第47話「鋳型の正体」
分体の指先が封蝋の縁に喰い込み、逆記の震えを流し込んだ。
乾いた膠が軋み、音もなく裂ける。
箱の継ぎ目がわずかに開き、光が滲み出した。
結界が悲鳴をあげ、室内の空気が震える。
「……開いたか」
本体ノイルが息を潜める。
蓋が軋みを上げて持ち上がる。
その中に収められていたのは――王紋の鋳型。
しかし、それはただの鋳型ではなかった。
縁には二重の刻印が走り、片面には王家の紋章、もう片面には削り取られた空白が広がっていた。
「……裏鋳型」
ザランディーンが眉をひそめる。
「存在しない名を、“存在した”ことにできる禁忌の道具だ」
「それは使ってはならぬものだ」
隊長の声が低く響く。
無表情のままの眼に、だが一瞬だけ動揺の影が走った。
「存在を消すよりも、存在を増やすほうが恐ろしい。偽りが真実を侵す……その結果がどれほどの惨禍を呼ぶか、貴様らにはわかるまい」
彼らが守っているもの――それは“抹消”だけではない。
“改竄”の権能そのもの。
「渡せ」
隊長が一歩踏み出す。剣閃が鋭く走る。
ノイルは分体を前に出し、泥膜で受けた。
だが刃は泥を断ち、核すれすれを掠める。
「くっ……!」
本体と分体が同時に動く。
背からもう一つの顔を開き、兵たちを怯ませる。
その隙をついてガロスが剣を走らせ、二人を斬り伏せた。
「守れ、箱を!」
兵の輪がさらに狭まる。
だが隊長の刃は一切揺らがない。泥を裂き、影を踏み、正確にノイルを追う。
そのとき、分体の指が鋳型に触れた。
瞬間、記憶の奔流がノイルへ流れ込む。
――王城の回廊。民衆に手を振る青年。
――「レオン殿下万歳!」の声の海。
――王の玉座。冷たい眼差し。
――「危うい。あの子は、王にはなれぬ」
映像は途切れ、鋳型の中に沈む。
(……レオンは、民に支持されすぎたから――だから、消された)
拳が震える。
「……なら、これで“消された者”を取り戻せる!」
ノイルが叫ぶ。
「黙れ!」
隊長の剣が真横に薙がれる。
ガロスが一歩前へ出て、その刃を受け止めた。
金属が火花を散らし、老騎士の腕が軋む。
「走れ! 今は持ち出すのだ!」
ザランディーンの声が響く。
巻物の上に指を走らせながら、結界の弱点を指差す。
「封印はもう壊れた! 退けるのは今だけだ!」
ノイルは鋳型を抱え、分体を分離させる。
背後ではガロスと隊長が刃を交え、火花が飛び散る。
白鴉の兵たちが追いすがる。
「その鋳型を持ち出した者は、生きては帰れん」
隊長の声が、冷気に乗って響いた。
ノイルは振り返らずに走った。
その胸に、確かな重み――“存在を取り戻す鍵”を抱いて。




