占有④ 決着
・・・二週間後。
「遅いなあ・・・」
昼下がりのN津駅前ロータリーは近づいてきた夏の終わりにを感じさせるように陽光もどこかくすんで、あたりの風景が色を取り戻して見えた。
アユムは携帯を取り出しては時間を見るという行為をさっきから繰り返している。
「・・・もう十五分過ぎているじゃん・・・一時半って言っていたのに・・・」
アユムはいらだちを隠さず携帯を鞄にしまうと、素早くあたりを見渡した。
あたりには行き交う人の流れとロータリーの隅に停車しているタクシーしかいない。
ともあれ、さっきからなにげに緊張しているのもあってか、体が熱い。まわりに残っている残暑の熱気とあいまって、汗が噴き出してくる。
早く打つ心音とともにアユムの手はハンカチをつかむとせわしなく顔を往復した・・・。
・・・。
・・・・・・。
『候補者達』の選抜は、あの選考の後すぐに商業会館のなかの喫茶店でセラと打ち合わせた。
夕方という時間帯もあって、すっかり客のひけた喫茶店は大きなガラス窓から射す西日が影を落とし、外では低くヒグラシが唱和している。
「えっ『有名なダンジョニスタ(洞窟探索家の意)』・・・あのおっさんが?」
目の前で履歴書をはさんで受けるセラの解説は衝撃の事実をはらんでいて、アユムはつい飲んでいるアイスコーヒーを噴き出しそうになった。
「そうですよ」
「そんな・・・」
ただの枯れた中年にしか見えなかった『イソメ』が、実は名のあるダンジョン関係者だとセラから聞いてアユムは大変ビックリした。
(あんな枯れ枝のようなおっさんが・・・)
アユムとしては、およそ生命力を感じさせないイソメより、雄そのものというべき精力に満ちあふれていたミズノの方を買っていたのだが、意外なことに彼に対してのセラの評価は一転して低く、冷たかった。
「失礼ですが・・・自分すら未だ探している人間が、ダンジョンで何を見つけ出せるというのですか・・・」
「自分・・・探し?」
「そう。ああいう人はどこまでいっても自分の為にしか働けない人なのではないのでしょうか・・・」
セラはそう言うと、くるくるとストローでアイスコーヒーを掻いた。
等間隔に縦筋の入ったグラスのなかで、角を溶かした氷ができた隙間に落ちて高い音を鳴らした。
「それに一見華やかに見える学歴や経歴も、実はダンジョンにおいては邪魔になることがあるのですよ・・・むしろ、それがあるが故に惑い、誤った選択をして命を落とすなどと言うことはよくある話でしてね・・・」
セラの話によると、近年のダンジョン潜行における死者数の増加は、実は高齢者の参加が増えたからだそうだ。
直感に従えば助かる状況も過去の経験や学歴などを持ち出し、結果、あやまった決断をしてしまう。
とくに既に価値観という城を築いてしまった中高年にその傾向が顕著だそうだ。
「そういう事から推測いたしますと、実はダンジョン潜行においては若ければ若いほど有利なのかもしれませんね・・・」
セラはそう言うとウラジロとヤマノエの履歴書をアユムの前に出した。
「ともあれ、『あと一人』枠がありますが誰になさいますか・・・」
「あと一人選ぶ・・・?」
老人と女子高生・・・または素人と玄人。
どちらかを選べといわれれば、アユムとしてはウラジロ・ミズハを選ぶ。
これは体力やダンジョン経験のことを考えた上で、かわいいとか、女子高生とか一切の下心はない。・・・ハズ、たぶん。
「あの・・・ウラジロさん・・・」
「ヤッパリ、女子高生デスヨネー」
アユムの選択をはじめから見抜いていたように、セラは茶化す為かカタコトの声をあげた。
「えっ!いやいや、ぼくはそんな女子高生だからとかそんなッフッガフガ」
「いえいえ、よい御判断だと思いますよ(笑)」
そういうとセラは歪んだ口許を隠さずに腰を浮かし、てきぱきと目の前の資料を鞄に詰め始めた。
「えっあ、違うーっ!」
ともあれ、アユムのダンジョンにまつわる『納務』の二人はこうして決まった。
「さてと、・・・私は用があるので先に行きますね」
鞄を閉じたセラはそういうと支払いをつかんで立ちあがった。
「えっあ・・ハイ」
アユムは話に夢中で、すっかり薄くなったアイスコーヒを慌ててすすった。
「あ、いいですよ、そのままで・・・では申請が降りて、決行の日にちが決まりましたらまたご連絡いたしますね・・・」
セラはそういうとアユムを残して、足早に熱波でふやけた夕方の街に出て行った。
・・・。
『決行日がきまりましたよ』
「えっ」
セラからの連絡があったのはそれから一週間後、昼間の暑さにどうしようもなくトランクス一丁の半裸姿となって、アユムが扇風機を抱き抱えるようにしてこの殺人的な暑さをどうにかやり過ごしているときだった。
