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事務職OLの華麗なストレス解消法  作者: tky@複数作品連載中


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第22話:沈黙の密談と毒林檎の罠

週明けの月曜日。

本社ビル最上階、重厚なマホガニーの扉の奥にある専務室。


「失礼いたします。各部署からの定例報告書をお持ちいたしました」


奈緒は完璧な角度でお辞儀をし、澄んだ声でそう告げて部屋に入った。

ふかふかのソファには結城(ゆうき)康臣専務が座り、その隣には娘である結城紗耶(さや)室長が立っている。


「ああ、佐々木さん。ご苦労だったね。さあ、そこにかけてくれ」


結城専務は柔和な笑みを浮かべ、奈緒にソファを勧めた。


奈緒はふんわりと微笑みながらソファに腰を下ろすと、本題に入る前に、持参した書類の下から「二台のタブレット端末」を取り出した。

そして、一台を二人の前にそっと滑らせ、もう一台の画面に大きく打ち込んだ文字を見せた。


『※緊急・機密※ この部屋に盗聴器は仕掛けられていますか? 紙に書くとペンの摩擦音で筆談を疑われるため、声では適当な世間話を続けつつ、こちらの端末のチャット画面でご回答ください』


結城専務と紗耶室長の目の色が、スッと変わった。

しかし、二人とも役員層の修羅場をくぐり抜けてきた人間だ。表情には出さず、結城専務がすぐに「隠れ蓑」となる会話を始めた。


「……今日は定例報告で来てもらったが、本当は、堂島の委員会が君の部署の統廃合を決めたと聞いてね。黒田の一件以来、君がまた理不尽な目に遭っていないか気になっていたんだ。大丈夫かい?」


専務が声を出している間、紗耶室長が音の出ないフリック入力で素早くタブレットに返答を打ち込む。


『(紗耶・タブレット)ご明察ね。一ヶ月前、業者が観葉植物を交換に入った直後に発見したわ。あえて泳がせて、偽情報を流すのに利用しているところよ』


奈緒は小さく頷き、いかにも真面目なOLらしい、少し困ったような声を出しながら、手元のタブレットで文字を返す。


「お気遣いいただき、本当にありがとうございます。……ですが、定例報告という建前で呼んでいただいた以上、一応ご報告だけでもやっておかなければ……」


『(奈緒・タブレット)好都合です。では、これを利用して彼を完全に油断させましょう。これより、盗聴器に向けて「私の部署の統廃合を気遣う、個人的な慰労」のお芝居を続けます。会話を合わせつつ、画面をお読みください』


「ははは! いやいや、そんな事は気にせず、今日はゆっくりしていってくれ。それより統廃合の件だけど、私の権限で止めることは難しそうだが、希望する部署があれば言ってくれ」


結城専務が、警戒心など微塵もないといった様子で笑い飛ばす。


***


同時刻。

本社ビル別フロアにある、堂島取締役の執務室。


堂島は自身のデスクで、PCに接続されたイヤホンを深く耳に押し込み、脂汗を滲ませていた。


『なぜ結城が、わざわざあの事務員の女を直接部屋に呼び出した……? まさか、私が進めている「あのビルの地上げ」に気づかれたか……!?』


堂島は焦燥感に駆られながら、専務室に仕掛けた盗聴器からのリアルタイムの音声に全神経を集中させていた。 堂島にとって、「X社」を業務効率化コンサルとして社内にねじ込んだことは、専務派閥にバレても何ら問題ない。だが、そのX社と我が社が「共同出資」という形で新橋のビルを地上げしようとしているスキームだけは、本決まりになるまで隠し通したかった。


『地上げは「上」からの至上命題だ。万全を期すために、結城の息がかかっている可能性がある佐々木という事務員を排除すべく影山を潜り込ませたが、奴はヘマをして逃亡する羽目になった。……まあいい、私に繋がる証拠は残していない。少し強引だが、部署の統廃合によって結城派閥の横槍を誘発し、職権濫用だと騒ぐ事で、奴らの目を逸らす策を打った。だが、もしここで地上げの計画を嗅ぎつけられ、頓挫でもすれば……』


