第24話:敗者たちの独白と見えざる処刑人
カタカタカタカタ……ッ! ターン!!
都内の外れにある、薄暗く埃っぽいネットカフェの個室。
影山は血走った目でモニターを睨みつけながら、自らのデジタルタトゥーや、過去に堂島と連絡を取り合っていた裏アカウントの痕跡を、猛烈な勢いで消去し続けていた。
「クソッ……。なんだってこんな目に……っ!」
完璧な経歴を偽造し、堂島取締役の「見えない手」として会社に潜り込んだはずだった。
標的は、ただの事務職OLである佐々木奈緒。彼女に情報漏洩の濡れ衣を着せて追い出すなど、赤子の手をひねるようなものだと本気で思っていたのだ。
しかし、結果はどうだ。
彼女は自分の罠にハマるどころか、すでに手回しを終え、逆にこちらを「情報漏洩の現行犯」として完璧なエビデンスで包囲していた。
警察に突き出される恐怖から、影山はすべてを投げ出して逃亡するしかなかった。トカゲの尻尾切りに遭う前に、自ら尻尾を切ってドブ川に飛び込んだのだ。
「……ん?」
作業の合間に、ふと開いた業界の匿名掲示板。
そこにあった一つの書き込みを見て、影山はマウスを握る手をピタリと止めた。
『〇〇商社の堂島取締役、巨額詐欺案件に引っかかって懲戒解雇ってマジ?』
『マジ。しかも自分のダミー会社使って中抜きしようとした特別背任のおまけ付き。今朝の役員会議で吊るし上げられたらしいぞ』
「……は?」
影山は息を呑んだ。
堂島取締役。それは、自分をあの部署に送り込んだ張本人であり、会社を牛耳る絶対的な権力者の一人だったはずだ。
『堂島取締役が……クビ? あの狸親父が、詐欺に引っかかっただと?』
影山は震える指で画面を見つめながら、ある「共通点」に思い至った。
自分は、あの「佐々木奈緒」を罠に嵌めようとして、逆にすべてを見透かされたように破滅させられ、逃亡する羽目になった。
自分より前にあの部署の課長だった黒田も、彼女を愛人にしようとしてセクハラとパワハラで懲戒解雇された。
彼女に仕事を押し付けていた田中と美香は、致命的なミスを連発して減給され、今や彼女の奴隷のように働いている。
そして今回、彼女の部署を物理的に解散させようとした堂島取締役が、突如として不可解な詐欺案件に引っかかって破滅した。
『偶然なわけがない……っ!』
影山は背筋にゾクゾクと這い上がるような悪寒を感じ、狭い個室の中でガチガチと歯の根を鳴らした。
彼女がどうやって自分のPCのMACアドレスを監視していたのか。
どうやって堂島に自ら詐欺案件の承認ボタンを押させたのか。
具体的な手口は、何一つ分からない。彼女が手を下したという物理的な証拠など、どこにも残っていないのだから。
しかし、結果だけが異常なほど偏っている。
「佐々木奈緒に敵対した人間は、例外なく社会的に抹殺される」という結果だけが。
『あの女は……バケモノだ。ただの事務職OLなんかじゃない。笑顔の裏で他人の人生を狂わせる、見えざる処刑人だ……!』
影山は、自分に向けられていた奈緒の「お気遣い、嬉しいです」という完璧な作り笑いを思い出し、絶望と恐怖に顔を歪めて頭を抱えた。
***
同時刻。
都内の高級マンションの一室は、すべての照明が落とされ、重苦しい闇に包まれていた。
「……なぜだ。なぜ、私がこんな目に……」
昨日まで取締役として権勢を振るっていた堂島剛は、ボサボサの髪を掻き毟りながら、安物のウイスキーをグラスに注いでいた。
テーブルの上には、人事部から突きつけられた「懲戒解雇通知書」が無造作に放り出されている。
『結城の奴め……私をハメたな。だが、どうやって?』
堂島は血走った目で、虚空を睨みつけた。
あのYプロジェクトという詐欺案件。それは、自分がX社を使ってビルの地上げ資金を調達しようとしていた「今、この瞬間の状況」に、あまりにも完璧に合致しすぎていた。
まるで、自分の焦燥感や強欲、そして裏の計画まで、すべてを把握した上で、目の前にぶら下げられた「オーダーメイドの毒林檎」のように。
『結城に、そこまで私の内情が読めるはずがない。……では、誰が?』
堂島の脳裏に、ある日の光景がフラッシュバックした。
結城専務の部屋に仕掛けた盗聴器。 そこから聞こえてきた、結城と紗耶室長の「Yプロジェクト」に関する密談。 その数日前、あの部屋にはもう一人、定例報告という名目で呼び出されていた女がいた。
『佐々木、奈緒……!』
堂島はハッと息を呑んだ。
自分が統廃合で潰そうとした部署にいる、ただの事務員の女。
黒田が破滅した時も、あの女が現場にいた。
自分の手駒として送り込んだ影山が、何もできずに逃亡する羽目になったのも、あの女の周辺だ。
『……そうだ。エレベーターホールですれ違った時。あの女は私に深くお辞儀をした。だが……』
堂島は恐怖でウイスキーのグラスを震わせた。
あの時、彼女が頭を下げたのは、権力者に対する服従のポーズではなかった。
『あれは……自分のテリトリーを荒らす獲物が、見事に罠の方へ歩いていくのを嘲笑う……死神の笑みだったのか……!』
どうやって結城を動かし、あの部屋で芝居を打たせたのか。
どうやってあんな精巧な詐欺案件のダミーを用意したのか。
本当に彼女が糸を引いていたのかどうかすら、堂島には証明する術がない。すべては彼の憶測に過ぎない。
だが、堂島の長年培ってきた「権力闘争の嗅覚」が、絶対的な確信を持って彼に告げていた。
自分をこのどん底へ突き落としたのは、結城ではない。あの、完璧な営業スマイルを貼り付けた、名もなき事務員の女なのだと。
「ヒッ……!」
堂島は無意識のうちに後ずさりし、背中を壁にぶつけた。
もし、自分が懲戒解雇という結果を受け入れず、彼女に対して復讐を企てようものなら。
次こそは、社会的抹殺どころでは済まない。物理的な命すら奪われかねないという、理屈を超えた本能的な恐怖が彼を支配していた。
『触れてはいけなかったんだ……。あの女には、絶対に……』
暗闇に包まれた部屋の中。
地位も、名誉も、財産もすべて失った初老の男は、ただ見えない処刑人の影に怯え、独りすすり泣くことしかできなかった。




