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事務職OLの華麗なストレス解消法  作者: tky@複数作品連載中


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第31話:猛毒のシミュレーションと、3つの偽情報

火曜日の定時少し前。


周囲の社員たちが帰支度を始める中、私は自席のパソコンに向かい、画面の端に小さなコマンドウィンドウを立ち上げていた。


表向きは翌日の白鳥室長との面談に向けた「業務引き継ぎ資料の作成」だが、実際に私の指先が紡ぎ出しているのは、彼の論理的な思考を狂わせるための精巧な「迷宮」だ。


『白鳥室長は今頃、佐藤さんたち3人を合法的に解雇するための「決定的な落ち度」を探して、社内サーバーの過去ログを必死に掘り返しているはず。……だったら、彼の検索網に引っかかるように、少しだけ「隠し方が甘い秘密」を置いておいてあげましょう』


私はまず、社内システムのアーカイブ領域にある、過去の削除済みログの階層へとアクセスした。


以前に情報漏洩の濡れ衣を着せられかけた際、自衛のために構築しておいたバックドアルートを使えば、自身のアクセス痕跡を残さずにダミーデータを紛れ込ませることなど造作もない。


一つ目の罠は、元課長・佐藤に関するデータだ。


私は、佐藤が過去に担当していた取引先との発注データの一部を複製し、そこに「架空のコンサルタント料の上乗せ」や「不自然な納期変更」を匂わせる数値を書き加えた。


さらに重要なのは、そのデータをそのまま置くのではなく、「誰かが慌てて消去を試みたが、システムエラーによってキャッシュの断片だけが残ってしまった」ように偽装することだ。


『白鳥室長のような調査のプロは、綺麗に整えられたデータよりも、こうした「隠蔽工作の痕跡」にこそ強く惹きつけられるものよ。……佐藤さんが過去に重大なコンプライアンス違反を犯し、それを揉み消したかもしれないという極上のエサ。今の彼には、喉から手が出るほど欲しい解雇理由に見えるはずだわ』


続いて二つ目の罠。ターゲットは後輩の美香だ。


私は、今週着任したばかりの新しい営業部部長・武田剛の言動を思い返していた。


「おう美香ちゃん! いつも事務作業サンキューな! 今日のランチ、新しく来た部長の奢りでちょっといい寿司でも食いに行くか! ガハハ!」


そんな豪快な笑い声と共に、昭和気質の武田部長は、わかりやすく愛想の良い美香をお気に入りとして扱い、何かと構っていた。


社内チャットでも、『美香ちゃん、今日のネイルもバッチリ決まってるね! また今度、例の店で打ち上げしよう!』などと、絵文字たっぷりのメッセージを平気で送るほどには脇が甘い。


もちろん、武田部長に下心はなく、単なる「距離感のバグったおじさん」のコミュニケーションに過ぎないのだが。


『この武田部長の脇の甘さと、美香の「SNSでの匂わせ癖」を組み合わせれば、立派なスキャンダルが一丁上がりね』


私は、武田部長が過去に落とした交際費の精算データと、美香の勤怠ログのタイムスタンプをほんの少しだけズラし、二人が頻繁に「同じ日の同じ時間帯に、高級飲食店やホテル街の近くで合流している」かのように見える相関データを作成した。


さらに、二人の社内チャットの履歴ファイルに「暗号化されて削除された不自然な空白期間」のダミーログを挿入する。


『一見すると、既婚者である営業部トップと、第3営業課の若手女性社員による「泥沼の愛人関係と経費の私的流用」。……こんな爆弾を抱えた社員、配置転換なんてさせたら他部署にまで火の粉が飛ぶと、白鳥室長なら警戒するはずよ』


そして最後、三つ目の罠は、同期の田中だ。


『佐藤さんが「悪」、美香が「醜聞」なら……最後の田中さんには、全く逆の属性を与えてあげましょう』


私は、人事評価システムの裏テーブルにある、特別プロジェクトの権限管理ファイルを開いた。


そこに、田中の社員IDを「経営陣直轄・極秘市場調査タスクフォース(仮)」のメインアナリストとしてこっそり紐づける。


まるで、「表向きは第3営業課の無能なサボり魔を演じているが、実は上層部の特命を受けて裏で重要なデータを処理しているスリーパー(潜伏要員)である」かのように錯覚させる、高度な偽装データだ。


