第17話「偽記の使徒」
蝙蝠通りの地下室。
ノイルは札操作の“逆記”実験を終えた直後、その手応えを噛みしめていた。
(確かに……抹消されたはずの気配が、一瞬だけ浮かんだ)
その記録の主の名は、レナス。
数年前、記録局の補佐官として働いていた女性であり、“ロドリクセインに会った最後の職員”と記録に残されていた人物。
だがその記録もまた、札の改竄により曖昧に塗りつぶされている。
(生死不明。抹消処理の可能性あり――)
ノイルは記録の余韻に集中し、位置的な手がかりを逆算してゆく。
見えたのは、王都外縁部の旧市街。かつて“香水工房街”と呼ばれた、今では寂れた貧民街の一角。
分身体を派遣し、慎重に探索を進める。
やがて、古い市場跡に近い裏路地の長屋に、記録上存在しない女の姿を見つけた。
中年女性。名を“リェーナ”と偽り、表向きは薬草の調合師として身を隠している。
(……反応が早い。目線、動き、どれも訓練されている。記録官の素養が残ってる)
分身体が接触する。
だが女は硬く口を閉ざす。
「間違いだよ。私はそんな人間じゃない。誰にも会っていない」
ノイルはわずかな隙を突いて、彼女の肌に触れる。
ごく微細な針――蚊から学んだ“血液取得用の器官”が、微量の血を採取する。
そして、記憶の断片が流れ込む。
――記録局・第六階層。
――男の声。「君の見た札は、“彼”に関するものだ。忘れるんだ、レナス」
――札が、燃えるように崩れ落ちる。
(やはり、リェーナ=レナス本人。……記録の消去を受け、逃げ延びた)
ノイルは言葉を選ぶ。
「“ロドリクセイン”とは……あれは誰だったのか」
レナスはしばらく黙っていた。
だが目を伏せ、かすれた声で呟いた。
「……誰でもない。あれは“役職”よ」
ノイルの中で、何かが弾けた。
「……どういう意味?」
「ロドリクセインというのはね、名前じゃない。称号なの。記録局の最奥……“補正官”という立場の暗号名。記録を修正し、必要とあらば“創る”者のことを、そう呼ぶの」
(役職……? つまり、複数人が継承してきた可能性が……)
レナスは続けた。
「私は、かつて“その者”に札を運んだわ。仮面をつけていた。男か女かも分からなかった。ただ、“あれ”は……普通じゃない。記録の内容を、言葉でなく“意志”で上書きしていた」
ノイルはそれを聞いて静かに頷く。
記録を操作し、歴史そのものを創る者。
それが、ロドリクセイン。
それは人ではなく、“偽記の使徒”。
歴史の裏で、真実を塗り替える者。
(……個人を追っていただけでは、全体は見えない。敵は、“存在そのもの”だ)
その時、蝙蝠通りの地下で待機していた本体に、ザランディーンからの札が届いた。
――新たな記録札、出現。
――名義:ロドリクセイン
――状態:“再任予定”
ノイルは静かに札を伏せた。
「動き始めた、か……」
次なる舞台へと、ノイルの視線が闇を裂いた。
――第18話へ続く。