自分の保身と野心のため、情報収集には異常なほど執着する堂島。

しかし、スピーカーから聞こえてきたのは、なんとも気の抜けた会話だった。


『……ですが、定例報告という建前で呼んでいただいた以上、一応ご報告だけでもやっておかなければ……』

『ははは! いやいや、そんな事は気にせず、今日はゆっくりしていってくれ。それより統廃合の件だけど、私の権限で止めることは難しそうだが、希望する部署があれば言ってくれ』


その会話を聞いた瞬間、堂島の肩からスッと力が抜けた。


「……なんだ。ただの依怙贔屓か。黒田の件で恩があるからと、わざわざ定例報告という建前を使ってまで、一介の事務員を慰労しているだけとはな」


堂島は鼻でせせら笑い、イヤホンを外しはしないものの、すっかり緊張を解いて背もたれに寄りかかった。


「結城のタヌキ親父め。自分の部屋でそんな個人的な気遣いを見せるとは、完全に気が緩みきっている証拠だ。……ふん、私の警戒が馬鹿馬鹿しい。どうやらX社との共同出資の件は、まだ奴らに漏れていないようだな」


堂島は、自分が「結城の小さな嘘(建前)」を暴いたことで優位に立ったと錯覚し、警戒心を緩めてしまった。 自分に向けられた、本物の「凶器」が今まさに研ぎ澄まされているとも知らずに。


***


再び、専務室。

スピーカーに向けたのんびりとした音声とは裏腹に、二台のタブレットのチャット画面上では、冷徹な「沈黙の密談」がハイスピードで交わされていた。


「そうだ、君の部署で新しく導入したシステムはどうだい? 使い勝手は」


結城専務が穏やかな声で世間話を続ける。


「はい。まだ少し慣れない部分もありますが、概ね順調に稼働しております。……ただ、少し入力項目が多すぎるきらいがありまして」


奈緒もそれに合わせて朗らかに答えながら、マキとゲンが作成した『X社による地上げの図解』の送信と、X社単独では予算不足である事と、 影山の暗躍や部署の統廃合など、堂島が勢力的に動いている点を考慮すると、今回の地上げはX社と我が社の共同出資を狙っている可能性が高い事を伝えた。


紗耶室長が画面を食い入るように見つめ、険しい顔でチャットを打ち込む。


『(紗耶・タブレット)堂島がX社をコンサルとしてねじ込んだ事は把握していたけれど、裏の目的は「新橋のビルの地上げ」だったのね。……だが、書類上X社に堂島の名前が出ていないから、堂島を追い詰める証拠にはならないわ』


「それは良かった。新しい環境で無理をしていないか、紗耶、あとで人事からもフォローを入れてやってくれ」

「ええ、そうですね。お声がけしておきます」


声のトーンはどこまでも和やかだ。

しかし、奈緒の指先は冷酷な罠の全貌を紡ぎ出していた。


『(奈緒・タブレット)おっしゃる通りです。ですから、彼自身の手で言い逃れの不可能な大罪を犯していただくための「罠」をご用意しました』


奈緒は画面を、ゲンさんが用意した「海外ダミー企業との事業提携(実態はポンジ・スキーム)」の企画書に切り替えた。

結城専務がその「罠」の概要を読み、微かに眉をひそめながらチャットを打つ。


「……ところで佐々木さん、お茶のおかわりはいかがかな?」 『(専務・タブレット)一見すると魅力的だが、実態は違法なねずみ講だ。堂島は、こんな怪しい案件に自らサインなどしないだろう』


「ありがとうございます、いただきます。とても美味しいお茶ですね」

『(奈緒・タブレット)普通に提案したのでは疑われます。ですから、彼がすでに「この部屋には警戒心がない」と思い込んでいるこの盗聴器越しに、『結城専務が極秘で進めており、来週の月曜の役員会議で独占しようとしている超優良案件』だと吹き込むのです』


