……架空発注によるリベートの着服、あるいは重大な背任行為の揉み消しじゃないのか!?」


白鳥の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


これだ。これこそが、彼が喉から手が出るほど欲していた「佐藤を即座に懲戒解雇できる、完璧で合法的な理由」だった。


興奮を抑えながら、白鳥は二つ目のデータへと視線を移す。


「美香の勤怠ログと、新任の武田営業部長の経費精算データ……? なぜこの二つのタイムスタンプが、これほど不自然に一致している? しかも、社内チャットの履歴が一部だけ意図的に暗号化されて消去されているだと……?」


白鳥の脳内で、点と点が瞬時に結びついた。


「まさか……武田部長と美香は、社内で不倫(愛人)関係にあり、会社の経費を使って密会を重ねているのか!? だからあんな無能な社員が、これまでクビにもならず営業部に居座り続けていたというのか!」


もしこれが事実なら、コンプライアンスに厳格な現代において、美香を自主退職に追い込むためのこれ以上ない「醜聞(スキャンダル)」のカードになる。


しかし、白鳥の思考を完全にフリーズさせたのは、最後の三つ目のデータだった。


「田中……? あの、面談で自分の業務すらまともに説明できなかった男が……『経営陣直轄・極秘市場調査タスクフォース』のメインアナリストとして、特Aクラスのアクセス権限を持っているだと……!?」


白鳥は、何度も画面の文字列を見直した。


人事評価の裏データには、最高ランクの『S評価』の記録が暗号化されて付与されている。


「どういうことだ……? あの無能極まりない態度は、すべて周囲を欺くための『演技』なのか? 上層部の誰かが、彼をスリーパー(潜伏要員)として第3営業課に配置し、裏で極秘任務を行わせているというのか……!?」


解雇理由(佐藤)。


醜聞(美香)。


そして、優秀な特命人材(田中)。


白鳥は椅子の背もたれに深く身を預け、天井を仰いだ。


「……佐藤と美香は、この証拠を突きつければ即座に排除できる。そして田中が本当に優秀な特命社員なら、第1営業課へ異動させても問題はない。……つまり、この3つのデータを使えば、私の再編計画は一切のリスクを負うことなく、完璧に遂行できる!」


まさに、渡りに船。


白鳥が直面していた絶望的なジレンマを、一刀両断に解決してくれる奇跡のような発見だった。


――だが。


白鳥がマウスに手を伸ばし、それらの証拠データをダウンロードしようとした、その時だった。


ピタリ、と彼の指が止まった。


「…………待てよ」


静まり返った室内に、白鳥の低く冷たい呟きが落ちた。


彼の背筋を、氷の刃で撫でられたかのような、名状しがたい「違和感」が駆け上がったのだ。


「なぜだ……? なぜ、これほどまでに『今の私にとって都合が良すぎる情報』が、このタイミングで、同時に3つも出てくるんだ?」


白鳥は、自らの頭を冷やすように目を閉じた。


プロのコンサルタントとして培ってきた彼の嗅覚が、激しく警鐘を鳴らしている。


「佐藤の不正ログは、消去の仕方が中途半端すぎる。まるで『誰かに見つけてくれ』と言わんばかりの残り方だ。美香と武田部長のデータも、状況証拠ばかりが綺麗に揃いすぎている。そして何より、あの田中が特命社員? ……昨日の面談で見せた、あの怯えきった小動物のような目と、浅い呼吸。あれがすべて計算された演技だとは、到底思えない」


白鳥の脳裏に、先ほどまで目の前で微笑んでいた、一人の女性の顔が浮かび上がった。


『もし解体されるのであれば、何か別の……抜本的な処置を講じなければ』


佐々木奈緒。


あの完璧なシミュレーション資料を突きつけ、暗に「彼らを解雇しろ」と誘導してきた、底知れない事務職OL。


「まさか……この3つのデータは、私が裏取り調査を行うことまで予測した誰かが、システム上に意図的に仕掛けた『偽情報(トラップ)』なのか……!?」


もしこれが罠だとしたら。


自分がこの偽の証拠に飛びつき、佐藤や美香に不当な解雇通告や糾弾を行った瞬間、逆に「捏造されたデータで社員を陥れた」として、自分自身がコンプライアンス違反で破滅することになる。