『アユム様、大変おまたせ致しました・・・当局への申請が終わりましたので、明後日を決行日といたします』
そして、続く『以前購入しましたダンジョン道具を是非用意してくださいませ』の一言をうけて、アユムは電話を切ると同時に、押入にしまい込んでいたダンジョン用具を掻き出した。
「靴と・・・ジャケットと・・・えーっとあとは・・・」
アユムの前で押入の暗闇に押しつぶされていた道具たちは呼吸をするようにゆっくりと元の形を開きはじめた。
道具達はあの時最後につかった時のままで、ジャケットにはミミックの血が未だ赤紫色の斑点となって散っている。
血はアユムが家に戻ってから何度も洗濯機にかけたのだが、結局落ちなかった。
漂白してもいいかとセラに聞いてみると、『呪術的なものも落ちてしまうかもしれないのでやめておいたほうが良いでしょう』と止められた。
ともあれ今服に染み着いた赤く散ったスポットを見ると、どこか体の芯が冷え、血が逆巻き、あの時の恐怖と興奮がわき上がってくる。
(また潜るんだ・・・)
道具を整理しながら、いつのまにかアユムはダンジョン独特のあの冷気、しめった土のにおいを思い出していた。
作業をしながらも、アユムはいつのまにか自分の口元に笑みが這っていることに気づいていなかった。
・・・。
・・・。
「!」
そのとき、不意に近くで刺すようなクラクションの音が破裂してびっくりしたアユムは、慌てて音の指す方向を見た。
みるとロータリーの端に白いワゴン車がいつのまにか止まっていた。
ワゴン車はよく運送や建築業に使われるただ積載量を追求した大型のもので、遠くから見ると箱に車輪をつけただけのように見える。
なんだ、迷惑な車だなとそのままアユムが見ていると運転席から見知った顔が出てきて、こちらに声を掛けてきた。
「アユムさん、遅れてすみません、のってください。」
セラだった
周囲の目から潜るようにしてアユムが車へ慌てて駆け寄ると助手席にはイソメがすわっていて、スライドドアをあけた後部座席にはウラジロが薄闇のなかで息を殺して鎮座していた。
ウラジロはアユムを見るとビクっと壁に後ずさりして、スペースを空けた。
アユムはぎこちなさをかんじながらもクッションもなにもない素朴なベンチシートに座った。
セラはそれをルームミラーで見ていたのかアユムが座ったのを確認すると、出しますと一言いい、車はディーゼル特有の低い排気音を立てて動き出した。
「アユム様、お待たせして申し訳ありませんでしたね、ちょっと二人を迎えに行って遅れまして・・・」
運転をしながら、これからの予定を説明しますというとセラはまず謝ることから始めた。
セラの説明によると、一人一人駅に迎えにいっていて遅れたということだった。
特にウラジロが人混みの多さに戸惑って、セラとの落ち合う場所を間違えてしまったのが一番大きかったらしい。
そう言われてみれば、以前の面接のときと同じで、感情の波をあまり感じさせないウラジロの横顔がどこか青ざめているように見える。
「・・・で、これからの予定なのですが・・・」
・・・セラの調査によると『先方(イゾウ達)』は未だ態度を硬化させたままで、結局交渉に応じようとしないらしい。
アユムの脳裏に先日の、全身に剣のように鋭い敵意を逆立てた老人の顔が浮かんだ。
「まあ本日、最後の説得を行いますが、十中八九『強制排除』に至ると思われるます・・・」
「きょっ『強制排除』って・・・」
「ご安心下さい、強制排除と言いましても対応するのは『納務』の者たちです。アユムさまはただ立ち会いというだけでなにも心配する必要はございません」
「そっそうなんですか・・・」
アユムはちらっとウラジロとイソメを盗み見た、ウラジロの横顔は相変わらず陰気で青ざめていて、イソメに至ってはその糸目のせいで何を考えているのかバックミラー越しにはわからない。
ただどこか張り詰めた車内の空気が、これから向かう修羅場を物語っているように思えた。
・・・。
セラの運転する車は以前と同じように洞窟に近い農地に止められて、アユム達は洞窟まで少し歩く事になった。
五分ほど歩いて田んぼを抜けるとうっそうとした雑木林が始まり、やがて以前とかわりなく木陰にまぎれて粗末な木で補強された暗闇の端が口を開けている。
ただ以前と違って、今回は葉陰にまぎれてスーツを着た男が一人、傍らに立っていた。
『イゾウ』の関係者だろうか、とアユムは一瞬戦慄を走らせ、身構えたものの、よく見るとどこかで見覚えのある顔だった。