結城専務と紗耶室長が、ハッとして顔を見合わせた。


『(奈緒・タブレット)地上げに固執している堂島は、必ずこの「Yプロジェクト」の裏取りに動きます。そして自分で調べた結果、「この案件が来週承認されれば、自らの地上げ予算を持って行かれる」という焦燥感に駆られ、「自身の権限」を使ってでも週末の間に手柄を横取りし、地上げの予算を確保しようとするはずです』


完璧なエビデンスを残させるための、極上の毒林檎。

その冷酷で緻密なシナリオと、タブレットを使った無音の意思疎通という完璧な手回しに、専務と室長は思わずゴクリと息を飲んだ。


「気に入ってくれて良かった。私のお気に入りのお茶なんだ。……佐々木さんの部署の件は、私が責任を持って見守るから安心してくれ。今日は本当に、顔を見られて良かったよ」


結城専務があえて声を張って、ダミーの会話を締めくくる。


奈緒はタブレットに最後の一文を打ち込んだ。

『それでは、数日後……木曜日の午後に。この部屋で少しばかりの「お芝居」をお願いできますでしょうか?』


専務と室長は、静かに、しかし力強く頷いた。


***


木曜日の午後3時。

堂島は執務室で、再び専務室の盗聴音声に耳を傾けていた。


月曜の「ただの事務員との慰労会」を聞いて以来、結城専務に対する警戒心はすっかり薄れていた。

今日もどうせ下らない派閥の愚痴でも話しているのだろうと、書類に目を落しながら漫然と聞いていると――。


『……専務。例の「Yプロジェクト」の最終合意、いよいよですね』


スピーカーから、紗耶室長の押し殺したような、しかし興奮を隠しきれない声が聞こえてきた。

堂島はピクリと眉を動かし、イヤホンを深く耳に押し込んだ。


『ああ。年間数十億の利益が確定する、我が社にとっての歴史的案件だ。専務である私と、先方企業のトップだけで極秘裏に進めてきた甲斐があったな』


『ええ。次期社長の座も、この案件の成功で専務に決まりですね』


『うむ。……来週月曜の朝一番の役員会議で、電撃的に承認を取る手筈でよろしいな?』


『はい。堂島派閥に横槍を入れられる前に、すべてを終わらせてしまいましょう』


音声はそこで途切れた。


「……クソッ! 結城のタヌキ親父め、裏でそんな巨額案件を隠し持っていたとは……!」


堂島はギリッと歯を食いしばった。 来週月曜の役員会議で結城専務がその「Yプロジェクト」を承認させてしまえば、社長の座は結城のものとなり、自分は社内での影響力を失うかもしれない。


それが事実なら、なんとしても阻止しなければならない。


堂島はすぐさま、自身の情報源として動かしている部下を内線で呼び出した。


「……結城専務が極秘に進めている『Yプロジェクト』という海外案件がある。今すぐ裏を取れ。先方の企業の実態、利益率、契約のスキーム、すべてだ! 週末を跨ぐ前に、必ず確証を掴め!」


***


翌日の金曜日。

堂島が焦燥感に胃を痛めながら待っていた夕方、ようやく部下が分厚いファイルを持って部屋に飛び込んできた。


「ど、堂島取締役! 調べがつきました! ……これは、とんでもない案件です!」


部下が差し出した資料を、堂島は引ったくるようにして目を通した。


マキが徹夜で作った完璧なダミー法人の登記と、ゲンが裏社会のネットワークを使って用意した偽の運用実績データ。一朝一夕の調査でボロが出るような代物ではない。

ましてや、「自分が盗聴で出し抜いてやった」という優越感に浸っている堂島の目には、それが莫大な利益を生む本物のダイヤモンドにしか見えなかったのだ。


「……先方の企業は実在します。独自の金融スキームを用いており、すでに海外の富裕層向けに莫大なリターンを出している実績があります。しかし取締役、調査の結果、一つ致命的な問題が判明しました……!」