『無能なはずの3人の中に、1人だけ「実は優秀な特命社員かもしれない」というノイズを混ぜる。これで白鳥室長の完璧なロジックは、一気に複雑怪奇なパズルへと変わるわ』


すべてのデータの配置を終えた私は、コマンドウィンドウを閉じ、何食わぬ顔でパソコンの電源を落とした。


***


その日の夜、自宅のマンション。


湯上がりのハーブティーを飲みながら、私は暗号化されたスマートフォンを手に取り、結城専務へとメッセージを送った。


【奈緒】:夜分に恐れ入ります、結城専務。明日の白鳥室長との面談に向けて、一つだけ専務にお願いがございます。


数分後、すぐに結城専務から返信が届く。


【結城】:ああ、佐々木さん。お疲れ様。いよいよ明日だね。私にできることなら何でも言ってくれ。


【奈緒】:ありがとうございます。実は、社内システムにいくつか「白鳥室長が判断に迷うような情報」を仕掛けておきました。おそらく彼は、明日の私の面談の後、それらの情報の真偽を確かめるために、会社の中枢である専務の元へ探りを入れに行くはずです。


【結城】:なるほど。それで、私は彼にどう対応すればいいのかな?


【奈緒】:もし彼が相談に来ましたら、詳細は語らず、ただ意味深な表情で『佐々木奈緒という社員には、少し警戒した方がいいかもしれないぞ』とだけ、助言していただきたいのです。


画面の向こうで、結城専務が目を丸くしている様子が目に浮かぶようだった。


【結城】:……ほう? 君を庇うのではなく、逆に『君を警戒しろ』と伝えるのかね? それでは、君が仕掛けた罠だと彼にバラしてしまうようなものではないか?


私は、スマートフォンの画面を見つめながら、くすりと笑みをこぼした。


『ええ、普通ならそう思うでしょうね。でも、白鳥室長のような「自分の知性に絶対の自信を持つ人間」には、これが一番効くのよ』


【奈緒】:白鳥室長は、非常に疑り深く、論理的な方です。もし専務が私や第3営業課を不自然に庇えば、彼は『裏に何かある』と確信して調査の手を緩めてしまいます。ですが逆に、専務から『佐々木を警戒しろ』と言われれば、彼は『佐々木奈緒が自分を陥れるために偽情報を流したのか? それとも、偽情報と見せかけて実は本物なのか?』と、二重三重の疑心暗鬼に陥ることになります。


【結城】:……ふっ、ははは! なるほど、そういうことか! 疑うべき対象をあえて提示することで、彼の思考を袋小路に追い込むわけだな。……本当に、君を敵に回さなくて良かったと心から思うよ。了解した、明日は最高の演技で彼を迎えるとしよう。


専務からの頼もしい返信を確認し、私はスマートフォンをテーブルに置いた。


『さあ、これで舞台装置はすべて整ったわ。……明日の面談、たっぷり楽しませてもらいましょう』


***


翌日の水曜日、午後。


小会議室のドアをノックし、中へと足を踏み入れると、白鳥室長が昨日と変わらない穏やかで理知的な笑顔で私を出迎えた。


「お待ちしておりました、佐々木さん。昨日は急な予定変更で申し訳ありませんでした。どうぞ、おかけください」


「とんでもございません、白鳥室長。お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」


私は深々と美しいお辞儀をし、彼の向かい側の席に静かに腰を下ろした。


「さて、佐々木さん。他のメンバーの方々とは昨日お話しさせていただきましたが……率直に申し上げて、これまであなたがこの第3営業課の実務を、事実上一手に引き受けて支えてこられたことは、データを見れば明らかです」


白鳥はタブレットの画面を私に向けながら、優しく語りかけてきた。


「あなたほど優秀な事務処理能力を持つ方が、このような不採算部門に埋もれているのは会社にとっても損失です。今回の再編で第1営業課へ異動していただければ、あなたの評価と待遇は間違いなく向上しますよ。何か、異動に関してご希望やご不安はありますか?」


『……見事な懐柔策ね。私だけを持ち上げて味方に引き込み、スムーズに部署を解体しようという魂胆。普通のOLなら、ここでコロリと頷いてしまうところでしょうけれど』


私は少しだけ眉を下げ、心から会社を憂う「健気で真面目な社員」の表情を作った。


「温かいお言葉、本当にありがとうございます。私自身は、会社の決定であればどこへでも行く覚悟です。……ただ、一つだけ。この第3営業課の業務をすべて把握している身として、白鳥室長にどうしてもお伝えしておかなければならない『重大な懸念』がございます」