「よう」
「あなたは・・・サキシマさん!」
手慣れた動作でサキシマは咥えていたたばこを地面に落とすと、足で踏み消した。
服装はアイロンのよく効いたダークグレイのスーツで、ヒゲも剃っていつになく小綺麗にしている。
おかげで近づいて見るまでアユムはスーツの男が誰なのか判らなかった
「どうして・・・」
「協会から立会人で派遣されたんや」
「立会人・・・?」
サキシマによると地下協会の認めた正式な『強制排除』とはいえ、全くの私闘を業界上許すわけにはいかず、『私的救済』の際には監視人として最低限協会から立会人が派遣されるのだそうだ。
サキシマはその立会人としてここに派遣されたとのことだった。
「まあハイパーダンジョンクリエイターとして当然の仕事やな」
「・・・ご自分が監視されるの間違いじゃないんですか・・・」
「おいおい」
セラは仏頂面で明らかに不機嫌を隠そうとしていない。
「・・・」
イソメ、ウラジロに至ってはこの奇妙な闖入者にすこし動揺をしているのか、すこし距離をあけてアユム達の後ろにまわり、サキシマを伺っている。
「まあそんなことよりいこうや・・・先方さんら、中でお待ちやで」
そういうとサキシマはやっと見れるようになった顔をわざと崩すように、汚い笑みを浮かべた。
・・・。
「ほな、いこか」
誘われるようにサキシマに先導されアユム達は洞内へ潜った。
無人の造酒室を抜け、地下三階の旧軍の倉庫だったと言われる広い部屋に着くとそこでイゾウとケンジが待ち構えていた。
「・・・白・・・!」
特筆すべきはイゾウの、その姿だった。真っ白い浴衣のようなものを纏っている。
「まさかの・・・ホワイトクロス(白装束)!」
「ホワイトクロスじゃありませんよこのバカ!」
セラが苦々しくふざけるサキシマをこ突き、言い放つ。
「・・・この様子では・・・もはや交渉の余地はなさそうですね」
「・・・問答無用」
イゾウはそう言い放つと胡座から立ち上がり、薄闇の中手に持っていた棒状の物をすらりと鞘走らせた。
コトンと白木の鞘が地面に落ちると同時にダンジョンの白熱灯に照らされた『包丁』が銀色の肌を見せた。
「・・・つなきりまる(綱切丸)・・・」
微かな声でそうつぶやくとイゾウはもはや『刀』と呼ぶべき『包丁』を正眼に構えた。
「ひええ・・・」
「なるほど!『TUNA切丸』、マグロと掛けてるんやな!」
絶句しているアユムをよそに、座布団一枚!などとサキシマはまた戯けたことをほざいている。
「しッ!・・・イソメさんお願い致します」
そのサキシマに蹴りを入れるとセラは控えていたイソメを呼んだ。
「こちらはイソメ氏です。例にならってアユム氏の『納務』として立ち会っていただきます」
一瞥するとイゾウはうなずく。
「承知した・・で、イソメとやら、お前さんの獲物は」
「私はこれで・・・」
イソメはスーツの懐から手のひら大の白い物体を取り出すと右手ににぎった。
白い物体は象牙でできているのだろうか表面は艶が走っている。奇妙なことに、にぎって指の背になった部分にオカリナのような規則的な穴が並んでいる。
「・・・撃ちます・・・片羽!」
と言うやいなやイソメは左手に隠し持っていた煙幕を放り投げた。
二本の『発マナ筒』は乾いた音をたててフロアに転がる。
たちまち淡く自光する青い煙柱がのびあがった。
「ム!」
「卑怯だぞ!」
後ろからケンジが突くような非難の声をあげる。
「あー、はじめ!」
ケンジの怒号に被せる様ににサキシマがどこから声をだしたのか大きな声で洞中を震わせて、イソメとイゾウの戦いは幕を開けた。
・・・
戦いは異様な光景からはじまった。
青い煙があたりを完全に覆ったときに、まず始まったのは武具や拳のぶつかり合う音でもなく文字通り『音楽』だった。
「?」
舞い上がる青い煙とともに流れてくる不思議な音にアユムは気づいた。
はじめ風の音に聞こえた微かな音はいつのまにか音程をもって流れはじめた。それどころか今や明らかにメロディを奏でている。
どこか砂漠の民族音楽のようなものがアユムの耳に聞こえる。
「なんだこれは・・・?」
音はイソメの手元から聞こえてくる。
濃度を増すマナの煙のむこうにアユムが目をこらすと、細い影のようなイソメが左手で右手元をさわり、何かを操作していた。
いや、『演奏』していると言ったほうが良いのかも知れない。
さらに奇妙なことに、イソメの右手の「オカリナ」のようなものはいつのまにか形を変えて「銃」の形を取っていた。
イソメの細い指が砲身上にあいた穴の上を踊ると、マナの風が砲身を通り音が鳴るのだ。
(なんだあれは・・・?)
