第43話「影と鋳型」
鉄枷の食い込む感触は、分体にとって苦痛ではなかった。だが――それを外せばすぐにでも抜け出せるのに、敢えて逃げず歩き続けることが、重い鎖よりも苛烈な圧力となっていた。
(俺は、ここで見届けねばならない。本体に触れるそのときまで――)
白鴉の間の奥。壁に並ぶ紋章が光を吸い、薄闇を濃くする。
白外套をまとった隊長が低く告げた。
「囮の鋳型を“影の庫”に運べ。奴らが狙うなら、まずはそこだ」
数人の白鴉が台座から黒布に覆われた箱を持ち上げ、静かに運び去る。残された空気がわずかに揺れ、分体の内部に波紋を刻む。
(……本物は別にある)
鎖を引かれ、分体は別室へ連行された。
そこは窓もなく、四方を幾重もの封蝋と鎖で固められた小部屋。空気は乾いているのに、壁の一角からだけ冷たい湿気が漂ってくる。
分体はその“湿り”に指先を伸ばし、感覚の網を広げた。
――木箱。四隅に金具。内部に、金属の鋳型。
(間違いない……あれが“本物”だ)
だが隊長の声が、感覚を断ち切った。
「お前のような者を、なぜ我らが生かす? 答えろ。“何”だ」
視線が突き刺さる。分体は答えない。答えたところで意味はない。
ただ、焦燥だけが胸を焼いた。
(この情報を、本体に渡せない……)
同時刻。王都・北区の工房跡。
本体のノイルは、古びた机に広げられた地図を見下ろしていた。
ザランディーンが指先でなぞる。
「古い地下水路さ。王族の避難経路だったが、今は塞がれている。だが、泥なら通れる隙間はある」
ガロスは剣の刃を光にかざし、低く言う。
「城にいるのは白鴉だ。王の命で動く影の兵。並の敵ではない」
ノイルは視線を地図に落としたまま、静かに言葉を返した。
「分体は囮になる。こちらは本物を奪う」
口調は冷静だった。しかし心の底には、強い焦りが渦巻いていた。
(どれほど観測しても……分体からの情報は届かない。次に触れるまで、奴は独りだ)
蝋燭の炎が揺れ、壁に長い影が伸びる。ノイルは立ち上がった。
「行くぞ。時間はない」
白鴉の間・封緘室。
分体は鎖に繋がれたまま、冷たい木箱を見据えていた。
その存在を“感じる”ことはできる。だが触れなければ、本体に渡す術はない。
(耐えろ。触れる時まで――消えるな)
隊長が剣を抜き、目を細める。
「このまま処理するか……それとも、吐かせるか」
その言葉が空気を重くする。分体は黙したまま、わずかに首を上げた。
視界の端で、鋳型の“輪郭”が確かに輝いている。
一方その頃、本体のノイルは地下水路の石壁に手をついた。
古い石組みの隙間を、泥の感覚がすり抜けていく。
遠いどこかから、わずかな震えが伝わった。
(……分体の“残響”だ)
それは痛みか、焦りか。
どちらにせよ、長くは持たない。
「間に合わなければ、分体は消える」
呟きは石壁に吸い込まれ、冷たい雫の音だけが応えた。




