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事務職OLの華麗なストレス解消法  作者: tky@複数作品連載中


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第29話:合法の壁と、罠の準備

白鳥室長が静かにフロアを去った後、第3営業課はパニックの渦に呑み込まれていた。


「ど、どうしよう佐々木さん……っ! 第1営業課なんて、毎月ノルマ未達だと全体会議で吊るし上げられる部署じゃないですか……っ!」


「私、あそこのお局様たちに絶対にいじめられますぅ! 定時で帰るなんて夢のまた夢ですよぉ……!」


田中と美香が、私のデスクの両脇に取り縋るようにして涙声を上げる。


一方で、佐藤だけは腕を組み、なぜか余裕たっぷりの笑みを浮かべていた。


「ふむ、人員吸収か。つまり白鳥くんは、この僕の卓越したマネジメント能力を、より規模の大きい第1営業課や第2営業課で発揮してほしいと願っているわけだな! いやぁ、有能な男は周囲が放っておいてくれないから困るよ!」


『……ええ、あなたが他部署に行けば、3日でその部署の業務が崩壊して、文字通り「誰も放っておけない大惨事」になることだけは確実ね』


私は佐藤の幸せな勘違いを華麗にスルーしつつ、怯える田中と美香に向けて、落ち着き払った笑顔を向けた。


「お二人とも、まずは深呼吸してください。解体が決まったとはいえ、実行されるのは来月末です。まずは白鳥室長との個別面談に向けて、普段通りの業務をこなすことが先決ですよ」


「うぅ……でも、佐々木さんは怖くないんですか……?」


「そうですね。私も、せっかく皆さんが築き上げたこの素晴らしいチームワークがバラバラになるのは、会社にとって大きな損失だと思っています」


『ええ、私の「定時退社」と「快適なサボり環境」を維持するための防波堤たちが撤去されるなんて、私にとって最大の損失よ。絶対に阻止しなければ』


私は二人を宥めて自席に戻らせると、自分のパソコンのモニターに向き直った。


画面の隅で、社内ポータルサイトの奥深くにある「IR情報(投資家向け広報)」および「役員・幹部社員の報酬規定」のPDFファイルを静かに開く。


『さて。敵を知り、己を知れば百戦危うからず、ね。白鳥圭という男が、一体何を原動力にして動いているのか……まずはそこを丸裸にしてあげましょう』


私はマウスを操作し、膨大な文字データの中から「白鳥 圭」に関する記録を洗い出していった。


彼が外資系のコンサルティングファームから我が社にヘッドハンティングされてきたのは、約1年前。


これまでにも社内のいくつかの不採算プロジェクトを統廃合し、見事にコスト構造を改善させてきた実績がある。


そして、私の視線は、昨年の株主総会決議通知書のある項目でピタリと止まった。


『……新株予約権(ストックオプション)の付与に関する件。付与対象者の中に、経営企画室長・白鳥圭の名前があるわね』


そこに記載されていた付与数は、一介の室長クラスとしては破格の規模だった。


ただし、その権利を行使して莫大な利益を手にするためには、厳格な「行使条件」が設定されていた。


『向こう2年間のうちに、全社の営業利益率を一定水準まで引き上げ、かつ株価を現在の1.5倍以上に到達させること……。なるほど、これね』


私は、カップの紅茶を一口啜りながら、頭の中でパズルのピースを組み立てた。


堂島元取締役や氷室麗華のような連中は、会社の金を横領したり、身内のペーパーカンパニーに利益を還流させたりといった「違法・不正行為」によって私腹を肥やそうとした。


だからこそ、その不正の証拠(エビデンス)を突きつけるだけで、簡単に社会的抹殺が可能だったのだ。


しかし、白鳥は違う。


『彼の目的は、会社を不正に食い物にすることじゃない。むしろ逆ね。会社から無駄な贅肉(不採算部門)を徹底的に削ぎ落とし、クリーンで高収益な企業へと「合法的に磨き上げる」こと。そうして株価を爆発的に吊り上げ、自身のストックオプションを数億円規模のキャッシュに変えることよ』


どこまでも合理的で、資本主義のルールに則った「正しい欲望」だ。


株主から見れば、彼は間違いなく救世主であり、会社にとっても有益な存在と言えるだろう。


『厄介ね。自分の利益と「会社の正当な利益」が完全に一致している人間は、これまでの小悪党みたいに「コンプライアンス違反」の罠だけでは足をすくえないわ』


***


昼休み。


私はオフィスビルの非常階段の踊り場で、私物のスマートフォンを取り出した。


暗号化されたチャットアプリを開き、赤提灯の頼れる味方――ゲンさんとマキさんにメッセージを打ち込む。


【奈緒】:お疲れ様です。ゲンさんが先日仰っていた経営企画室長の「白鳥圭」ですが、とうとう私の部署の解体に乗り出してきました。


すぐにマキさんからスタンプと共に返信が来る。


【マキ】:あらら、本当に来ちゃったのね! で、どうするの? またいつものみたいに、裏の不正でも暴いてやる?