「だが……もしこれが罠ではなく、本当に過去の隠蔽工作の残骸だとしたら? 警戒して手をこまねいている間に、再編のスケジュールは遅れ、私の評価に傷がつく……!」


本物か、偽物か。


自分の目を信じるべきか、それとも直感を信じるべきか。


いつもなら瞬時に最適解を導き出す白鳥のロジックが、奈緒が撒いた「ノイズ」によって激しく乱され、完全にデッドロック(行き詰まり)を起こしていた。


「……くそっ、私としたことが、一介の事務員ごときに疑心暗鬼にさせられているのか……!」


白鳥は唇を噛み締め、デスクを立ち上がった。


「……自分一人で判断するのは危険だ。特に田中の『経営陣直轄タスクフォース』のデータが本物かどうかは、経営トップに探りを入れればすぐに分かる」


白鳥はスーツのジャケットを羽織り、部屋を出た。


向かう先は、この会社の実質的な最高権力者であり、今回の組織再編を承認した張本人――結城専務の執務室だった。


***


コン、コン。


重厚なマホガニーの扉をノックし、白鳥が役員フロアの専務室へと入ると、結城専務は穏やかな表情で書類から目を上げた。


「ああ、白鳥くんか。どうしたね、そんな神妙な顔をして。第3営業課の面談は順調に進んでいるかな?」


「結城専務、お忙しいところ恐れ入ります。実は、その第3営業課の再編に関して、少し専務のご意見を伺いたい件がございまして」


白鳥は、専務のデスクの前に立ち、慎重に言葉を選びながら切り出した。


「面談を通じて、同課のメンバーの能力や過去の業務データを精査していたのですが……少しばかり、奇妙なデータに行き当たりまして。専務は、第3営業課の田中という社員や、佐藤という元課長の過去の素行について、何か特別なご報告をお受けになったことはございますか?」


白鳥は、結城専務の表情のわずかな変化も見逃すまいと、鋭い視線を向けた。


もし田中が本当に「経営陣直轄の特命社員」なら、結城専務が知らないはずがない。


しかし、結城専務は「田中? 佐藤?」と、至極真っ当に不思議そうな顔をして首を傾げた。


「いや、彼らについては『少しばかり手のかかる社員だ』という程度にしか認識していないがね。……それよりも白鳥くん、第3営業課といえば、もう一人いるだろう。佐々木奈緒くんと面談はしたかね?」


専務の口から、唐突に「佐々木奈緒」の名前が出たことに、白鳥の心臓がドクリと脈打った。


「……はい。つい先ほど、面談を終えたところです。非常に優秀な方だという印象を受けましたが」


すると結城専務は、手にしていた万年筆をゆっくりと置き、眼鏡の奥の目を細めて、低く意味深な声でこう言ったのだ。


「白鳥くん。君は我が社の未来を担う大切な人材だから、一つだけ個人的な助言をしておこう。……あの佐々木奈緒という社員には、少し『警戒』した方がいいかもしれないぞ」


「……えっ?」


白鳥は、思わず息を呑んだ。


「け、警戒、ですか……? それは一体、どういう意味でしょうか。彼女が何か、裏で不正や工作でも行っていると……?」


「いや、具体的な証拠があるわけではないんだ。ただ、以前あの部署にいた黒田くんや、先日の氷室くん、さらには堂島元取締役に至るまで……どういうわけか、第3営業課や彼女に関わろうとした人間は、皆ことごとく『不運な自滅』を遂げて会社を去っているものでね」


結城専務は、まるで恐ろしい怪談でも語るかのように、静かに微笑んだ。


「単なる偶然だとは思うがね。君が言ったその『奇妙なデータ』とやらも、あまり深く追いかけすぎると、思わぬ落とし穴に足をすくわれるかもしれない。……まあ、年寄りの戯言だと思って、聞き流してくれて構わないよ」


「…………っ」


専務室を退室した白鳥の背中は、冷たい汗でびっしょりと濡れていた。


廊下を歩きながら、彼の頭の中では、先ほどの結城専務の言葉が何度も反響していた。


『佐々木奈緒という社員には、少し警戒した方がいいかもしれないぞ』


『関わろうとした人間は、皆ことごとく不運な自滅を遂げて会社を去っている』


「……やはり、あの3つのデータは、佐々木奈緒が私を陥れるために仕掛けた『罠』なのか!?」


結城専務の助言によって、白鳥の中の警戒心は一気に頂点へと達した。


だが同時に、彼の論理的な脳が、もう一つの「さらに恐ろしい可能性」を囁き始める。


「いや、待て……。もし、佐々木奈緒と結城専務が裏で繋がっていたとしたらどうだ? 私が佐藤たちの『本当の不正データ』を見つけたことに気づき、私に手を出させないために、専務を使って『あれは罠だ』とブラフをかけている可能性は……!?」


罠だと信じて手を引けば、第3営業課の解体は失敗に終わる。


本物だと信じて踏み込めば、黒田や堂島のように「自滅」の罠に落ちて破滅するかもしれない。


「くそっ……! どっちなんだ……!? あのデータは毒なのか、それとも薬なのか……!」


いつも冷静沈着な「ロジックの怪物」は、奈緒と結城専務が織りなす二重三重の心理戦の渦に呑み込まれ、完全に判断力を失いつつあった。

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