アユムは呆然とするイゾウ同様に目の前で距離をあけながら演奏するイソメに放心していた。
「間違いないわね」
「ああ・・・」
その様子を見てセラとサキシマが口をきった。
「うっはー・・・『手銃琴』か・・・『故宮博物館』でレプリカを見て以来やで・・・よう空港で止められんかったな。『キト条約』違反やろ」
「まあ舟でも使ったのかもしれませんね」
「となるとそのへんのツテで仕事しとったんやろなあ・・・」
サキシマは『T湾』の『故宮博物館』で見た『手銃琴』を思い出していた。
レプリカと書かれ、それ故に『重要文化財』止まりであるとされる『手銃琴』は思ったよりも小さかった。
手のひら大の白い石の様な物体に不揃いの穴が穿たれた様はオカリナのようで、材質は、レプリカは『象牙』であるものの、本物は『竜の骨』とも伝承されている。
いずれにせよ表面には未だ解読不能な細かい文字がびっしりと職人の超絶技巧によって写し掘られていた。
今でこそかつての皇帝が西征の際に写させたともいわれているが、当初は美術館のものが『饕餮のオカリナ』として『本物』とされていた。
それがレプリカであったと判明したのは、不幸にも『風穴ベース事件』だった。
・・・『富士の風穴』に『世界ダンジョン革命』を行うための『ベース』を作ろうと潜行した『イソメ』を除く『全地連』の学生達。
『理想』と『希望』に充ちていたはずの彼ら、若人達を待っていたのは『総括』の名のもとにお互いを殺し合うという悲惨な『運命』だった。
後にとある冒険者によって明らかになった『風穴最深層』での出来事は世間を恐怖のどん底に突き落とした。
これによって『地下解放運動』が下火になったといっても過言ではないだろう。
しかし彼らの『遺留品』が地下関係者を驚かせたのは意外と知られていない。
その主たるものが彼らが『莫高窟』攻略によって持ち去った『地下埋設物』群である。
『竜涙石の仮面』、『隕鉄饕餮文様剣』など『国宝級』のものがあり、当時内乱をしていた『C国』の状況を鑑みてもこれはまずいだろうということで、すべて国を通して『C国』に変換されることになった。
そのなかに資料だけ存在し、実物がなかったのが『手銃琴』である。
『全地連』のナンバー2とよばれていた『水地みさえ』は全身を八つ裂きにされて死んでいたが、血だまりに置かれていた彼女の私物であるザックから彼女の『日記』が出てきたのだ。
『几帳面』だったと彼女を知る物が口をそろえて言う彼女の日記には『世界平和』を願う彼女の真摯な気持ちや、道を分かった同士への仄かな恋心、そして発掘した『地下埋設物』とそれに対する『考察』があった。
『手銃琴』と書かれたページには詳細な絵とともに『莫高窟最深階にて取得、墓守か、これらを守る『蚩尤』と命名した『牛面巨魁の魔神』と交戦する。犠牲者なし。『マナ』によって銃身に変形する。』と書かれていた。
しかし『S岡県警地下警察部隊』が検死の際に何処を探してもその『手銃琴』らしきものを発見することはできなかった。
よって全国のダンジョン関係者の間では『幻のアイテム』として垂涎の品になっていたのだ。
その『手銃琴』が今、目の前にある。
・・・。
「おじき!」
ケンジが悲鳴に似た声をあげると同時に、洞内にダンプ・トラックのエアブレーキの様な音がほとばしった
それは圧縮された『マナ』の弾丸がイゾウを襲う音だった。
「ぬう!」
身を逸らし、間一髪でよけたイゾウだったが、ひりつく様な痛みを感じ腹を見てみると服が裂け、弾の擦れたところが火箸を押し釣られたようにミミズ腫れが走っている。
「ぬっ!」
「・・・圧縮された『マナ』の弾は『魔法』と同じ・・・魂を焼き、身体を蝕む・・・」
そうつぶやくとイソメは顔色一つ変えずに、暗い目をしたまま二弾、三弾をイゾウに放つ。