【奈緒】:それが、彼の目的はストックオプションの行使による正当な利益獲得のようなのです。ですが念のため、彼が過去の組織再編や今回の計画の裏で、何か「法的なルール違反」や「不当な裏工作」を使っていないか、調べていただくことは可能でしょうか?


【ゲン】:了解だ、奈緒ちゃん。あいつが本当に「綺麗事とロジック」だけで動いてるのか、それとも裏で汚い手を使ってるのか、俺のツテで徹底的に掘ってみよう。明日には結果を出せるはずだ。


【奈緒】:ありがとうございます。よろしくお願いいたします。


画面を閉じようとしたその時、別のシークレットチャットから着信通知が光った。


送信者は、この会社の次期社長候補である「結城専務」だった。


私は周囲に誰もいないことを再度確認し、メッセージを開いた。


【結城】:佐々木さん、昼休みにすまないね。先ほど紗耶から報告を受けたよ。経営企画室の白鳥くんが、第3営業課の解体に動き出したそうだね。


結城専務の娘である紗耶室長を通じて、すでに私の部署の動向が耳に入っているらしい。


【結城】:君にはこれまで、黒田や堂島、そして先日の氷室の件で、会社の膿を出すために多大なる貢献をしてもらった。君が現在の第3営業課の環境を気に入っていることは理解している。……どうだろう、もし君の平穏を乱すようであれば、私の専務としての権限で直接介入し、彼の再編案をストップさせようか?


『……ありがたい申し出ね。結城専務が鶴の一声を上げれば、白鳥室長といえども、表面上は計画を引っ込めざるを得ないでしょう』


しかし、私はすぐに首を横に振った。


『ダメよ。それは一番やってはいけない「悪手」だわ』


白鳥という男は、感情や社内政治ではなく、徹底した「数字とロジック」で生きている。


もしここで、赤字垂れ流しの第3営業課の解体を、専務が「合理的な理由もなく」トップダウンの権限だけで強引に握り潰したらどうなるか。


『白鳥室長は必ず違和感を抱くわ。「なぜ、結城専務はあんな無能ばかりの不採算部署を、不自然なほどに守ろうとするのか?」とね。そうなれば、彼の鋭い観察眼は、第3営業課の中心にいる「私」と「結城専務」の繋がりに向けられることになる』


私はあくまで「どこにでもいる、少し仕事ができるだけの無害な事務職OL」でなければならない。


影の処刑人としての存在や、専務とのホットラインを、白鳥のようなキレ者に勘繰られるわけにはいかないのだ。


私はスマートフォンの画面に向かい、丁寧な文章を打ち込んだ。


【奈緒】:温かいお心遣い、本当にありがとうございます、結城専務。ですが、専務のお力をお借りするのは「最後の手段」にさせてください。


【結城】:ほう? 自分で対処できるというのかね? 白鳥くんは、これまでの連中とは違ってかなり手強いぞ。


【奈緒】:ええ、重々承知しております。ですが、ここで専務が直接介入されれば、社内での専務の立場に不要な憶測を呼びかねません。まずは現場レベルで、白鳥室長ご本人に『第3営業課を解体しない方が、会社にとって合理的である』と心から納得していただくための準備を進めてみます。


しばらくの沈黙の後、結城専務から返信が届いた。


【結城】:……ふふっ、なるほど。君がそこまで言うのなら、私は黙って見守ることにしよう。何か協力が必要な時は、いつでも言ってくれ。期待しているよ、佐々木さん。


スマートフォンの画面をオフにし、私は静かに息を吐いた。


『合法の壁に守られた、ロジックの怪物。……正面からぶつかっても勝ち目はないわ。まずは彼が、この部署の「無能たち」を見てどう動くか、じっくり観察させてもらいましょうか』


私の瞳の奥に、冷たくも愉悦に満ちた光が宿った。

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