部下の報告に、堂島は顔を上げた。


「この独占契約を結ぶための初期投資額が……50億円となっています」


「なんだと……!?」


堂島は血相を変え、資料の数字を食い入るように見つめた。

今期、自社が自由に動かせる特別投資枠の予算は、きっちり50億円だ。


「結城専務が月曜の会議でこれを承認させてしまえば……特別予算は底を尽きます! 我々が進めている、X社との共同出資による『新橋のビルの地上げ』の予算枠が、完全に消滅してしまうんです!」


部下の悲痛な叫びに、堂島は愕然とした。

「上」からの至上命題である地上げ計画。それが予算不足で頓挫すれば、自分は無能の烙印を押されて切り捨てられる。


「……結城の独断専行を許すわけにはいかん。月曜の会議で奴が提案する前に、私がこの案件をまとめ上げ、手柄を奪い取るしかない!」


「しかし取締役! 今から我々が正規のルートでこの提携の稟議を通そうとしても、絶対に間に合いません!」


部下の正論に、堂島はチッと舌打ちをした。

しかし、資料の「仲介スキーム」の項目を見た瞬間、堂島の脳裏にある「裏技」が閃いた。


「……いや。本契約と送金は、月曜の会議で私が結城より先に公表し、正式に予算申請して承認させればいい。問題は、今の段階で『私がこの案件をまとめ上げた』という絶対的な既成事実を作ることだ」


堂島はニヤリと、邪悪な笑みを浮かべた。


「本契約の前に、先方と『仮契約』を結ぶのだ。しかも、地上げの資金まで同時に捻出できる方法でな。……すでに我が社の社内審査をパスしている『既存の取引先』を、仲介として噛ませて仮契約を締結させる。そう、地上げのために用意した『X社』をな」


それは、役員権限の明白な悪用だった。


「Yプロジェクトの巨額取引を、X社を公式な仲介者としてまとめ上げれば、本契約時にX社には莫大な『仲介手数料』が約束される。月曜の会議で私がこの仮契約を提示して手柄を奪い、予算申請を通せば、X社単独でビルを買い取る資金が手に入る!」


堂島の目は、すでに「地上げの成功」と「次期社長の座」という幻影に完全に魅入られていた。


「X社を仲介者としてシステム上にねじ込み、私の役員IDで『Yプロジェクト仮契約および仲介委託』の特例承認を下す。これで月曜の会議は私の独壇場だ……!」


***


同時刻。

本社ビル最上階、専務室。


結城専務のデスクに置かれた役員用端末に、一つの重大な決裁通知がアラート音とともに表示された。


承認者ID:【D_TSUYOSHI】(堂島 剛)

処理内容:【X社を仲介としたYプロジェクトへの仮契約締結および仲介手数料の特例承認】


画面を見つめていた結城専務と、傍らに立つ紗耶室長が、静かに顔を見合わせた。


「……かかったな。佐々木さんの読み通りだ」


結城専務が短く呟くと、紗耶室長は手元のスマートフォンを取り出し、暗号化されたチャットアプリで短いメッセージを送信した。


***


別フロアのオフィス。

自席でデスクワークをこなしていた奈緒のスマートフォンが、ブルッと微かに震えた。


画面に表示された紗耶室長からの『チェックメイト』という一言を見て、奈緒の唇の端がゆっくりと吊り上がる。


『焦燥感と強欲、そして「自分は相手の弱みを握っている」という愚かな優越感。……それらに目を奪われ、あなたは自らの意思で、自身の役員IDを使って違法なねずみ講との危険な「仮契約」を強行してしまった』


奈緒はスマートフォンを伏せ、再び完璧な営業スマイルでキーボードに向かった。


『さあ、堂島取締役。……週明けの役員会議が、あなたの公開処刑の舞台よ』


奈緒のモニターの光が、その美しい顔に冷たく、そして残酷な影を落としていた。

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