「くっ!はっ!」
洞内を吹き荒れる『手銃琴』の発砲音に被せる様にして、翻弄されるイゾウの声が響く。
屈み、反り、跳ね、イゾウがその身を炙られながらも皮膚一枚でかろうじてよけることができているのはかつてくぐった死地のたまものだった。
(見える・・・見えるぞおお・・)
イゾウの目にはイソメの放つ弾丸の軌道が砲身から伸びる光線のように見えていたのだ。
まさに人智を超越した能力。
いや、野生の勘ともいうべきであろうか。
それはかつて『人斬り』として極道という修羅界に身をおいていたイゾウが文字通り血を流して手に入れた『スキル』だった。
・・・。
イゾウは冬が好きだった。
特に真冬の未明、まだ日がのぼりもしない夜の断崖、一切の慈悲もゆるさない張り詰めた寒さが好きだった。
いつものように底冷えに沈んだ家で未明に目を覚ましたイゾウは木刀を持って外へ出る。
「せい! せい!」
冷え切った庭には霜が根をはり、寒気がむき出しにした上半身を蝕む。
「せい! せい!」
木刀を振る度に身体の芯が熱く煮える。やがて肌が腫れ、寒さが溶け、肉体の輪郭がなくなってイゾウをとりまく周囲と一体化する。
「せい! せい!」
その一致する瞬間がイゾウは大層好きだった。
それはイゾウがかつて親しんでいた『修羅場』を思い起こさせるものだったからだ。
・・・。
『かちこみ』の際の楽しさをなんと表現しようか。
「わりゃあ、生きて帰れると思うなよ!」
それは能役者における能舞台であり、アスリートにおける競技会である。
「おらあ!」
「やっちまえ」
炸裂する銃声、舞い散る薬莢。
「おら!おら!おら!」
己の限界を振り絞り、生を叫ぶ肉体。ぶつかり合う魂、そして舞い散る血、血、血。
「おんどりゃあ!こらぁ!」
「死ねやあ」
やがて塗りたくられた血に埋もれて静かに波にさらわれて死。空っぽになる肉体。空、空、空。
ああ、なんと無情なことだろうか。
すらり、夜の闇に紛れて抜き身の刀身を思わせる『その男』が建物に現れる。
築二十年になる豪奢な湾岸のマンション『グランドハイアットメゾン・パートⅡ』は、持ち主を渡り渡って今では関東で新進の暴力団『マルエツ組』の事務所として不本意な存在を余儀なくされていた。
同住民の非難を一身に受ける黒塗りの玄関が強く叩かると、それまで夕方の空気にたるんでいた組員が『道具』と『闘争心』に手を伸ばす。
そのとき、突然窓が破裂した。
舞い散る破片に全員が目を閉じた時だった。
三人切られた。まだ組に入って日の浅いタケモトとヒロサワ、そして若頭のイワキ。
糸の切られた人形のように崩れ落ちると好景気の残滓か、イラン製と噂の丈の長い絨毯に朱色がこぼれ、広がった。
「なっ!なっ!んじゃあこりゃ!」
声にならないどよめきに静かに答える声がある。
「セイセイ会のハルヤマじゃあ・・・殺しにきたで」
夜気とともに窓からなだれ込んできた痩身の男はそう淡々と告げると天井の電灯を砕いた。
すぐさま室内は夜に沈んで、深い闇の淵で抜き身の刀身が銀の鱗をきらめかせる。
「ぎぃやあああッッ!」
「ぐぇええ!」
鞘も持ち手もない、ただ刀身が生き物のようにのたうち、肉を断つ。そう、刀は刀、人殺しの道具。飾りはいらないのだ。
そう、セイセイ会、若頭、ハルヤマ・イゾウはこの瞬間が何よりも好きだったのだ。
今、奇妙な風の音とともに襲い来る『弾丸』をよけながらハルヤマイゾウは血と暴力に塗りたくられた『獣の日々』を思い出していた。
ケンジを引き取ってから幾星霜、すっかり錆び付いたと思われた体はいまや、降りかかる殺気を潤滑油にますます動きを良くしていく。
「おじき! さっきからアイツは連続で六発しか撃っていない!」
後ろからケンジの声が走ったのは目の前の修羅場に、つい、イゾウの顔がゆるんだときだった。
(ケンジ!)
