EP 8
サバイバル・ガストロノミー
月陽市の西部に広がる、深い森林地帯。
都市の喧騒から完全に切り離されたその大自然の中に、100円ライターで火をつけられた『ゴールデンバット』の安っぽい煙が漂っていた。
「……やっぱり、油臭い工場より山の空気の方が性に合ってるぜ」
赤城鷹人は、ボロボロのハイエースのボンネットに腰掛け、紫煙を細く吐き出した。
彼の手には、夕日町の地下工場からくすねてきた廃材のワイヤーと、先端を鋭利に削り出した鉄パイプの銛が握られている。
物流が止まり、金があっても飯が買えない。エリート指揮官の信長や、天才軍医の優太にとって、それは「システムのエラー(詰み)」を意味した。
だが、工業高校卒で世界中のスラムや紛争地帯を這いずり回ってきた赤城にとって、そんなものは日常茶飯事だ。
「金で食い物が買えねぇなら、その辺で狩ればいい。それが人間の基本だろうが」
ガサァッ……!!
茂みの奥から、重低音の鼻息と枝をへし折る音が響いた。
現れたのは、体重100キロは優に超えるであろう巨大な野生のイノシシだ。真っ黒な剛毛と、鋭く反り返った牙が、赤城を明確な「敵」として捉えている。
赤城は咥え煙草のまま、ゆっくりと立ち上がった。
「よぉ。腹空かせてるダチが100人待ってんだ。悪いが、テメェの命、俺たちの血肉になってもらうぜ」
ブヒィィィンッ!!
怒り狂ったイノシシが、弾丸のような速度で突進してくる。まともに食らえば骨が砕け散る威力だ。
だが、赤城は一歩も退かない。
衝突のコンマ1秒前、彼は柔道仕込みの圧倒的な体幹で半身を切り、突進の軌道をギリギリで躱した。同時に、地下格闘技(MMA)で培った凶悪な蹴りをイノシシの前足の関節に正確に叩き込む。
体勢を崩し、巨体が前のめりに倒れ込んだ瞬間——。
赤城は両手で構えた鉄パイプの銛を、脳天から延髄にかけて一撃で突き立てた。
「……オソマツ。これで今日の晩飯は確保だ」
月陽市の廃ビル(陸自陣営)。
「……もうダメだ。腹減りすぎて、天井がヴィクトルの弁当に見えてきた……」
「水飲んで誤魔化せ……いや、浄水フィルターの残量もヤバいんだった……」
精強を誇るレンジャー隊員たちが、コンクリートの床に転がり、完全に干からびていた。
そこへ、外からけたたましいブレーキ音が響く。
「おい、野郎ども! いつまで寝てやがる!」
赤城がバンッとドアを蹴り開け、血抜きを済ませた巨大なイノシシの巨体を、ブルーシートの上にドサリと放り投げた。さらにその脇には、山で採ってきた野生の行者ニンニクや野草が山のように積まれている。
「なっ……! イ、イノシシ!?」
信長が跳ね起きた。
「金で買えないなら、自然から直接仕入れてきた。さあ、捌くぞ。……優太! ナイフ貸せ!」
赤城の言葉に、床で死んだふりをしていた優太が、スッと立ち上がった。その手には、ロシア商人から購入したばかりの『タクティカル・折りたたみナイフ』が鈍く光っている。
「赤城曹長。解体は俺に任せてください。メスより少し大味ですが、骨や筋の構造は人間の執刀で熟知しています。肉の繊維を一切潰さずに切り分けましょう」
優太の目は、完全にマッド・サイエンティストのそれだった。
彼は鮮やかな手つきでナイフを滑らせ、瞬く間にイノシシを美しい精肉のブロックへと変えていく。外科医の技術が、こんな泥臭いサバイバルで発揮されるとは誰も思わなかっただろう。
「よし! なら俺は火を起こすぜ!」
赤城は、ヴィクトルから買った鉄クズの中から、分厚い鉄板を引っ張り出した。
廃材の木と少しのガソリンを使って、ビルの吹き抜けで豪快な焚き火を熾し、その上に鉄板を乗せる。
ジュウウウウウッ……!!!
熱された鉄板に、分厚く切られたイノシシの肉が放り込まれる。
脂肪が焦げる暴力的な音と、野生のニンニクが焼ける強烈な香りが、廃ビルいっぱいに広がった。優太の医療キットに入っていた岩塩(生理食塩水用)を少しばかり振りかければ、極上のサバイバル・ガストロノミーの完成だ。
「さあ食え! アメ公が物流を止めようが、俺たちには関係ねぇ!」
信長が、焼きたての肉塊を手掴みで口に放り込む。
「……熱ッ! ッ!! ……うっ、美味ぁぁぁぁい!!」
ファミレス監修の弁当にはない、野生の荒々しい旨味がガツンと脳天を突き抜ける。
噛み締めるたびに、溢れ出す生命力。
レンジャー隊員たちも次々と肉に群がり、貪るように喰らいついた。
「最高だ! 身体の奥から力が湧いてきやがる!」
「やっぱり日本の自衛隊は、山に引きこもってナンボだぜ!!」
さっきまでの絶望が嘘のように、100人の兵士たちの士気が爆発的に跳ね上がる。
信長は口の周りを脂だらけにしながら、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「ヨシマサの算盤野郎……経済封鎖で俺たちが降参するとでも思ったか? 舐めやがって。俺たちは『最前線』で泥水すすって生きるレンジャーだ。金とシステムで殺せるほど、柔にできちゃいねぇんだよ!」
同時刻。高級ホテルのスイートルーム(SEALs陣営)。
「……おかしい」
タブレット端末で、陸自拠点のサーモグラフィー(熱源感知)映像を見ていたヨシマサが、不機嫌そうに呟いた。
「なんだ、ヨシマサ。まだ降伏の通信は来ないのか?」
ソファーで銃の手入れをしていたエリアスが、ブラックコーヒーを啜りながら問う。
「ああ。弁当の配達は完全に止めている。あのビルの連中は、極限の飢餓状態で熱源反応が低下していくはずだ。……だが、見ろ。なんだこの真っ赤な反応は」
モニターに映る陸自の拠点は、異常な熱気に包まれていた。
中心にある巨大な焚き火の熱。そして、その周囲をうごめく100人の兵士たちの体温が、昨日よりも明らかに上昇し、活気に満ち溢れているのだ。
エリアスがスコープを覗き込み、数キロ先の廃ビルの様子を確認する。
「……信じられん。あいつら、ビルの中で『バーベキュー』をやってるぞ。しかも、あれは……野生のイノシシか?」
「は……? イノシシだと?」
ヨシマサは持っていたタブレットを危うく落としかけた。
高度な市場操作。完璧な物流ストライキ。億単位の金が動く経済包囲網。
そんなエリート商社マンの完璧な方程式が、たった一人の「工業高校卒のサバイバル野郎」の物理的な狩猟によって、いとも容易くぶち破られたのだ。
ガリッッ!!
ヨシマサが、苛立ち紛れに口の中の飴玉を噛み砕く。
「原始人どもめ……。資本主義のルールを、腕力で捻じ曲げやがった」
「どうする? 俺が数人、頭を撃ち抜いてやろうか」
エリアスが『McMillan TAC-338』のボルトを引きながら冷たく言う。
「いや……まだだ。だが、これでわかった。あいつらは兵糧攻めでは死なない」
ヨシマサは新しいラッキーストライクに火をつけた。
「明日は第1回の『週次交渉』だ。料亭のテーブルの上で、奴らの首に合法的な鎖を巻きつけてやる」




