第48話「退路なき退路」
泥を振り払い、ノイルは裏鋳型を抱えた。
分体を前へ走らせ、濡れた石壁を這わせながら道を探る。
「急げ!」
ザランディーンが巻物を広げ、結界の残滓を弄る。光の揺らぎが生じ、迫り来る兵たちの視界を歪ませた。
ガロスは殿を務め、重い剣を振り下ろしては兵を薙ぎ倒す。老いた体はきしんでいたが、その一撃はなお重い。
しかし、白鴉隊長だけは一歩も引かない。冷たい眼差しで、確実に彼らの背を追っていた。
「退路を閉ざせ。逃げ道を持たせるな」
隊長の低い声が通路を震わせる。
白鴉たちが動き、三方の通路が閉じられていく。
左右から迫る兵、背後からは隊長。
狭い通路は、たちまち圧迫の檻と化した。
分体は湿気を吸い、糸を張る。
通路の先に潜む兵の呼吸を拾い、僅かに警告を走らせる。
(……潰されてもいい。時間を稼げれば、それで)
影に溶け、兵の踵に触れた瞬間、震えを送り込み膝を折らせた。
だがすぐに、槍の柄が振り下ろされ、分体は壁際に叩きつけられる。
「まだだ、持ちこたえろ!」
ザランディーンが巻物を裂き、そこに刻まれた座標を乱す。
通路が揺らぎ、兵の目には錯覚の分岐が映った。
「……通路が消えた!?」
「違う、こっちだ――」
兵の列が乱れる。
ザランディーンの額には汗が滲んでいた。
「長くは持たん……早く抜けろ!」
「殿は、年寄りの役目だ!」
ガロスが吼えた。
背後に踏み込んだ白鴉兵を、剣で一息に斬り払う。
血飛沫が老騎士の肩を濡らす。
疲労は明らかだった。だがその足取りは揺らがない。
その姿に、ノイルの胸に熱が走る。
(……俺が必ず、この戦いを無駄にしない)
轟音。結界の残骸が破られた。
白鴉隊長が現れ、冷たい光を帯びた刃を携えて歩む。
「存在を改竄する鋳型を持つなど、許されぬ」
その刃は泥をも壁をも断ち切り、後退戦は一気に窮地へと変わった。
「止める!」
分体が身を投げ出し、隊長の刃を受けた。
核が砕ける瞬間、本体の胸に焼けつくような痛みが走る。
「……無駄にはしない」
ノイルは歯を食いしばり、残る力で仲間を引き、狭い通路を抜け出した。
しかし――。
出口は瓦礫に塞がれていた。
崩れた石が道を覆い、外気の風すら届かない。
退路は、完全に絶たれていた。




