第九話:ステルス・インセプション
男爵が放った裏のプロ――それはレムリアの裏社会で「不可視の影」と恐れられる、隠密特化の暗殺者集団『シャドウ・コード』だった。彼らは物理的な隠密スキルだけでなく、音や気配、さらには魔力の放射すら完全に遮断する独自の「認識阻害魔術」を使いこなす。
深夜2時。宿屋の最高級スイートルームは、不気味な静寂に包まれていた。
窓の鍵は内側から固く閉ざされている。だが、バルコニーのガラスの向こう側、漆黒の闇と同化するようにして、3つの歪な影が音もなく佇んでいた。彼らの手には、かすかに麻痺毒の塗られた黒塗りの短剣が握られている。
「……ターゲットは2名。男を拉致し、エルフは回収する。魔力の乱れはない。防護結界の類も感知されず。――決行」
リーダーの短い手信号とともに、暗殺者たちは物理法則を無視したかのようにガラスを「透過」し、部屋の中へと滑り込んだ。
彼らにとって、防衛結界の張られていない平民の部屋に忍び込むなど、赤子の手をひねるより容易い作業だった。
だが。彼らがベッドへと近づき、短剣を振り上げたその瞬間――
部屋の隅に置かれた1台の、奇妙な「黒い四角い板」の画面が、音もなく青白く発光した。
【システム警告:未認証の外部パケット(侵入者)を検知】
【ポート番号:0(窓)、1(床下)、2(天井)……すべて強制遮断します】
「――ッ!?」
暗殺者たちの身体が、突如として空間にガチガチと固定され、指一本動かせなくなった。
驚愕に目を見開く彼らの前で、ベッドの毛布がゆっくりと跳ね上げられる。
「ふぁ……。遅い。仕様書の予定より30分も遅れてるぞ、お前ら」
健二が、あくびを噛み殺しながら起き上がった。手にはいつの間にか、あの「黒い板」――スマートフォンが握られている。
その隣では、セリアがすでに冷徹な騎士の目で、不可視のデータ剣を抜いて彼らを凝視していた。
「健二様、不法侵入プログラムの処理をお申し付けください」
「待て待て、セリア。ここでこいつらを消したら、男爵に『お前がやったんだろ』ってログが残る。さっきも言った通り、今回は『完全なる正当防衛』。つまり、男爵のバグを突いて、男爵自身の身を滅ぼさせるのが一番綺麗だ」
健二はスマホの画面をスワイプし、暗殺者たちのステータス画面を開いた。
中世の暗殺者たちがどれほど気配を消そうとも、健二のスマホから見れば、彼らは「1」と「0」で構成されたただのデータオブジェクトに過ぎない。
「へぇ、お前らのこの隠密魔術、面白い構造してるな。魔力の波形を周囲の空間と同調させて、存在自体を『エラー(認識不能)』にしてるのか」
健二は不敵に笑いながら、スマホの画面に表示された暗殺者たちの「魔術の座標データ」を指先でドラッグした。
「それじゃあ、この隠密魔術の『対象』を書き換えて、**『バルタザール男爵の私邸の金庫室』**に常時同期させてやろう」
暗殺者たちは声も出せない。
健二が実行キー(エンター)をタップした瞬間、暗殺者たちを縛っていた拘束が解けた。
だが、彼らの身体には、すでに健二によって「致命的なシステムバグ」が埋め込まれていた。
「な、何を……何をした!?」
暗殺者のリーダーがようやく声を絞り出す。
「何も? ただ、お前らの魔術のバグを修正してやっただけさ。さあ、男爵のところへ戻って、バグの報告(成果)を届けてこいよ」
健二のヘラヘラとした笑みに本能的な恐怖を覚えた暗殺者たちは、任務の失敗を悟り、一斉に窓から夜の闇へと飛び降り、撤退していった。
翌朝:ブーメランの着弾
領主館の執務室。バルタザール男爵は、寝不足の目で暗殺者たちからの報告を待っていた。
そこへ、息を切らせた憲兵隊長が、ノックもせずに扉を押し開けて飛び込んできた。
「男爵! 大変です! 隠し金庫室に、異常事態が発生しました!」
「何だと!? またあのネズミに盗まれたのか!?」
「いえ、そうではなく……! 金庫の扉も、暗証番号も完全に無事なのですが……中に、男爵が雇われたはずの『シャドウ・コード』の面々が、ぎゅうぎゅう詰めに閉じ込められております!」
「は……? 何を言っている?」
男爵が慌てて地下の隠し金庫室へと駆け下り、重厚な鉄の扉を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
強固なセキュリティに守られた、わずか数畳ほどの狭い金庫室の中に、昨日雇ったばかりの凄腕の暗殺者3名が、身を寄せ合うようにして床に転がっていたのだ。
「お、お前たち、なぜここにいる! 健二の拉致はどうした!」
男爵が怒鳴りつけると、暗殺者のリーダーが青ざめた顔でガタガタと震えながら答えた。
「わ、分かりません……! あの男の部屋を脱出し、アジトに戻ろうと一歩踏み出した瞬間、空間が歪み、気づけばこの金庫の中に『転送』されていたのです! 扉を開けて出ようとしても、外へ出た瞬間に、またこの金庫の中心へと強制的に引き戻される……! 俺たちの魔術が完全に暴走しているんです!」
「な……な、何だと……!?」
彼らの隠密魔術は、健二の手によって**「一歩動くたびに、男爵の金庫室の座標へ強制的にリダイレクトされる」**という、無限ループのバグ(呪い)に書き換えられていたのだ。
どれほど逃げようとしても、彼らは男爵の金庫室から一歩も外へ出られない。
つまり、男爵は「自分が裏で雇った暗殺者たちを、自分の最も厳重な金庫の中に永久に監禁し続ける」という、言い逃れのできない大バグを抱え込むことになった。
「クソ、クソ、クソォォォ!! あの平民め、一体どんな呪いを使いやがった!!」
私邸の中に響き渡る、男爵の絶望と怨嗟の絶叫。
証拠はどこにもない。だが、男爵は痛感していた。あのヘラヘラとしたエンジニアの男を敵に回したことが、人生最大の「システムエラー」であったことを。
その頃、宿屋の窓辺で、健二はスマホに表示された『金庫室のライブ映像』を見ながら、実に見事な笑顔でトーストを齧っていた。
「よし、テスト(防衛)自動化成功だな。さ、セリア、次はどこの観光地に行ってみる?」
「はい、健二様。どこへでも、仕様書の通りに」
男爵の怨みを完全にコントロールし、手のひらの上で転がす30歳エンジニア。
チートスマホを武器にした、不道徳で最高にロジカルな異世界ハックは、いよいよ世界そのもののルールへと手を伸ばし始める――。




