第16話「記録の交錯、欺きの幕間」
王都の夜、蝙蝠通りの地下室にて。
仄暗いランプの明かりの下、ノイルは分身体から受け取った記憶を繰り返しなぞっていた。
その名――ロドリクセイン。
記録局の最深部にて、かつて“機密記録補正官”として政の中枢に関わっていた男。
「札は“保留”じゃない。“保管”だ。誰かが、彼の記録を敢えて残している……」
ノイルのつぶやきに、対面の老爺が目を細める。
ザランディーン――情報屋であり、蝙蝠通りの“記録の商人”。
「記録が生きている限り、消えた者は、まだ終わっていないとも言える」
「あなたは……ロドリクセインのことを、どこまで知っている?」
ザランディーンは一度だけ唇を噛み、言葉を選んだ。
「かつて一度、交渉の席を持ったことがある。だが、その記録も、記憶も――消された」
「記憶ごと?」
「否。私は記憶している。ただ、それを誰に証明することもできない。それが“記録の抹消”というものだ」
ノイルは静かに目を伏せた。
分身体が確認した札棚には、微かな魔痕があった。
それは、札が他者の手によって最近触れられた証。
「……まだ、誰かが記録に干渉している」
ザランディーンは頷きつつも、じっとノイルを見つめる。
「君は時折、“記録以上の何か”を見ているようだな」
ノイルは微かに身じろぎした。
「……それは、どういう意味です?」
「言葉通りの意味だ。私は“記録の商人”だ。人の言葉より先に、痕跡を見る癖があってね。詮索するつもりはない。ただ――記録だけでは辿りつけぬ真実に、君はすでに触れているのだろう?」
ノイルは応えず、ただ視線を落とした。
(……血によって記憶を読む力。けれど、それは誰にも明かしていない)
ザランディーンはそれ以上追及しなかった。だが、その目には既に確信の光があった。
「私が語れるのはここまでだ。あとは、君の“記録”が導いてくれるだろう」
ノイルは短く頷き、再び分身体の記録に目を移す。
そこには、前回と微かに異なる“札の内容”があった。
(……文言が違う? 誰かが、札を“更新”している)
札に刻まれていた日付が、ほんの数日前に書き換えられていた。
(仮面の男か、それとも別の誰かが――)
ノイルは、札操作の実験を行う決意を固める。
抹消札のひとつに“逆記”を用いて、わずかに文面を操作。
生死の記述を曖昧にすることで、“消された人物”を再び探知できるかの検証。
ただし、その痕跡が見つかれば、自身が逆記を使った証拠にもなりうる。
(それでも……進まなければ、見えないものがある)
深夜、封鎖区画に再び現れる仮面の男。
彼は札には触れず、ただ棚の前に佇む。
そして、低く呟いた。
「……時が満ちるには、まだ早い」
分身体は気配を抑えて潜む。
(こちらに気づいているのか……? いや、敢えて無視している?)
男が去った後も、棚の前には濃密な“記録の圧”が残されていた。
数刻後、ノイルは分身体と融合し、記録を統合する。
「記録を操る者が、すべてを決める。ロドリクセインは、抹消されてなどいない。眠っているだけだ」
記録の奥で動く意思。
その向こうに、何があるのか。
ノイルは静かに目を閉じ、思考を深めた。
――第17話へ続く。