声に釣り込まれるようにイゾウはケンジを見る。
表情こそは変わらず、以前こわばったままのものの、ケンジのまなざしには先ほどまでの悲壮感はなかった。
イゾウの戦いぶりを見て、勝利を信じているのだ。
(さすがは妹の息子・・・)
「こんな時でも冷静さを失わないとは!」
そう叫ぶとイゾウは信じがたいことに目の前に来た弾を『包丁』で叩き切った。
二つに割れたマナの弾丸は奇妙な高音と共に洞内の奥に消えていく。
「弾を・・・」
「切った・・・!?」
アユム達のどよめきが洞内に湧いた。
イゾウはケンジのくれたヒントに大いに勇気づけられていた。
(六発とわかっていれば距離を詰めることが出来る)
にたりと一段と大きい笑いを浮かべるとイゾウは雌雄を決すべくじりじりとすり足でイソメとの距離を詰め始めた。
(4・・・5・・・6!)
数えると同時に大きく足を開いたイゾウはストライド走法かくや一気にイソメとの距離を縮めた。
『卜人流抜刀術』の一の型、つまり基本動作である『縮地』である。
「!」
イソメはあわてて飛び退いたものの間に合わず、イゾウの『包丁』を振る風音とともにイソメの腹もとが薄皮一枚切ってかっさばかれた。
数滴の血と共に背広のボタンや『携帯』などが乾いた音をたてて洞内にぶち巻かれた。
「ふむ・・・あと一歩じゃのう・・・まあこれで間合いはつかんだが・・・」
腹を押さえて飛びずさるイソメに追い打ちをかけるようにイゾウがおそろしいことを言って刀を再び構えた。
・・・。
「・・・間合いはつかんだ・・・」
低いイゾウの声が最後通告ように洞内に冷たく響いた。
しかしイソメは切り裂かれた腹元を特に気にするでもなく、再びイゾウに向き合うと『銃』を構え、距離を保つように駆けながら音を充填しはじめた。
緊迫した空気に似つかわしくない、風の音に似た和音が再び辺りに鳴り響く。
「セラさん!」
目の前のあまりの事態に言葉を失っていたアユムがやっとのことで声を出した。
「死・・・死んでしまいますよ! あの人!イソメさん!!」
セラは眉こそひそめて険しい顔をしているが、その沈黙が意味するのはアユムの望む『停戦』の否定だった。
「ちょっ・・・ちょっと・・・セラさん!」
「・・・一度始まった『納務』の戦いは本人以外止めることはできません」
セラはアユムに冷たく言い放った。
「それに『納務』において敗北することは即廃業を意味することであります・・・結果的に社会的死を意味することなのですよ」
「でも!」
「冷たいようですがそれがこのダンジョン業界における『掟』なのですよ・・・」
セラはそういうと整っているからこそ一層冷たく見える顔をアユムに向けていった。
「覚悟して下さい」
「・・・!!」
アユム達がそうこうもめている間に、再び、轟音が洞内を揺るがした。
距離を取り、充填を終えたイソメが弾を放ったのだ。
イゾウは冷静にそれを躱すとすりあしで前進した。
イソメの弾が尽きると同時に『縮地』で距離を詰め、一刀を振るうつもりなのだ。
イソメはイゾウが前に進んだ瞬間を続けて狙ったが、これは『包丁』によって弾き逸らされた。
(これで2発!・・・)
乱れた息を整えながらイゾウは放たれた弾を数えている。
いずれにせよあと四発の発射のあとに勝敗、いや、生死をかけた瞬間が来る。
アユム達も固唾をのむ中、弾丸のカウントダウンが始まったのだ。
そして揺るがす音をたててイソメが三発目を放った・・・。