「ほう? 懸念、ですか」


「はい。本日、その件について私なりにまとめた資料を持参いたしました。お目通しいただけますでしょうか」


私はクリアファイルから数枚のプリントを取り出し、白鳥の前へと滑らせた。


タイトルは、『第3営業課メンバーの他部署配置転換に伴う、業務遅延および全社的リスクのシミュレーション』。


白鳥は少し意外そうに目を瞬かせた後、資料へと視線を落とした。


その瞬間、彼の穏やかだった表情が、ピタリと凍りついた。


「……これは」


「昨日、白鳥室長も面談でお気づきになったかと思いますが……当部署の佐藤さん、田中さん、美香さんの3名は、少々『独特の業務スタイル』をお持ちです。現在は私がすべてのデータを最終チェックし、彼らのミスや摩擦を水際で修正することで、なんとか他部署への悪影響を防いでおります」


私は、鈴を転がすような穏やかな声で、残酷な現実を淡々と説明していく。


「ですが、もし第3営業課が解体され、彼らが第1営業課や第2営業課へとバラバラに配置された場合……私の『フィルター』が外れることになります。こちらのグラフをご覧ください」


私は資料のチャートを指し示した。


そこには、佐藤の「日付がズレると全データが吹き飛ぶ時限爆弾マクロ」が第1営業課の基幹システムに組み込まれた場合の被害予測や、田中の「勘による数字の穴埋め」が大型案件の見積もりで引き起こすであろう損害賠償リスク、そして美香の「感情論による承認ルートの私物化」がもたらす業務停滞のタイムロスが、具体的な金額と数値によって冷徹なまでに算出されていた。


「私の試算では、彼ら3名を主力部署へ異動させた場合、わずか1ヶ月以内に営業部全体の生産性は約22%低下します。さらに、重大なインシデントの発生確率は跳ね上がり、最悪の場合、取引先からの信用失墜によって、今期の全社営業利益および『株価』に、回復不能なレベルの打撃を与える可能性が高いかと存じます」


『株価』という単語を口にした瞬間、白鳥の指先がピクリとわずかに跳ねたのを、私は見逃さなかった。


長い沈黙が、小会議室を支配する。


白鳥は、私が提示した完璧な数式とエビデンスの羅列を、食い入るように見つめていた。


やがて彼は、ゆっくりと顔を上げた。


その顔からは、いつもの「営業用の穏やかな笑み」が消え去り、冷徹な戦略家としての鋭い眼光が私を射抜いていた。


「なるほど……君の提示したシミュレーションは完璧だ。彼らをこのまま野に放てば、会社の業績はおろか、私のストックオプションまで紙切れになりかねないというわけか」


白鳥は、低く落ち着いた声で呟いた。


「見事な危機管理能力だ、佐々木奈緒さん。一介の事務職が作ったとは到底思えないほど、経営視点に立った精巧な資料だ」


「恐れ入ります。私はただ、会社のために自分にできる計算をしたまでです」


私は微笑みを崩さず、小首を傾げた。


「つまり、佐々木さん。あなたはこの資料をもって、私に『第3営業課を解体するな』と要求しているのですか?」


「まさか、私にそのような権限はございません。ただ、もし解体されるのであれば、彼ら3名を他部署の通常業務に組み込むのではなく、何か別の……それこそ、抜本的な『処置』を講じなければ、白鳥室長の描かれた美しい再編計画に泥が塗られてしまうのではないか、と心配になっただけです」


『抜本的な処置――つまり、彼らを「解雇」でもしない限り、あなたの計画は破綻しますよ、という悪魔の囁き。昨日の彼自身の思考と完全にリンクする提案に、彼の脳は今、激しく揺さぶられているはずよ』


白鳥は、じっと私の瞳の奥を覗き込んできた。


まるで、私の貼り付けた「微笑みの仮面」の裏側にある本性を、力ずくで暴き出そうとするかのように。


「……貴重なご意見、感謝します。この資料は、私が預からせていただいても?」


「ええ、もちろんです。少しでも白鳥室長のお役に立てれば幸いです」


私は立ち上がり、一礼して会議室のドアノブに手をかけた。


『さあ、白鳥室長。私のプレゼンを聞いたあなたは、次に必ずこう考えるはずよ。「佐々木奈緒の言う通り、彼らを異動させるのは危険すぎる。だが、彼女の言葉をそのまま鵜呑みにして再編を止めるのも癪だ。……やはり、自分の目で社内データを徹底的に裏取りし、彼らを排除する手段を見つけよう」とね』


「それでは、失礼いたします」


ドアを閉める直前、白鳥の鋭い視線が私の背中に突き刺さるのを感じながら、私は心の中で優雅に舌なめずりをした。

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